エタファン3

東中島北男

第1話

 高校に入学して一ヶ月が経った五月のとある日の午後の授業。

 昼食を食べた直後。さらに近頃は段々と暖かくなってきたのも相まって、授業にも全く身が入らない。

 隣の席の佐藤さんはすぴすぴと寝息を立ててぐっすり眠ってしまっている。


「……うーむ」


 入学する前は高校生活にそれなりの期待をしていたのだが、結局のところ周囲の人間が入れ替わっただけで中学時代と大差無いものだった。

 これまでの延長線上の生活に、慣れを通り越して早くも飽きてしまっている。このままでは別にボッチというわけでもないのに、高校生の三年間が灰色の思い出になってしまうだろう。

 何か、何かが必要だった。


「何かつっても何するかねえ」


 ぼーっと考えているといつの間にか授業が終わっていて、ダラダラと自転車を漕いで帰宅しながら独り言ちる。

 面白い何かに遭遇するためには、自分で何か面白いことをするか、面白いことをする人の近くにいる必要がある。そして当然自分にとって面白いことは、自分で起こすのが確実で手っ取り早い。


「今からでも何か部活に入るか、それともまずはバイトでもするか……うーん」


 家に着いてからも、あーでもないこーでもないと考え続け、気が付けば夜も遅くなっていたため就寝。


「んん~……?」


 しかし布団の感触がおかしい。ふかふか感が全く無く、妙に固い場所で寝ている気がする。それに何だかチクチクする。

 匂いもおかしい。芝生で寝転がっているような草の匂いに包まれている。

 いよいよ変だと目を開けると、視界いっぱいに満天の星空が広がっていた。


「…………」


 俺は驚きすぎると無言で固まってしまうらしい。そんなどうでもいい事を考えてしまうほど、現実離れした状況だった。


「ドッキリ……は無いか。じゃあ…………俺死んだ?」


 部屋に催眠ガスを噴霧するなどして深い眠りにつかせ、その間に運び出してどこかの草原に放置する。そんな馬鹿なことを芸能人でもない俺に仕掛けてくる人物に心当たりは無い。

 寝てる間に死んで異世界に転生したという話もあり得ないのだが、ドッキリに比べるとまだ納得できる範疇ではある。


 そもそも、こんな明るい星空は未だかつてお目にかかったことがない。少し前にド田舎の山奥で見た夜空は、信じられないほどの数の星が輝いていて圧倒された思い出があるが……これはあの星空を遥かに凌駕している。

 それも空気の綺麗さとか街の明かり等の差ではなく、単純に強い光を放つ星が多いような気がしてならない。やっぱりここは日本じゃないどころか、そもそも地球じゃないような……。


「何も無い。マジ草原」


 いくら明るいといっても星明りに頼った視界は狭く、辺りを見回しても草しか目に入らない。

 遠くの方に山と思われる影も見えるのだが、それがどれだけ遠くにあるのかもわからなかった。


「夢だな、うん。こりゃ夢だ」


 さすがに混乱してしまったが、少し落ち着いて考えると夢しかないと気付く。ドッキリだの異世界だのという発想には、何か起こってほしいという願望が込められすぎている。

 立ち上がって背中や尻に着いた草を払い落とすと、服が変わっていることに気付いた。Tシャツに中学のジャージという格好で寝ていたはずが、上下共に麻のようなゴワゴワした素材の服になっている。


