婚活相談寓話集

サーシャ

第一話 飯炊き女

 私の結婚相談所に来る人。彼らは便利家電でも買うノリでやってくる。

 その日の入会希望者は都心で働く会社員の男性だった。

「同棲していた彼女と別れてしまったので自分もいい歳なのでそろそろ結婚を見据えたお付き合いに限定したいと考え入会しました」

 A太は一息でそう言った。

「彼女さんと同棲していた期間はどのくらいですか?」

「彼女がまだ新入社員だったころからの付き合いで、そうだな、たしか彼女が二十七歳の年だったからざっと三年程度ですかね」

 私は事前にご記入いただいたプロフィールをデスクのパソコン画面で確認する。

  

  A太

   ・三十七歳

   ・会社員

   ・年収四百~六百万円

   ・趣味、スポーツ観戦とジム通い

  希望の女性のタイプ

   ・年齢二十~三十歳

   ・年収不問

   ・料理が上手な人


 A太は私がプロフィールを見ている間も一人で話を続けている。

「前の彼女はすごく料理が上手で毎日夕飯を作ってくれたんですよ。それがとてもおいしくて。だから次の人も毎日夕飯を作ってくれないと困りますね。自分は自炊ができないんで。できれば前の彼女と同じかそれ以上の腕前の人にして彼女を見返してやりたいというか。彼女いきなり出て行ったんですよ。自分に内緒で荷物を少しずつ新居に送って最後に大きい家具を運び出して。家に帰ったら部屋がすっきりしていて彼女の痕跡何一つ残ってなくて。ビックリしましたよ本当」

「お相手の女性の年収は不問とありますが、共働きが希望ということでよろしいですか?」

「僕が生活費は全て出すので彼女の年収はいくらでも気にしません。彼女が働いた分はお小遣いにしてもらっていいですし」

「もしご結婚された場合のお子様のご希望は

?」

「三人欲しいです。男の子が二人で一番下は女の子がいいな」

 私はキーボードをタイプしてプロフィールに希望条件を付け足していく。ずいぶん勝手なことを言う男だ。しかし、この手のタイプは婚活業界では珍しくない。

 通常は、男性であろうと女性であろうと、相手の異性を紹介するにあたって、アドバイスをしながら婚活を進めるものだが、私の結婚相談所ではそういったサービスはしていない。希望条件が現実と著しく乖離している入会希望者様に対しては、とある特別プランをご用意させていただいている。

「最近の傾向に寄りますと、女性は共働きで家事は折半が希望という方が多くご入会されています。お子様のご希望に関しては、女性はご自身の体や学費のことを踏まえ、一人いればいいという方も見られます。子供が欲しいので早く結婚したいという女性もいらっしゃいますが、そういった方とA太さんは少しお年が離れていますので、相手の女性からご興味を持ってもらえる確率は低くなってしまいます」

 これは伝えなくてもいい事ではあるが、私は念のためかならず全ての方にこのような状況をお話しさせていただいている。

「三十代の前半とかでも全然いいですよ僕は。前の彼女も三十くらいだったので」

私はB美という女性のプロフィールを提示して、パソコン画面をA太に見える向きに変えた。

「こちらの女性はいかがでしょうか?」

 A太はパソコン画面を一目見て大きな声で返事をした。

「いいですね! この人会ってみたいです!」

 その女性のプロフィールは以下の通りだ。


  B美

   ・三十一歳

   ・派遣社員

   ・年収百~三百万円

   ・趣味、料理


 パソコン画面に表示されたB美はヘアカラーをしていない真っ直ぐな黒髪の女性だ。勤め先の規定で髪を染めることができない。垂れ目気味で優しそうな印象がある。いかにも男性が好きそうな家庭的なタイプの女性だ。

「では、B美さんにお見合いのお話をしておきますので、お返事は一週間後ということでよろしいですか?」

「わかりました」

 A太は入会手続きを済ませ、意気揚々として帰っていった。


 後日、A太とB美の初顔合わせがセッティングされた。

提携しているレストランの個室でA太とB美はランチをすることにした。食事後の予定は決まっていない。もう少し話したいと思ったら場所を移動してデートを継続、お断りであれば、ランチのみで解散のつもりだ。

