第五章 今も再生し続ける神

 コトシロヌシは、死んだまま終わらなかった。


 美保神社では、毎年、彼の「死と再生」が儀礼として再現されている。四月七日の青柴垣神事、十二月三日の諸手船神事。神話の時間は、祭りの中で繰り返し現在に呼び戻される。


 青柴垣神事では、当屋が「死者」としての化粧を施され、青柴垣で飾られた船に乗って沖に出る。そして浜に戻ってくる。死んで、蘇る。


 この「死と再生」のモチーフは、世界中の神話に見られる普遍的なパターンだ。


 エジプトのオシリスは、弟セトに殺され、バラバラにされ、妻イシスによって復活した。ギリシャのアドーニスは、毎年死んで、毎年蘇った。メソポタミアのイナンナ(イシュタル)は、冥界に下り、死んで、帰還した。


 これらの神話は、農耕儀礼と結びついていることが多い。種は地に蒔かれ、「死に」、やがて芽を出して「蘇る」。季節の循環、生命の再生。


 コトシロヌシの場合は、農耕というより、海との関係が深い。


 彼は美保の岬で魚釣りをしていた。水底に隠れた。そして後世、漁業神・海神として信仰されるようになる。


 恵比寿(エビス)である。


    ◆


 恵比寿信仰とコトシロヌシの習合は、中世以降に進んだとされる。恵比寿は、もともと「客(まれびと)」としての神、海の彼方からやってくる福の神だった。漁村では、浜に打ち上げられた鯨やイルカ、あるいは水死体を「エビス」と呼んで祀る習俗があった。


 海から来るもの。海に消えたもの。


 コトシロヌシが水底に隠れ、そして恵比寿として復活する。


 これは、日本的な「敗者の神化」の典型でもある。国を譲った神が、福の神になる。怨霊が鎮められて守護神になる。菅原道真が天神様になるように。平将門が神田明神に祀られるように。


 敗れた者、死んだ者が、祀られることで力を発揮する。日本の信仰世界では、これは珍しいことではない。


    ◆


 国譲り神話の「謎行動」は、こうした重層的な意味を担っていたと考えられる。


 政治的意味として、服属の儀礼的表現。抵抗なき国譲り。

 宗教的意味として、顕界から幽界への移行。見える世界から見えない世界へ。

 儀礼的意味として、境界(リミナリティ)を示す象徴的行為。逆転、反転。

 比較神話学的意味として、死と再生の普遍的モチーフ。剣神信仰との連続性。


 記紀の編纂者たちは、おそらくこれらすべてを意識していた。政治的に最も繊細な箇所だからこそ、単純な記述では済ませられなかった。古くから伝わる儀礼的所作を書き込むことで、国譲りに宗教的・神話的な正統性を与えたのだろう。


    ◆


 最後に、吉田敦彦・大林太良の研究に戻ろう。


 彼らが『剣の神・剣の英雄』で示したのは、日本神話の剣神と、印欧語族の剣神信仰との構造的連続性だった。タケミカヅチとバトラズ。神剣と海。雷と鍛冶。


 この連続性が、直接の「伝播」によるものか、人間の普遍的心性による「収斂」なのか、それとも両方なのか。確かなことは言えない。


 しかし、確かなのは、国譲り神話の「謎行動」が、日本だけの孤立した現象ではないということだ。


 剣を立てて神威を示す。

 水に消えて再生する。

 逆転の所作で境界を示す。


 これらは、人類が古くから共有してきた象徴体系の一部なのだ。


 コトシロヌシは、今も美保神社で祀られ、青柴垣神事で毎年「死んで」「蘇って」いる。


 神話は、過去の出来事ではない。

 繰り返される現在なのだ。

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