 上は左胸に小さくポケットがあるだけのシンプルな服。形状はTシャツと変わらない。

 下は腰にある紐で留めるタイプの七分丈のズボン。裾はほつれてしまっているようだ。

 端的に言ってボロ服。裸よりは布があるだけマシといった程度のものだ。


「なるほどなあ。ふーん、そうかそうか」


 さらに落ち着くとさすがに恐くなってきて、つい独り言が増えてしまう。明晰夢にしてもあまりに明晰すぎた。

 だがこんなボロ服でも、夜の屋外だというのに寒さはほとんど感じない。五月の中旬でこの気温ならば、ここは少なくとも俺の住んでいた街からは遠く離れた場所だ。


「……どうすっかなあ」


 山で遭難した場合などは下手に動かずその場で救助を待つのが良いと聞いた覚えがあるが、果たしてこの状況はそれに当てはまるのだろうか。

 助けが期待できない場合は、ただじっとしていても徐々に衰弱していくだけなんじゃないだろうか。


 夢なら何をしても良し。ドッキリならずっと捕捉しているだろうから何をしても良し。異世界に来たならこの場にいても仕方ない。

 そういうわけで、近くにあった木の形を何とか頭に叩き込んでからあてもなく彷徨い歩くことにした。


「うーむ。やっぱ戻るか?」


 おそらく十分ほど歩いたところで、そんな考えが頭をよぎる。移動するにしてもせめて明るくなってからの方が良かったかもしれない。

 何かの草で編んだ草鞋のような履物に慣れていないため、足元が不確かでは歩きづらくて仕方ないのだ。


「草鞋。……草鞋?」


 裸足じゃなかったことに今気付いた。やはり未だに動転しているらしい。それにしても草鞋ってのはこんな感じなのか。いつの間にか知らない物を身に着けていたようだ。


「……ッスゥーー……」


 知らないものを夢で再現できるのだろうか。

 なんだか夢の可能性がぐっと下がった気がする。とにかく一旦落ち着かなければ。

 しかしそんな暇は与えないとばかりに、カサカサと何かが草の上を歩いているような音が聞こえてきた。

 どうもこちらを正確に捉えているようで、真っすぐ向かって来ているのがわかった。辺りに遮蔽物は一切無く隠れようが無いし、逃げられるとも思えない。


 もうどうしようもねえや、と思って立ち尽くしていると、音のする方向にでこぼこした形の丸い影が見えた。

 そのままじっと影を見つめていると、段々と近づいてきてその正体が明らかになる。

 それは巨大なジャガイモだった。


「……は?」


 よく見ると一メートル近くあるジャガイモには目や口が付いていて、細い手足も生えていた。やはりこのジャガイモが音の主と見て間違いないだろう。

 ジャガイモは走ってきた勢いそのままに、こちらに向かって突進してきた。

 対する俺は、そのあまりに珍妙な姿に呆けてしまっていた。致命的な油断だった。


「んぐほっ!」


 突進を無防備な腹に受けて倒れ込む。あまりの激痛に目がチカチカする。呼吸もできない。

 そんな俺に追撃をしかけようと近づいてくるジャガイモを、転がったまま思い切り蹴飛ばした。その勢いでどうにか気合を入れて立ち上がる。


「ゲホッゴホッ! ハァー……ハァー……ふざけやがって……! もっとこう、ゴブリンだとかスライムだとか、わかりやすいのがあるだろうが。何だジャガイモって……!」


 蹴飛ばされて転がっていったジャガイモは手足を使ってどうにか止まり、再びこちらに向かって突進してくる。

 俺はそれを何とか横っ飛びで躱すと、走って勢いをつけて飛び上がり、隙だらけのジャガイモに両足を叩きつける。ドロップキックだ。


「これ絶対異世界じゃねえかオラァ!」


 初めてのドロップキックだったが、ジャストミートしたと言って良いだろう。ジャガイモはまたしても勢いよく転がっていった。

 そのままくたばるか、あるいはどこかへ逃げて行ってくれと思いながら乱れた息を整えていると、ジャガイモは懲りずにこちらへ走って来る。


「駄目か。もうこうなりゃ最後までやるしかないな」


 さっきと同じように突進してきたジャガイモを、さっきと同じように横へ躱す。しかしジャガイモには知恵があったらしい。


「フェイントだと!? ジャガイモのくせに……!」


 俺が突進を避けるべく身を翻したと同時にジャガイモは急停止した。こうなると隙を晒したのは俺の方だ。

 不安定な体勢の俺に向かって、ジャガイモは細い手をビシバシと叩きつけてくる。これが思いのほか痛い。


「ぐっ……! つ、強い」


 負けじと俺も拳で応戦する。固いジャガイモを殴ると手が痛むが、そんな事を気にしている場合ではない。このままだと俺は異世界に来て早々、ジャガイモに殺されてしまう。

 いくらなんでもそんな死に方は嫌だ。その一心でインファイトの殴り合いを続けていると、不意に拳の手応えが変わった。固さが失われたような感触だった。


「さてはお前、割れる寸前だな?」


 その考えは正しかったのだろう。最後の特攻とばかりに一気呵成に攻め立ててくるジャガイモの攻撃を俺は冷静に捌き、渾身の力を込めて右拳を振るった。


「いい加減くたばれ!」


 右ストレートの直撃を受けたジャガイモは、それまでの頑丈さが嘘だったかのように砕け散った。そしてすぐに淡い光と共に消え去っていく。死体は残らないらしい。


「か、勝った。勝ったんだ。俺は勝ったぞ!」


 生まれて初めて体験する命懸けの死闘。そして勝利。これまで味わったことがないほどの安心感と達成感に満たされる。

 疲労困憊で体中が傷だらけだというのに、まるで力が湧き上がってくるような気分だった。


「ふぅーーーっ……。さて」


 しばらく感動の余韻に浸った後、その場に腰を下ろして大きく息を吐く。何か大きなことを成し遂げた気分になっていたが、よく考えると現状の問題が何も解決していないことに気付いてしまい、到底立っていられなくなったのだ。

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