第三十七話 新しい居場所
王都医務棟の廊下は、歩くことを前提にできている。幅は広いのに、休む場所が少ない。壁に手をつけるような距離で、椅子は遠い。立てる者のための建物だと、ルネはそれを足の裏で知った。
今日は、歩く日だった。
白い布の靴下の上に、薄い革の室内靴を履かせられる。踵を入れるだけで太腿に熱が走り、膝が勝手にわずかに震える。痛みではない。身体がまだ、自分の重さを忘れている。忘れたまま、思い出し始めている。
廊下の端で待っていた医官が、記録板を覗き込みながら言う。
「無理はしない。今日は三往復」
言葉は丁寧だが、視線がルネではなく数値を追っている。王都の医官は、顔を見ない。顔を見ると、責任が増えるからだ。
ルネは短くうなずいた。声を出す余裕はまだない。出せなくてもいい。うなずきだけで、足は前に出る。
一歩目がいちばん重い。二歩目がいちばん怖い。三歩目で、呼吸が自分のものに戻ってくる。
支え棒を握る指先に汗が滲む。汗が滲むだけで、泣きそうになる。生きている、と身体が言っている。
廊下の途中、壁に掛けられた窓から中庭が見えた。冬の薄い日差し。白い石。遠くの旗。ここは戦場ではないのに、なぜこんなにも気が張るのか。理由は分かっている。王都は、剣より言葉が人を刺す。
窓際に立つ影があった。
レオンだ。
いつも通り、白衣ではない。医務棟にいながら、医務棟の一員ではない佇まい。壁にもたれず、扉にも寄りかからない。どこにも属さない立ち方をしている。ルネは歩くことよりも先に、その立ち方に視線を奪われた。
昨日、医官たちが声を落としていた。
判断医。
設計者。
名義を伏せていた開発者。
言葉だけが先に転がり、誰も彼の顔を真正面から見なかった。
ルネは見た。彼が椅子を引く音を消し、脈を取る指の圧を変え、器具の置き方ひとつで部屋の空気を変えるのを。見れば分かる。彼は“言う”人ではなく、“する”人だ。だから、余計な言葉がいらない。
廊下の医官が小さく咳払いをして、ルネの歩みを止めた。
「休憩」
ルネは支え棒から手を離し、壁際の椅子に腰を下ろす。座った瞬間、膝の奥がほどけるように沈み、意識が一段落ち着いた。
レオンは近づいてこない。だが、視界の端から消えない。見守るというより、逃げ道を塞いでいるような距離だ。逃げないでいい、と言われている気がした。
ルネは喉の奥で息を整え、短く言った。
「……見てた?」
レオンは首を少しだけ傾ける。
「歩けてる」
評価でも、励ましでもない。事実の確認。ルネの胸が、その事実だけで満ちる。嬉しいという言葉は軽すぎる。胸の内側に湧き上がるものは、もっと重い。
医官が口を挟む。
「回復は順調です。だが――」
言いかけて、言葉を飲む。レオンの視線が医官を見たからだ。視線だけで、言い訳が剥がれる。
「だが、何だ」
レオンの声は低い。怒りはない。ただ、逃げ道を与えないだけだ。
医官は喉を鳴らす。
「復帰の可能性について、上から確認が……。本人の意思とは別に、王都としては――」
ルネの指先が冷たくなる。復帰。上。王都として。自分の身体の上に、言葉の鎧が重なっていく感覚。戦場より息が詰まる。
レオンは答えない。答えないまま、医官の言葉を最後まで言わせた。
言わせてから、短く言う。
「本人の意思が先だ」
それだけ。
医官は反射的に言い返そうとして、できなかった。王都では“本人の意思が先”などという順序は、書類に書けない。だが今は、書類より先に言葉が置かれた。
医官が去っていく背中を見送りながら、ルネは椅子の縁を握った。握っていないと、何かがこぼれる。怒りでも、恐怖でもない。救われた、という感情に近い。王都で、そんな感情は持ってはいけないもののはずなのに。