 B美は淡い黄色の花柄のひざ下丈のワンピースにオレンジ色のニットカーディガンという服装で現れた。A太はB美のプロフィール写真と実際に会った印象にあまり差がないことにほっとした。写真のとおり、春のような穏やかで温かそうな雰囲気のままだった。

 A太はジャケットの襟を整え、B美に挨拶をした。

「こんにちは。A太です。今日はお忙しい中ありがとうございます」

「あら、A太さん。B美です。こちらこそ、よろしくお願いします」

 B美は笑うとふっくらした頬の肉が持ち上がり、目がなくなってしまうほど細くなった。A太はその笑顔に安心感を覚える。

「コース料理を予約しておいたので注文はしなくて大丈夫です」

「コース料理を予約してくれたんですか。嬉しい!」

 B美の喜ぶ姿にA太は手ごたえを感じた。

 A太が結婚相談所に登録したのはこれが初めてではなかった。彼女に逃げられ、二週間後くらいにマッチングアプリに登録してみたが、三十代後半とマッチしてくれる女性の少なさに愕然とした。運よくマッチしても、年齢をサバ読んでいたり、子供がいることを隠していたり、ろくな女がいなかった。

 そこで、行政が運営している結婚相談所に行ってみたが、四十代ばかり紹介されてうんざりした。子供が欲しいと言っているのに年上ばかり紹介してくる相談所に何の価値があるのか。紹介料もバカにならず、すぐに退会してしまった。

 そんな流れで比較的、紹介料や月額料金が低く設定されたこの結婚相談所に来てみたが、ここは自分の希望をよく聞いてくれるいい会社だ。この相談所から紹介された女性は一人目だが、すでにA太はB美に惹かれ始めていた。そして、そう思っているのはA太だけではないことがB美の様子を見てもわかった。

「今日は楽しい時間をありがとうございました」

 A太とB美はランチのあともショッピングモ―ルで買い物をして二人の時間を楽しんだ。

 B美が明日は朝早くから仕事の予定があるとのことで、二十時解散となった。駅の改札で、B美は振り返って、A太に丁寧にお礼を言った。

「とんでもない。自分も楽しかったです」

 A太は得意げになりすぎている自分を必死に悟られまいとした。

「あの、次はいつにしますか?」

 B美のその言葉にA太は飛び上がりそうになった。

「次! 次の約束ですね! えっと……」

「今日は私の買い物に付き合っていただいたので、A太さんの行きたい所に行きませんか?」

「いいんですか?」

「はい、もちろんです」

「え、じゃあ……」

 A太は話そうとして言い淀んだ。さすがにこれを言うのはまだ早すぎるのではないか、そんな考えが頭に浮かんだ。

「どうしましたか? 行きたい所、特にないですか?」

 B美が大きな黒い瞳でA太の顔をじっと見つめた。こんなに大きな目をしているのに、笑うとなくなってしまうギャップがたまらなかった。

「B美さんの手料理が食べたいです」

 A太は勇気を出して口に出した。

「え?」

 B美はよく聞こえなかったといった具合に言った。

「あ、やっぱりダメですよね」

「料理ですか? いいですよ」

「え?」

「私、料理大好きなんで、A太さんが食べたい物、何でも作ります」

「本当ですか?」

「もちろん!」

 A太とB美はこのようにして急速に距離を縮めていった。


 半年の交際を経て、A太とB美は成婚退会した。親しい友人と親族のみの小さな結婚式を挙げ、いよいよ二人の結婚生活が始まった。

 A太とB美は双方の勤め先へのアクセスがいい都内のマンションに暮らし始めた。ときどき残業があるA太が家賃と生活費を払い、定時退社が基本のB美が夕飯を作ってA太の帰りを待つ。家事はB美が休みの日にまとめてやることになった。

