第16話 4年間の回想の断片
*****
ーひろみを泣せた日ー
二月二十四日、月曜日。振替休日だった。
彼はいつものように、朝早めに家を出た。
昼には、決まってオイルパスタを作る。
その日は豚バラ入りだった。
ひろみは、玄関先で摘んできたパセリを添え、
ふたりは並んで食べた。
確か、季節限定のアイスもデザートで
半分こづつ食べた
これもいつものパターンの1つ。
前の晩、
「今度は何にする?」
「どんなパスタがいい?」
そんなやり取りをするのが、四年間の休日前の習慣だった。
年末から年明け、バレンタイン頃まで。
この時期は、彼が比較的アパートに来やすい季節だった。
出張や忘年会、さまざまな予定が重なる時期で、
「今日は泊まり」「今日は遅くなる」
そう言って、家を出られる日が多かったからだ。
その日の帰りは、いつもより早かった気がする。
はっきりした記憶はない。
ただ、夕方には帰ったことだけは覚えている。
彼は帰宅すると、必ずLINEを送ってきた。
「着💕」
それが、当たり前の合図だった。
*****
彼が帰ったあと、
ひろみはキッチンで洗い物をしていた。
——あれ?
今日、帰宅LINEが遅いな。
そう思ったが、
何か用事があると言っていた気もして、
深くは考えなかった。
二月下旬。
日は少しずつ長くなっていたが、
夕暮れの空気はまだ冷たかった。
澄んだ空気の向こうから、
救急車のサイレンがかすかに聞こえた。
その音に、
ひろみの胸がざわついた。
——あの人、おっちょこちょいだから。
——事故じゃないよね?
LINEを何度も開いた。
いつもの「着💕」は、来ていなかった。
「もう着いた?」
「大丈夫?」
何度か送ったが、返事がこない。
その少しの間。
画面に、
「無事なら、それだけでいい」
と打ちかけて、
ひろみは送信せずに消した。
寒さのせいか、
心が震えはじめた。
気づけば、
マフラーを巻き、車に乗っていた。
彼が帰る道を、
左右を見渡しながら走った。
事故の跡がないか、
無意識に探していた。
とうとう、
彼の自宅があるはずのあたりまで来てしまった。
その間は、長くも、短くも、
とらえようのない時間だった
正確な彼の自宅の場所は知らない。初めて近くまで来た
ただ、住宅街の中を、あてもなく走った。
知らない家並みが、
薄暗い夕方の光の中に続いていた。
——事故なら、病院かもしれない。
そう呟き、
車を逆方向に走らせた。
病院まで、三十分以上。
その道すがらも、
事故の痕跡を探し続けた。
心がざわつき、時間が長く感じた
病院に着いて、
ひろみは立ち尽くした。
彼の名前を出して、
事故で運ばれていないか、
そう尋ねることができなかった。
たとえ入院していたとしても、
自分は「他人」だ。
以前、彼に言った言葉が浮かんだ。
「もし、あなたが入院しても、
危篤でも、私は会えないんだよね……」
そのときの、声の震えまで思い出した。
ーーーーーー
ポロロン、とLINEが鳴った。
「ごめんごめん。もう着いてる。
今日は帰るの早かったから、遅くなった。
でもさ、少し前に送ったんだけど……
届かなかったんだね。」
画面を見つめたまま、
ひろみは大きく息を吐いた。
安堵と一緒に、
全身の力が抜けた。
ーーーーーー
その夜、いつもの電話で、
走り回ったこと、心配したことを話した。
「知らないのに自宅まで来たんだ」、
ひろみの心配さが身にしみた
彼は何度も言った。
「ごめんね。悪かった。ほんとにごめん。」
最後は、
「事故じゃなくてよかった、、、本当に」
その一言で電話は終わった。
その夜、
アルバムに残った写真には、
昔、彼女のリクエストで作った
「ぶすこく」のスタンプが添えられていた。
今まで、
アルバムにそんなスタンプが付いたことはなかった。
——ああ。
泣かせてしまったんだな。
彼は、そう思った。
二月の、
静かに冷えた休日のことだった・・・
***
二人でオイルパスタをつくる日課
食べたあと、
ひろみが好きな新しいコップで冷たい水を飲みながら、
「ね、なんか味違うよね」
とひろみが言った。
そのまま肩を寄せて、
ふたりで同じコップを回して飲んだこともあった。
コップを手に取ったときの、
ひろみの指の温度が
今でもなぜか残っている気がする。
ある時から、ひろみのからだをほぐす、マッサージをした
彼はソファーに座り、ひろみは、膝によりかかり
肩、腰、背中、足と
「肩凝ったてたりしたことあるけど、もんでもらうと
こんなに気持ちいいんだ。初めて知った・・・」と
喜んだ。
足つぼだけは、いやがったが、
その反応もじゃれ合っている猫のようで好きだった
彼は、このマッサージがなんでかとても好きだった。
それは、ひろみに触れていられるという安心感でもあり
ひろみが、こころから緩んでいく恋の感覚か。
「・・・ああ、眠くなっちゃった。」と膝によりかかり
ほんの少しだけ眠った。
背後から、ひろみをハグし、ほんのすこし彼も寝た。
この時間は、彼にとって、最も記憶に残っている。