次の往復が始まる。ルネは立ち上がり、また一歩を踏み出す。足は重い。だが、重いままでいい。重いまま歩くことが、今のリハビリだ。
往復が終わる頃には、汗が背中に薄く張りついていた。ミアが控えめに布を差し出し、水を渡す。ミアの手は温かい。温かさが、ルネの胸をまた揺らす。
「……大丈夫?」
ミアの声は小さい。王都の人間の声の小ささではない。怖がらせないための小ささ。
ルネはうなずき、言葉を選んで短く返す。
「うん」
それだけで、ミアの肩が少し下がる。ミアもまた、息の仕方を学んでいる。
夕刻、病室に戻ると、扉の前に二人の男が立っていた。医官ではない。布の質が違う。歩き方が違う。文官だ。
「レオン殿に面会を」
その声は礼儀をまとっているが、断れない形をしている。
ミアが一歩前に出かけて、ルネは袖を引いた。ミアは止まる。王都では、止まれる者だけが生き残る。
レオンが廊下の角から現れた。いつからそこにいたのか分からない。気配の置き方が、王都のそれではない。
「何の用だ」
短い。
文官は笑わない。笑う必要がないほど、権限を持っている顔だった。
「王都医務局より。貴殿の協力が必要です。補助装置の再編成、各前線医務班への展開、そして――」
そして、のあとを、ルネは聞きたくなかった。自分の名前が出る気がしたからだ。
レオンは文官の言葉を遮らない。最後まで言わせる。最後まで言わせてから、机上のように言う。
「協力はしない」
文官の目がわずかに細くなる。
「拒否権はありません」
「ある」
たった一語で、廊下の空気が硬くなる。
文官の片方が手元の書類を開き、そこに指を置いた。
「王都規程により――」
レオンは、その指より先に言った。
「規程の条文は覚えている。俺が書いた」
沈黙。
文官たちの呼吸が止まるのが見えた。喉が動く。言葉が見つからない。王都の規程が“誰かの手”で書かれたという当たり前を、彼らは都合よく忘れている。
レオンは続ける。
「俺が去った後、その規程は“運用できる者がいない”という理由で現場を壊した。壊れたものを直す気がないなら、俺を呼ぶな」
文官の片方が唇を噛む。
「貴殿は、王都の――」
「俺は王都の外にいる」
言葉はそれだけで、線を引いた。
廊下の向こうで、誰かが息を呑む音がした。医官か、看護役か。耳を澄ませていた人間がいる。王都は、いつも聞いている。聞いて、記録して、縛る。
レオンは、その聞き耳に向けても同じ声で言う。
「退いてくれ。ここは回復期の部屋だ」
文官たちは顔を見合わせる。引くか、押すか。押せば勝てる場面もある。だが押せば、いま目の前にある“回復”という言葉を壊す。壊した瞬間、彼らは自分の正しさを失う。
数拍のあと、文官は深く頭を下げた。
「……承知しました。ただし、王都は貴殿を放置しません」
「知っている」
レオンはそれだけ返した。
文官が去り、足音が遠のく。残された廊下が、急に広く感じられた。広さは、怖さに似ている。
ルネはまだ扉の前に立っていた。立っているだけで、足が震える。震える足で、逃げずに立っている。自分でも驚くほど、胸の奥が静かだった。
ミアが口を開きかけ、閉じる。言葉が邪魔だと分かっている。
レオンが扉を開け、ルネに顎で促す。
「入れ」
それだけ。
部屋に入ると、窓の外は暗くなっていた。灯りが点り、白い壁に影が落ちる。影は薄い。王都の影は、いつも薄くて濃い。
ルネは椅子に腰を下ろした。呼吸を整える。胸の奥で、今日一日の出来事がぶつかり合う。歩いたこと。文官の言葉。レオンの一語。線を引く背中。
そして、昨日からずっと胸の底に沈めていたものが、静かに浮かび上がる。
この人の隣にいたい。
それは願いではなく、もう、決めたことだった。決めたのに、口から出すと軽くなる。だから、言わない。言わずに、ここまで持ってきた。