 B美の作る料理はA太の元カノの腕前をはるかに超えていた。特別な調味料を使っていたりするのかと思いきや、時短テクでごまかしているらしい。野菜を切ることすらしたことがないA太には細かい説明をされてもわからない。休みの日に仕込みをして仕事から帰ったらフライパンで炒めるだけにしているという点だけ理解した。二人分の食材が入る大きな冷蔵庫の冷凍室には肉や野菜の小分けの袋がストックされている。

 A太はこの結婚生活に満足していた。家に帰るとB美が大きな目を細めてニッコリ笑って出迎えてくれる。B美が作ってくれる料理はどれもこれもおいしくてたくさん食べてしまう。B美はA太がよく食べるのが嬉しいのか、A太の好物ばかりを作ってくれるようになった。

 二人の休みが重なる日は必ず一緒にでかけた。映画を見たり、自然公園でゆっくりしたり、話題になっているイベントに足を運んだりした。こんな日がずっと続くのだろうとA太は確信していた。

 ある夜、B美は風邪を引いて仕事を休んだ。

 A太が大口案件のマネージャーに抜擢されたばかりで残業続きのときだった。

 オフィスの壁時計の時刻が二十二時を過ぎているのをA太はかすむ目で確認した。

(この資料チェックが終わったら、さすがに今日は帰ろう)

 A太は十五時に遅めの昼食を食べてから何も腹に入れていない。帰ったらB美の作った料理が食べられると思い我慢していた。B美が風邪で寝込んでいることなどすっかり忘れていた。

 A太は日付が変わるころに帰宅した。

「ただいまー」

 A太は帰ってきてもリビングの電気がつかないことを不審に思った。

「B美?」

 A太はリビングの電気を自分でつけて辺りを見回す。

 誰もいない。とりあえず腹が減って仕方がないのでテーブルや冷蔵庫を覗いて今日の夕飯を探す。が、すぐ食べられるものはどこにもなかった。

「おいB美! 何やってるんだよ!」

 A太は夫婦の寝室のドアを勢いよく開けた。ボサボサの髪のB美がベッドから顔を出す。

「A太さん。おかえりなさい。遅かったね」

「俺の飯は?」

「今日は熱が高くてそれどころじゃなくて」

「は? 何言ってんだよお前」

「朝も料理できる調子じゃないから食べて帰ってきてって言ったよね」

「んなこと知らねえよ。さっさと食えるもん出せよ」

「本当に無理だから自分でなんとかしてくれる?」

「できねえからやってくれっつってんだろ!」

 A太はB美が胸の辺りまでかけている布団を引っぺがしてB美をベッドから引きずり下ろした。

「さっさとやれよ! 俺、先風呂入ってくるから!」

 A太はジャケットとネクタイを脱ぎ散らかして寝室を出た。風呂場に行くと、ここもなんだか様子がおかしい。

「お風呂、今日はシャワーだけにしてくれる? 洗う元気なかったから」

 B美が壁伝いに這ってきて言った。

「はあ⁉」

 A太はB美を押し退けてリビングへ向かった。何でもいいから食べられそうなものを探す。だが、家でゆっくり過ごす時間の少ない二人の家には小腹が空いたとき用のスナック菓子一つ置いていない。あるのは冷凍庫にストックされた、炒めなければ食べられない食材だけだ。

「どうすんだよこれ!」

 A太は冷蔵庫の扉を足で蹴って閉めた。ガタンと大きな音がする。

「俺飯食いに行ってくるから。お前、帰ったら覚悟しとけよ」

 A太はB美が何かを言っているのを一言も聞かずに家を飛び出した。腹が減ってイライラする。こんなことは元カノに逃げられて以来初めてだ。あの時もいきなりすっからかんの家に取り残されて、まともな食事にありつくこともできずイラ立った。

 女というものは無責任だ。風邪を引いたくらいで料理担当という唯一の役割を放棄しやがる。コロナ禍じゃあるまいし、熱が出たくらいで仕事は休めないというのに。A太は腹が減ったくらいで体調不良の伴侶の看病も放棄し家を飛び出している自分のことは棚に上げて怒り狂っていた。

 近所のラーメンのチェーン店で豚骨ラーメンのチャーハンセット餃子付きを平らげたA太は落ち着きを取り戻して帰宅した。深夜まで営業している飲食店があることがどれほどありがたいかと思い知ったのはこれが初めてだった。

