ゴキブリ
イミハ
ゴキブリ
夜の街は、昼よりも正直だった。
ネオンの光は人の顔を隠さず、感情だけを浮かび上がらせる。
十八歳の少年が歩いていると、背後で笑い声がした。
振り返ると、通りすがりのカップルがこちらを見ていた。
ほんの一瞬。
だがその一秒で、少年の中に積み重なっていたものが音を立てて崩れた。
理由は分からなかった。
なぜ笑われたのかも、なぜ腹が立ったのかも。
ただ、「まただ」という感覚だけがあった。
気づけば、足が動いていた。
夜の階段の前で、女が一度だけ振り返る。
その瞬間、少年の中から「戻る」という選択肢が消えた。
――そして、夜は異様なほど静かになった。
*
少年はすぐに捕まった。
取調室で刑事に問われても、彼は混乱しなかった。
「どうして、あんなことをした」
少年は少し考え、こう答えた。
「ゴキブリを殺しただけです」
刑事は言葉を失った。
人だ、と告げられても、少年は首を振った。
「人なら、あんなふうに笑わない」
それは言い訳でも挑発でもなかった。
彼にとっては、ただの事実だった。
*
裁判でも、少年の意見は変わらなかった。
「ゴキブリを殺しただけなのに、
なんでそんな風に思うのか分からない」
悪意はなかった。
後悔もなかった。
ただ、理解がなかった。
被害者遺族は涙ながらに言った。
「あの子には、未来があった」
その言葉を聞いても、少年の表情は変わらない。
「未来があるなら、なんで僕に対してあんな事をしたのか分からない」
笑ったこと。
見たこと。
それが彼の世界では、すべてだった。
二つの価値観は、最後まで交わらなかった。
*
判決の日、法廷は静まり返っていた。
「被告人を、更生不可能と判断する」
「よって、死刑を言い渡す」
十八歳という年齢は、考慮された上で意味を持たなかった。
最後に言葉を求められ、少年は立ち上がる。
「僕が犠牲となり、僕以外のゴキブリの犠牲者がいなくなるなら」
一瞬の沈黙。
「僕のやった事は、大いなる意味があったと思う」
それは信念ですらなかった。
彼にとっては、筋の通った結論だった。
少年は連れられていく。
未来という言葉は、最後まで彼の中に形を持たなかった。
世界が彼を理解できなかったのか。
彼が世界を理解できなかったのか。
その答えは、
どこにも書き残されなかった。
ゴキブリ イミハ @imia3341
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