第6話 「母の愛4」

「じゃあ、行ってくるわね。」

 不安そうに背中を見つめる娘にそう告げた母親は、とある場所へと向かった。


 児童相談所を訪れた母親を、相馬は丁重に面談室へと通す。


 母親が通された面談室にはもう1人、佐々木という男性が居た。髪にはやや白いものが混じっているものの、日焼けした肌は血色がよく皺も少ない。


 佐々木は児童相談所の嘱託医であることを母親に告げ、テーブルの上に一枚の報告書を置く。


「――お茶の中から、微量のエチレングリコールが検出されました」


母親は一瞬、瞬きをした。

それから、ゆっくり笑った。


「……そんな、何かの間違いですよ。

あの子は身体が弱くて、すぐ倒れる子なんです。私はただ――」


相馬が遮る。


「まだ、続きがあるんですが」


母親の表情が、凍る。


「この間、良くないと思いながらも、お茶を出し入れしていた場所もちょっと見させていただきまして」


沈黙。


全てを悟った母親は、ふっと肩をすくめた。


「……だって、仕方ないじゃない」

 その声は、もう“良い母親”のそれではなかった。


「だってあの子、何もできないんです。

 私がいなきゃ、食べることも、話すことも、誰にも必要とされない」


相馬は静かに言う。


「あなたが、そう仕向けた」


母親の目が、鋭く光る。


「違うわよ。私があの子を守ってあげたの。

 周りもみんな心配してくれて、『お母さん、大変ですね』『お母さん、偉いですね』って」


言葉が止まらない。


「『お母さん、偉いですね』って...」

そう繰り返した母親の口角が上がる。


相馬は乾いた目で言う。


「それは、献身的な自分を周囲に認めてもらい自身が満足するために子どもを犠牲にする

−–代理ミュンヒハウゼン症候群−–

という、あなたの心の病気です」


母親は机を叩いた。


「うるさい!」


泣き笑いのような声で叫ぶ。


「私だって、ずっと一人で耐えてきたのよ!

夫もいなくなって、誰も助けてくれなかった!あの子が病気でいてくれたから、やっと私、ここに居場所ができたの!」


相馬は低く告げる。


「あなたは、あの子の“生きる権利”を、奪った」


母親は口を開いたまま、言葉を失う。


「……でも、私がいなきゃ、この子は――」


相馬は首を振る。


「あなたがいなかったら、この子は、普通に生きていた」


母親の肩が、崩れ落ちる。


その夜、児童相談所と警察が動いた。


母親は取り乱さなかった。

むしろ、異様に穏やかだった。


担架で運ばれる娘を見て、微笑んだ。


「大丈夫よ、愛。ママはすぐ迎えに行くから。愛はママのだもの」


 その言葉を聞きながら、少女は相馬の手を、ぎゅっと握った。

 母親を信じきっていた少女の表情には、もはや怯えの色しか残っていない。


少女こと、塚本愛は回復した。


母親と分離した後は、

信じられないほど健康だった。


検査結果は、どれも正常。


彼女はぽつりと言った。


「……私、病気じゃなかったんだ」


相馬は答えた。


「最初から、ずっと」

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名前のないSOS 〜児童相談所ミステリー〜 @nana-to

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