第6話

 楽屋に戻って、スマホを手に取ったとき、まだ指先が震えていた。

 メイクを落とす前に、フロンターレの試合速報を確認する。

 

 前半終了。

 0―2


 画面を見つめたまま、私はしばらく動けなかった。


 ——負けてる。


 胸の奥が、ざわつく。

 今日、あれだけ応援してもらったあとだからか、余計に。

 時計の針は20時を示そうとしていた。

 今からタクシーに飛び乗れば、後半に間に合う。

 考える前に、身体が動いていた。


「お先に失礼します! お疲れ様でした!」

「え!? 復帰祝に、みんなで焼肉に行くんじゃ?」

「ごめん、また今度!」


 私はあっけにとられるメンバーをよそに、衣装もそのままに楽屋を飛び出した。


 ***


 等々力に着いたとき、スタンドから太鼓の音とチャントを歌う声が聞こえてきた。

 後半が始まって15分が経過していた。


 コンコースの売店でユニフォームとシュシュを買う。


「今日、ハーフタイムショーなんてありましたっけ?」


 私のアイドル衣装を見て、売店のおばちゃんが不思議がる。

 私はニコッと笑うと、何も言わず売店を後にした。


 ゴール裏のコンコースに出ると、すでに空気が重かった。

 美咲の声が、聞こえる。


「下向くな! まだ終わってないよ!」


 拡声器越しの声は、必死だった。

 でも、応援席の反応は鈍い。


「今日は厳しいな」

「二点差はなあ……」


 ——分かる。

 私も、そう思っていた側だった。

 期待しないほうが、楽だから。

 その時、誰かが、こちらを見た。


「あれ、天城ルナじゃない?」


 ざわつきが、小さく広がる。

 

 私は、深く息を吸った。

 美咲の隣まで、駆け下りる。

 美咲が、振り向いた。

 一瞬、驚いた顔をして、次の瞬間、パッと顔が明るくなった。


 私は、拡声器を受け取った。

 手のひらが、汗ばんでいる。


「……コアサポたるもの!」


 自分の声が、スタンドに響いた。


「チームが一番苦しい時こそ、応援するもんだろ!!」


 私の存在に気づいたざわめきが、大きくなり、メインスタンドまで拡がった。


「ウチらは誰だ!?」


 心臓が、早鐘を打つ。


「無冠ターレだの、ウンコターレだの言われても——」


 一瞬、間が空く。

 でも、もう止まらない。


「それでも諦めなかった! 世界一、往生際の悪い——」


 胸一杯に息を吸い込む。


「フロンターレサポーターやろがい!!!」


 太鼓が鳴り響き、歓声と拍手が沸き起こる。

 美咲が、私の隣で叫んだ。


「ホイッスル鳴るまで、後押しするよ!」


 私は、再び息を吸い込んだ。

 小学生の頃みたいに。

 喉が潰れても構わないと思えた、あの頃みたいに。

 美咲と一緒に。


「「フロンターレ!!!」」


 応援席が、動き出す。

 諦めの空気が、少しずつ溶けていく。


 ——ああ。これだ。


 私が、あの日、怖くて手放したもの。

 応援は、裏切られる覚悟と引き換えに。

 誰かを、前に進ませる力になる。

 私は、今、確かにここに立っていた。

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