それは、安心感でもあり、恋や愛のようでもあり、
二人が溶け合っている瞬間のように思えていた。
指先のあの温もりが、蘇り、胸を締め付けた。
***
そしてもうひとつの記憶・・・。
クラウドに保存されたイラストレーターの『ひろみの作品たち』。
最初にイラレを教えたとき、
ひろみは「向いてないよ~」と言いながら、
真剣に線を引いて、
下手でも誇らしげに送ってきた。
「これ、できたよ」
と言うメッセージの横には、
たどたどしいサンタやリースのキャラクター。
彼はそのつど、
「うまくなったな」
「色づかいがいいね」
と本気で褒めた。
褒められるたび、
ひろみは照れて頬を染めた。
別れた後でそのクラウドを開くと、
作品フォルダの最初のサムネイルが、
胸をえぐるように彼を見つめ返してきた。
そこには、“恋が始まった頃のひろみ”が確かに生きていた。
ひろみと共有した数々の作品、
Illustrator のクラウドに保存された
二人の作業の記録がそこに残っていた。
ひろみが初めて
「こういうの、可愛いと思うんだけど…どう?」
の絵。
二人で何度も修正して、
形を変え、色を変え、
ひろみが満足した瞬間に
ふっと笑ったあの顔。
優しさと努力と、
小さな愛情が詰まっていた。
その記憶が、
彼を救い、
そして同時に深く傷つけた。
ただ、
“しまう場所を変えよう”
と静かに思っただけだった。
彼は、十分といえない4年間もひろみとの愛情は、不完全であっても、
確かなものだったと自らに言い聞かせることで納得させようとしていた。
区切りのために書いた手紙の最後のフレーズ
ひろみのたくさんの愛とやさしさを、本当にありがとう。
ひろみが静かな幸せに包まれますように。
を小さく呟いた、、、、。
***
二人でオイルパスタをつくる日課
食べたあと、
ひろみが好きな新しいコップで冷たい水を飲みながら、
「ね、なんか味違うよね」
とひろみが言った。
そのまま肩を寄せて、
ふたりで同じコップを回して飲んだこともあった。
コップを手に取ったときの、
ひろみの指の温度が
今でもなぜか残っている気がする。
デザートは、季節限定のアイス
「これ美味しそうだから、買ってきた・・」
二人で肩並べ、半分こづつ、交互に口にした・・
それらの記憶が
彼の胸には痛いほど沁みた。
***
ある時から、ひろみのからだをほぐす、マッサージをした
彼はソファーに座り、ひろみは、膝によりかかり
肩、腰、背中、足と
「肩凝ったてたりしたことあるけど、もんでもらうと
こんなに気持ちいいんだ。初めて知った・・・」と
喜んだ。
足つぼだけは、いやがったが、
その反応もじゃれ合っている猫のようで好きだった
彼は、このマッサージがなんでかとても好きだった。
それは、ひろみに触れていられるという安心感でもあり
ひろみが、こころから緩んでいく恋の感覚か。
「・・・ああ、眠くなっちゃった。」と膝によりかかり
ほんの少しだけ眠った。
背後から、ひろみをハグし、ほんのすこし彼も寝た。
この時間は、彼にとって、最も記憶に残っている。
それは、安心感でもあり、恋や愛のようでもあり、
二人が溶け合っている瞬間のように思えていた。
指先のあの温もりが、蘇り、胸を締め付けた。
***
そしてもうひとつ。
クラウドに保存されたイラストレーターの『ひろみの作品たち』。
最初にイラレを教えたとき、
ひろみは「向いてないよ~」と言いながら、
真剣に線を引いて、
下手でも誇らしげに送ってきた。
「これ、できたよ」
と言うメッセージの横には、
たどたどしいサンタやリースのキャラクター。
彼はそのつど、
「うまくなったな」
「色づかいがいいね」
と本気で褒めた。
褒められるたび、
ひろみは照れて頬を染めた。
別れた後でそのクラウドを開くと、
作品フォルダの最初のサムネイルが、
胸をえぐるように彼を見つめ返してきた。
そこには、“恋が始まった頃のひろみ”が確かに生きていた。
ひろみと共有した数々の作品、
Illustrator のクラウドに保存された
二人の作業の記録がそこに残っていた。
ひろみが初めて
「こういうの、可愛いと思うんだけど…どう?」
と恥ずかしそうに見せてきたクリスマスサンタとトナカイの絵。
二人で何度も修正して、
形を変え、色を変え、
ひろみが満足した瞬間に
ふっと笑ったあの顔。
優しさと努力と、
小さな愛情が詰まっていた。
その記憶が、
彼を救い、
そして同時に深く傷つけた。
ただ、
“しまう場所を変えよう”
と静かに思っただけだった。
彼は、十分といえない4年間もひろみとの愛情は、不完全であっても、
確かなものだったと自らに言い聞かせることで納得させようとしていた。
区切りのために書いた手紙の最後のフレーズ
ひろみのたくさんの愛とやさしさを、本当にありがとう。
ひろみが静かな幸せに包まれますように。
を小さく呟いた、、、、。
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