 A太が家を出てから一時間ほど経っているはずだ。B美も懲りて風呂くらいは沸かしておいてくれているだろう、とA太はのんきに考える。玄関で鍵を取り出して、ドアを開けっ放しで出てしまったことに気付いた。

 真っ暗な室内に変わった様子はないように見えた。しかし、どこかひんやりとしている。人が住んでいるときに感じる家庭の温かさのようなものを一切感じない。

 リビングの電気をつけると、テーブルに見慣れない物が置かれているのが目に入った。近づいてよく見ると、その隣にはB美の結婚指輪が置いてあるのが見えた。

 それは自動調理器だった。


 A太がB美と別れてから数週間が経った。

 A太は大口案件を無事成約までこぎ着け、会社での信頼が深まったところだった。少しだけ落ち着いた職場で軽い残業を済ませて帰宅すると、A太はエプロンをして冷蔵庫からキャベツと玉ねぎを取り出して大きめのサイズに切り、細切れ肉と野菜と焼肉のたれを自動調理器に入れてスイッチを入れた。グオーンと小さい音を立てて自動調理器が動き始める。

 その間にA太は風呂を洗ってお湯を溜め始める。濡れたズボンは洗濯機で洗えるスーツなのでワイシャツと靴下と一緒に洗濯機に放り込んだ。

 お湯が溜まるまでに体を洗ってしまおうと風呂場の洗い場でお湯の音を聞きながらシャンプーをする。お湯が溜まったら入浴剤を入れて溶けるのを見ながら湯につかる。

 風呂から上がると、肉野菜炒めが出来上がる時間だ。A太はパジャマを着てリビングに戻った。

 プシュっと、小気味いい音をさせながらビールの缶を開ける。飲みながら肉野菜炒めを皿に移す。最後の一かけらはそのまま口に入れた。

 うまい。

 独り寂しい食事だが、これで十分だ。

 A太はビールを飲みながらバクバクと肉野菜炒めをむさぼり、あっという間に食べ切った。

 B美がいなくなった家で、A太は突如出現した自動調理器とB美が残していった仕込み食材のストックを活用してなんちゃって自炊を始めた。最初は冷凍されたままの食材を自動調理器に入れて火が通らず苦戦したが、今では自分で調味料を買ってきて味のバリエーションを考えながら作ることだってできる。ずっと自分は料理ができないと思い込んでいたが、このレベルでいいのならそんなに難しいことではなかったと齢三十八にしてやっと気付いた。もっと早く気付いていたら、B美に食事のことでキツく当たることもなかっただろう。

 だが、今更考えても遅いのだ。元カノが出ていったのも料理のことでケンカしたからだった。二度も同じことでケンカ別れするなら、三度目もきっとそうなるに決まっている。飯のことで争うのはもう懲り懲りだ。自動調理器にやってもらって済むならその方がいい。

 A太はそう思っていた。もう二度と自分は恋愛をすることも結婚をすることもないだろう。年齢も四十近くなり、新しい出会いに心が躍る感覚も忘れてしまった。それ以上に、女性と共同生活をすることで起こりうる衝突と向き合う元気がない。

 だが、これでいいと私は思う。B美を紹介したのもこうした結末が見えたからだ。

結婚を自分が得するためのツールだと思う人にふさわしい相手は現れない。

 人と人が愛し愛され、支え合い、添い遂げることは口で言うほど簡単ではない。

 相手と真剣に向き合うこと、相手の心に寄り添うこと、相手の希望と自分の希望をすり合わせて、二人だけの理想の家庭を築くこと。結婚には相手の人生を幸せなものにするという責任と覚悟が伴う。

 自分だけが得をし、相手に自分の理想だけを押し付けて、相手が何かを言おうものならすかさず黙らせ、自分の欲求に従わせようとする。それでは結婚生活は成り立たないのである。

 相手を幸せにすることで、おのずと自分も幸せになれる。それができるお客様にピッタリな相手を見つける。それが私達、婚活アドバイザーの矜持なのだ。

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