第4話 木の枝を振るう日々と、折れない未来

第4話


木の枝を振るう日々と、折れない未来


 翌朝。

 コクーン公爵家の訓練場には、いつもより早い時間から一人の少女の姿があった。


 エリアルである。


 朝靄の残る訓練場の隅。

 彼女は剣架の前に立ち、しばし考え込んだあと――そこに掛けられている立派な剣には手を伸ばさず、地面に落ちていた細めの木の枝を拾い上げた。


「……これで、やる」


 昨日、師匠が見せた光景が、何度も脳裏に蘇る。


 木の枝は折れず、相手の剣だけが斬られた。


 あれは偶然ではない。

 力任せでもない。

 “技”だった。


「剣よりも強い力を持つ者は、剣を壊す」

「力を制御しろ」


 師匠の言葉が、胸の奥に重く残っている。


 エリアルは深く息を吸い、ゆっくりと構えた。


 ──素振り。


 ぶんっ、と枝を振るう。

 風が鳴り、枝がしなる。


 しかし次の瞬間。


 パキッ


「あ……」


 枝はあっさりと折れ、地面に落ちた。


 エリアルは無言で枝を拾い直し、折れた先を見つめる。


「……だめね。全然だめ」


 振った瞬間、無意識に力を込めている。

 それは剣を持っている時と同じ癖だった。


 エリアルは枝を捨て、別の枝を拾う。


 もう一度、構える。

 今度は意識して力を抜こうとする。


 ──ゆっくり。

 ──当てるだけ。


 ぶん。


 ……今度は、折れなかった。


「……あ」


 小さく声が漏れる。

 だが、喜ぶには早い。


 枝は折れていないが、振りは鈍く、ただ空気を切っただけだ。


「これじゃ、斬れない……」


 強すぎれば折れる。

 弱すぎれば、意味がない。


 エリアルは額に汗を浮かべながら、再び枝を振る。


 折れる。

 折れない。

 折れる。


 気づけば、足元には折れた枝が何本も転がっていた。


 その様子を、少し離れた場所から老剣士――師匠が黙って見ていた。


 声はかけない。

 手も出さない。


 ただ、エリアルが失敗を重ねる姿を見守る。


 昼になり、夕方になり、それでもエリアルは枝を振り続けた。


「……もう一本」


 指先が痛む。

 腕が重い。

 それでも、やめる気はなかった。


 騎士になれない。

 女だから。


 その現実は、変わらない。

 だが――。


「それでも、強くなる方法はある」


 冒険者。

 剣士として生きる道。


 そのためには、今のままではだめだ。


 夜。

 日が落ち、訓練場に誰もいなくなったあとも、エリアルは一人、枝を振っていた。


 月明かりの下。


 ぶん。


 今度は、枝が鳴いた。

 風を裂く音が、ほんの一瞬、鋭く響く。


 枝は、折れていない。


「……今の」


 エリアルは目を見開く。


 力を入れていない。

 けれど、確かに“斬る”感触があった。


 師匠が、背後から静かに声をかける。


「今のだ」


「……!」


 エリアルは振り返る。


「師匠……」


「まだ未熟だがな」

「それでも、初日でそこまでいけば上出来だ」


 師匠は枝を一本拾い、エリアルに差し出す。


「明日もやれ」

「剣は持つな。枝だけでいい」


「……はい!」


 エリアルは枝を受け取り、強くうなずいた。


 その夜、部屋に戻ったエリアルは、手のひらを見つめる。


 赤くなった指。

 少し震える腕。


 それでも、心は不思議と軽かった。


「……絶対に、マスターしてみせる」


 折れない剣を使うために。

 剣に負けない剣士になるために。


 エリアルは、そう誓いながら、静かに目を閉じた。


 ──その修行の日々が、

 やがて“折れない剣”との出会いへと繋がることを、

 この時の彼女は、まだ知らなかった。


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