レオンがルネの正面に立つ。医師の位置ではない。診察の距離ではない。対等の距離だ。ルネの背筋がわずかに伸びる。伸びてしまう。身体が勝手に、背中を追う。
「退院後のことを決める」
レオンはそう言った。命令ではない。手順の提示。迷っている時間を奪わない言い方。
ルネはうなずく。声は出さない。出さなくてもいい。
「王都に残る理由はない」
同じ言葉が、さっきよりも深く胸に落ちた。否定ではなく、解放だった。
「前の役割に戻る必要もない」
ルネの指先が、膝の上でぎゅっと握られる。握られた指が痛い。痛いのに、嬉しい。役割という鎖が外れていく音がする。
レオンは一拍置いた。置いた間に、ルネの胸の奥が勝手に走り出す。言われる前から分かっている。分かっているのに、言葉として渡される瞬間だけは、どうしても待ってしまう。
「よかったら」
その二文字で、喉の奥が熱くなる。息が詰まる。泣く理由はないのに、目の奥が痛い。
「うちで働かないか」
それだけ。
条件も、飾りもない。だから、逃げ道がない。逃げ道がないのに、怖くない。怖いのは王都に縛られることだった。いま差し出されたのは、縛りではない。
嬉しさが、胸の奥から溢れる。溢れて、肩まで上がってくる。肩が少し震える。震えるのを、ルネは息で抑える。声にしたら壊れる。壊れてしまうのは怖い。壊れるのが嫌なのではなく、壊れたあとに、何も残らないのが怖い。
だから、言葉は短くする。
「……私で、いいなら」
たったそれだけで、胸の中がいっぱいになる。自分の声が自分の耳に届く。届いただけで、また溢れそうになる。
レオンは迷わずうなずいた。
「いい」
それだけ。
その一語が、胸の奥の何かをほどいた。硬く結ばれていた糸が切れるのではなく、ほどけていく。ほどけて、痛みが消えて、代わりに重さが残る。重さは、責任に似ている。嫌じゃない。むしろ、欲しかった重さだ。
ミアが息を吐く。
「……そうなると思ってた」
拗ねた声になりきれない拗ね方。嬉しさを隠す癖が、ミアにはない。
ルネは視線を落とし、口元だけで笑う。笑ったつもりだった。けれど、頬が勝手に緩む。止められない。止めたくない。
言葉が出そうになる。出したら、きっと長くなる。長くなると、嘘になる。嘘にしたくない。
ルネは短く言った。
「……うん」
それだけで十分だ。十分なのに、胸の奥はまだ溢れている。溢れたまま、黙っている。黙っていられるのは、ここが王都だからではない。ここに、この人がいるからだ。
レオンが言った。
「話はここまでだ。今は身体を戻せ」
厳しいのではない。余計な甘さを入れないだけだ。甘さは、後で腐る。
ルネはうなずく。返事はしない。返事をしなくても、決まっている。決まったことは、胸の奥で静かに燃える。燃えて、足の震えさえも前に押す。
窓の外の闇が濃くなる。王都の夜は冷たい。だがルネの胸の内側だけが、妙に温かかった。温かさは、痛みと似ている。存在を確かめる感覚。
この人の隣にいる。
その言葉は、まだ口には出さない。出さなくても、もう、逃げない。
その夜、ルネはすぐには眠れなかった。
回復期の眠れなさは、痛みではない。身体が追いついていないだけだ。昼に歩いた足が、夜になってもまだ歩こうとしている。筋の奥に残った熱が、布団の中で小さく跳ねる。
ルネは天井を見つめた。白い。白いだけで、何も語らない。王都の白は、いつもそうだ。汚れを許さないふりをして、汚れを見ない。
目を閉じると、昼の廊下が戻ってくる。文官の声。規程。拒否権。条文。言葉の刃。
そして、それを一語で折った声。
いい。
たった一語。たった一語で、世界が少し傾いた。傾いた先に、落ちるのではなく、立つ場所ができた。
