忌み嫌われた右腕が、誰かの希望になるまで ~正体を隠した半魔の少年、人間と魔族を繋ぐ英雄譚~
御影 零
第1話 忌み子の覚醒
世界は、二つの色に分かれていた。
人間が住む、緑豊かな大地。
魔族が支配する、紫色の霧に覆われた不毛の地。
両者は長い間、互いの生存領域を巡って血を流し続けている。
けれど、そんな殺伐とした世界情勢なんて、僕――アレンには関係のない話だった。
「アレン、誕生日おめでとう!」
「これ、畑で採れた一番甘いイチゴだぞ。食え食え!」
「アレンちゃん、もう十二歳なのねえ。背も伸びて、立派になって」
国境から遠く離れた、辺境の村「リルク」。
ここが僕のすべてだ。
両親の顔は知らない。
物心ついた時には、村長のじっちゃんに拾われていた。
けれど、寂しいと思ったことはない。
村のみんなが家族みたいに優しかったから。
「ありがとう、おばさん! わあ、このイチゴすっごく甘い!」
口いっぱいに広がる甘酸っぱさに、僕は満面の笑みを浮かべる。
今日は僕の十二歳の誕生日。
広場には焚き火が焚かれ、ささやかな宴が開かれていた。
パチパチと爆ぜる火の粉が、夜空に舞い上がる。
「ほらアレン、わしから剣のプレゼントじゃ」
白い髭をたくわえた村長が、錆びついた鉄の剣を渡してくれた。
古いけれど、丁寧に手入れされている。
「うわあ! いいの!? じっちゃん!」
「ああ。今日からお前も村の守り手の一人じゃ。……アレン、お前は誰よりも優しい子だ。その優しさで、この村を守ってくれよ」
「うん! 僕、みんなを守れるくらい強くなるよ!」
錆びた剣を握りしめる。
ずしりと重いその感触が、大人への一歩を踏み出したようで嬉しかった。
この幸せが、ずっと続くと思っていた。
――あの鐘の音が鳴るまでは。
カン、カン、カン、カン、カン!!!!
村外れの火の見
宴の空気は凍りつく。
「敵襲だぁぁぁっ! 魔物の群れだッ!」
見張りの男の叫び声と共に、広場の入り口が破壊された。
現れたのは、
「グルルルゥ……ッ!」
「ひ、ひぃぃッ! 逃げろぉ!」
「か、母ちゃん!」
平和だった広場は、一瞬にして阿鼻叫喚の地獄へと変わった。
逃げ惑う村人たち。
建物を薙ぎ倒す鋭い爪。
僕は震える手で剣を抜き、前に出た。
「み、みんな逃げて! 僕が……!」
けれど、足がすくむ。
初めて見る本物の魔物は、あまりにも大きくて、凶暴だった。
僕が怯えている間に、一匹の巨大な
「じっちゃん!!」
村長は腰を抜かし、動けない。
――嫌だ。
――死なせたくない。
――誰か、助けて・・・!!!
僕の願いに応えるように、ドクン、と心臓が跳ねた。
いや、心臓じゃない。
熱い。
右腕が、焼けるように熱い。
『力を求めるか?』
頭の中に、低い声が響いた気がした。
直後、僕の右腕を包んでいた服の袖が、内側から弾け飛んだ。
「ぐ、あ、あああああああッ!?」
激痛と共に、視界が明滅する。
肌色だった僕の右腕が、内側から弾けるように膨れ上がり、光を吸い込むような漆黒の
指は長く伸び、獲物を引き裂く鋭い
「あ、あああ……っ!!」
腕が、熱い。
まるで、血管の中に煮えたぎった鉄を流し込まれているような熱量だ。
けれど、今の僕には迷っている時間はなかった。
じっちゃんが死んでしまう。
「やめろおおおおおおおおッ!!」
僕は咆哮と共に地面を蹴った。
思考よりも速く、異形と化した右腕を振り上げる。
ドォォォォォォンッ!!
肉を断つ音ではない。
まるで大砲が着弾したような衝撃音が響いた。
家よりも巨大な
即死だった。
残った
後には、耳が痛くなるほどの、重苦しい沈黙だけが残された。
さっきまでの怒号と悲鳴が嘘のように消え失せ、パチパチ、と音を立てて燃える焚き火の音だけが、不気味なほど大きく響き渡る。
舞い上がった土煙が晴れていく中、誰一人として動く者はいなかった。
まるで、時が止まってしまったかのように。
「はぁ……はぁ……」
僕は荒い息を吐きながら、自分の右腕を見下ろした。
黒く輝く鱗。したたり落ちる
気味の悪い腕だ。
自分でもぞっとする。
でも、これでじっちゃんを助けられた。
村のみんなを守れたんだ。
僕は努めて明るく笑い、振り返った。
「じっちゃん、大丈夫!? 怪我は……」
ゴッ。
鈍い音がして、僕の額に鋭い痛みが走った。
何かがぶつかり、足元に転がる。
それは、石ころだった。
「……え?」
顔を上げると、村長が震えながら後ずさっていた。
その目は、感謝の色ではなく――底知れぬ「恐怖」で見開かれていた。
「ひ、ひぃ……」
「じっちゃん?」
「近寄るなッ! 化け物ぉぉッ!」
村長の叫び声が、ナイフのように胸に突き刺さった。
「……化け物?」
周囲を見渡す。
さっきまで僕の誕生日を祝ってくれていたおばさんも、イチゴをくれたおじさんも。
全員が、僕を睨んでいる。
怯えている。
あるいは、殺意のこもった目で見ている。
「なんだその腕は!」
「やっぱり、拾い子なんて育てるんじゃなかった!」
「魔族の手先め! 魔物を呼び寄せたのはお前だな!?」
次々と石が投げつけられる。
額から血が流れ、目に入って視界が赤く染まる。
右腕の鱗はどんな攻撃も弾くだろう。
でも、生身の体には、石の痛みが一つ一つ刻まれる。
それ以上に、心が千切れそうだった。
「ちがう、僕はアレンだよ! ただ、みんなを守りたくて……!」
「黙れ魔族ッ!」
「村から出て行けェ!」
誰一人、僕の声を聞いてはくれなかった。
助けたはずの村長ですら、目を逸らして震えているだけだ。
ああ、そうか。
この世界では、人間と魔族は敵同士なんだ。
だから、こんな腕を持った僕は、もう「アレン」じゃない。
「敵」なんだ。
涙が溢れて止まらなかった。
僕は村長からもらった錆びた剣を、そっと地面に置いた。
もう、僕にはこの剣を持つ資格はない。
「……ごめんなさい」
誰に対する謝罪なのか、自分でもわからなかった。
僕は逃げるように背を向け、暗い森の中へと走り出した。
背後から浴びせられる罵声は、森の奥深くに入るまで、ずっと聞こえ続けていた。
十二歳の誕生日。
僕は、守りたかったすべてを失った。
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