ルネは胸の上に手を置いた。心臓の音が、やけに確かだ。戦場で何度も聞いた音。必死に数えた音。数えなくてよくなった音。数えなくていいのに、数えてしまう。生きていることが、怖いほど嬉しい。
涙は出ない。出たら、壊れる気がした。壊れるのが怖いのではない。壊れたあとに、元に戻れなくなるのが怖い。元に戻れないほうがいいのに。人は、こういう時に一番弱い。
扉の外で足音が止まった。布の擦れる音。控えめなノック。王都の礼儀正しさ。
ミアが顔を出す。
「起きてる?」
ルネはうなずく。ミアは静かに入ってきて、椅子に座った。灯りを落とさない。落とすと、影が濃くなるからだ。
ミアは少しだけ口を尖らせる。だが、目は柔らかい。
「……決めるの早いよ」
責めているのではない。羨ましさの形をした確認だ。
ルネは言葉を探し、短く返す。
「……早くない」
ミアが眉を上げる。
「え?」
ルネは視線を落とし、指先を握る。言い過ぎると嘘になる。嘘にしたくない。だから、必要なぶんだけ。
「……ずっと、思ってた」
それだけで、ミアの顔がほどけた。拗ねる理由が消えたように。
「そっか」
ミアは小さく笑う。
「じゃあ、いい。うん、いいよ」
許可ではない。背中を押す言葉だ。
ミアは立ち上がり、枕元の水差しを整える。手際がいい。王都の看護役の手際ではなく、現場の手際だ。ルネはそれを見て、胸の奥が少し痛む。ミアにも、選ばれなかった時間がある。
「……ミア」
呼ぶと、ミアが振り返る。
「なに?」
ルネは口を開いて、閉じた。言葉が多すぎると、慰めになる。慰めは、相手の力を奪う。だから、別の形で伝える。
ルネは、ただ手を差し出した。
ミアは一瞬だけ驚き、すぐにその手を握った。
握られた温度が、胸の内側に落ちる。温かい。温かさは、戦場では贅沢だった。贅沢が、今は当たり前になりかけている。
「……寝な」
ミアは囁くように言って、手を離した。
扉の外へ戻る前に、もう一度だけ振り返る。
「明日も歩くんでしょ。ちゃんと食べて。ちゃんと休んで。……ちゃんと行きな」
ルネはうなずいた。返事をすると、声が震える。
ミアが去ると、部屋はまた静かになった。
しばらくして、今度は別の足音が近づいた。重くない。だが、迷いのない足音。
レオンだと分かる。
扉が開き、彼が入ってくる。灯りの下でも、影が薄い。存在が濃いのに、押しつけてこない不思議さがある。
「眠れないか」
問いではない。確認だ。
ルネは首を横に振った。否定ではなく、まだだという合図。
レオンは机の上に小さな束を置いた。布と紙。包帯の替えと、薄い冊子。医務棟の規程ではない。手書きのメモだ。
「これを読む」
ルネが目で問うと、レオンは余計な説明をしないまま続ける。
「診療所で使う。症状の聞き取りと、記録の取り方。簡単なやつだ」
簡単、という言い方が逆に重い。簡単にできない人間を、彼は見てきたのだ。
ルネはその束に触れた。指先が震える。嬉しいからだ。役割が、もう始まっている。
「……私、字は……」
言いかけて、ルネは止めた。自分の弱さを並べるのは簡単だ。簡単なほうへ逃げたくない。
レオンは短く言う。
「読める」
断定。根拠を示さない断定。だが、不思議と疑えない。彼は人を甘やかさない。甘やかさないのに、落とさない。
ルネは小さくうなずいた。
レオンは椅子に座らない。いつものように、立ったまま言う。
「明日、もう一度文官が来る」
ルネの胸がきゅっと締まる。王都は、放っておかないと言った。予告が現実になる。
「怖いなら、隠れていい」
その言葉に、ルネは顔を上げた。隠れていい、という許しが、逆に胸を刺す。逃げてもいいと言われると、逃げたくなくなる。
ルネは短く言った。
「……隠れない」
声は小さい。だが、自分でも驚くほど芯があった。
レオンは頷いた。
「なら、俺の後ろに立て」
その一言で、胸の奥がまた溢れる。後ろ。隣ではない。後ろ。彼はまだ、距離を守る。守りながら、場所を与える。
ルネはうなずく。うなずきながら、喉の奥が熱い。言葉にしたら壊れる。だから言わない。
レオンは扉へ向かう前に、最後に一つだけ言った。
「仕事は、救う側に回る覚悟ができた者に渡す」
ルネは息を吸った。覚悟。覚悟という言葉を、戦場では何度も聞いた。だが今の覚悟は、命を捨てるためではない。命を使うための覚悟だ。
ルネは短く答えた。
「……はい」
返事の形は敬語だった。王都の礼儀ではない。自分の中で整った形だった。
レオンが去る。
扉が閉まる音が、なぜか心地よかった。閉じられたのは部屋ではない。王都との境目だ。
ルネは手書きのメモを開いた。紙の匂いがする。薬の匂いではない。人の手の匂い。
最初のページに、短い一行があった。
――できないことは、できないと言え。できることは、黙ってやれ。
ルネは思わず、息を吐いた。
笑いではない。泣きでもない。生きる側の呼吸だ。
胸の奥が、まだ溢れている。
溢れたまま、ページをめくる。
明日も歩く。
明後日も歩く。
そして、王都を出る。
その先に、彼のいる場所がある。
ルネは初めて、眠りに落ちた。
朝、廊下が騒がしくなる前に、ルネは立っていた。
足はまだ確かではない。だが、昨日よりも昨日の自分が軽い。軽さは喜びに似ている。喜びが身体に回っている。
扉が開き、文官が二人、医官を一人連れて入ってきた。昨日と同じ顔。昨日と同じ布。昨日と同じ声。
「レオン殿」
名を呼ぶだけで、周囲の空気が縮む。王都の名の呼び方だ。呼んだ瞬間に、囲いを作る。
レオンは先に廊下に出ていた。ルネはその背の少し後ろに立つ。言われた通りに。立つだけで、胸の奥が静かに熱い。
文官が書類を差し出す。
「本日中にご署名を。協力の意思の確認です」
署名。意思。確認。王都の言葉は、いつも手を汚さずに人を縛る。
レオンは書類を受け取らない。
「いらない」
文官の眉が動く。
「拒否は――」
「拒否だ」
レオンは言い切る。言い切ってから、補足をしない。補足をしないから、言葉が重い。
医官が咳払いをして前へ出た。
「貴殿の技術は、王都の財産です。前線の命が――」
その言葉に、ルネの指先が冷える。命を盾にする。王都はいつもそうだ。命を守るふりをして、命を札にする。
レオンは医官を見る。
「命を言うなら、現場へ行け」
医官が言葉を失う。現場へ行かない者ほど、現場を語る。
レオンは続ける。
「俺の名を使うな。俺の技術を使うなら、俺のやり方でやれ。できないなら、諦めろ」
文官の顔が歪む。諦めろ、という言葉は王都が最も嫌う。王都は諦める代わりに、他人に背負わせる。
沈黙の中で、ルネは呼吸を整えた。怖さはある。だが、その怖さの前に、別の感情が立つ。
誇らしい、に近い。背中が、背中のまま立っている。
文官は最後に視線をルネへ投げた。値踏みだ。だが、値踏みされた瞬間、ルネは初めて気づく。
自分はもう、値札のつく場所から降り始めている。
文官は低く頭を下げた。
「……承知しました。では、別の形で」
別の形。脅しの言い換え。だが、今はそれでもいい。脅しに怯えきるのは、もう昨日までの自分だ。
彼らが去り、廊下が元の静けさを取り戻す。
レオンは振り返らずに言った。
「よく立ってた」
褒め言葉ではない。確認だ。立てたかどうか。立てたなら、次へ行ける。
ルネは小さくうなずいた。
胸の奥がまた溢れそうになる。溢れるのを、息で抑える。
抑えながら、思う。
ここから先は、治される側ではない。
隣に立つ側だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます