第1話 『非通知着信のラストコール』中編①

 ようやく目を覚ました時には既に昼になっていた。起きたというのも自然なものではなく連打されたインターフォンの音によるものだった。掛け忘れていたアラームよりも大きな音が部屋に響いている。

「待って起きる分かったもうやめて壊れるから!うちのやつ結構ボロいんだ……って」

「おはよう透明さん。早速だけど、今から現場検証と聞き込みに行こう」

 事務所のドアの隙間から、凪冴くんが押し売りよろしく顔を覗かせ圧を掛ける。スーツなだけあってセールス業者みたいだ。

「凪冴くんおはよう、意外と君って強引なんだね」

「俺から呼びに来ないと透明さんは一生捜査を始めないんじゃないかって思って」

 ご名答、その通り。「捜査を続行する」なんて豪語し、凪冴くんとはバディ契約まで結んだにも関わらず今の俺は全くこの事件の捜査に気乗りしていなかった。

 葬儀に出るまでは何となく「まぁやってもいいかな」などと思っていたのだ。一晩明けてみれば、誰かに依頼されている訳でもなくあのクソ親父の死について自ら調べることが、少し馬鹿らしくなってきている。それを見透かすように凪冴くんの眼鏡が光を反射した。

「俺としては透明さんがどうしようとどうでもいいんだけどね。事件が解決したところで俺自身には何の得もないし」

「じゃあ放っておいてくれたって」

「なんて言うんだろう、これは本当に何となくの話だけど。昨日帰っていく透明さんがあのままどこかに消えちゃいそうだったんだ」

 つくづく凪冴くんはお人好しだ。俺は彼にとってただの従兄弟に過ぎないだろうに。それでも何となく言わんとしていることは理解できた。物好きな彼の為に、もう少しだけこの事件について調べてみてもいいという気持ちが浮かんでくる。

「それで確認の為に事務所を訪ねてきたと」

「そう。案の定寝ていてホッとしたよ。いるなら一緒に捜査も出来るし」

「メリットないんじゃなかったの」

「調べてみたんだけど、バディシステムの中での検挙も一応警察としての検挙率に加算されるらしい。俺自身にはないけど、職場に対してはあることになる」

 凪冴くんはそう言うと扉をこじ開けてそのまま事務所の中へと入ってくる。俺の支度が出来るまでソファで待つつもりらしく、二人がけのそれにゆったりと座った。もう勝手知ったりといった感じだ。それどころか目が合うと「早く着替えろ」と催促すらしてくる。

 俺は大人しく身支度を整えた。コインランドリーで乾かして、そのまま積み上げた衣服の山から必要なものを引っ張り出す。似たような服しか持っていないため、見た目はほとんど変わっていない。

「さて、準備は出来たけど。さっき現場検証と聞き込みって言ってたよね。前者はともかく、後者は一体どこからとかなんにも考えてないよ」

「そこは一応こちらも警察ですから。情報としてはいくつか当てがあるんだ。例えば……証言をした人に改めて話を聞きに行くとか」

「決定打になった人だもんね。それは確かに聞いておきたいな。警察がいるって言うならアポも取りやすそうで助かるなぁ」

「そこは程よく都合いい感じで。現場自体ももう自由に入れるようになってるんだ。だからあまり目ぼしいものが残ってるかは分からないけど」

 確かに最初に警察に呼び出された時以来、現場には行っていない。あの時もじっくりは見ることが出来なかった。重要な証拠があれば警察が既に動いているだろうから望みは薄いが、行ってみる価値はあるように思う。

「なら決まりだね。目撃証言をした人には今日すぐ会えるかは分からないし、焦らず行こう」

「……実はもうその人にはアポを取ってるんだ」

「まったく凪冴くんという人間の行動力には驚かされるよ」



「一人目は良澤佑一郎(よしざわゆういちろう)さん。事件発生時をちょうど目撃した人で、亡くなった密川秀章さんとは面識はないらしい」

 凪冴くんの解説を聞きながら街を歩く。その良澤さんという人の住むアパートに向かっている最中だ。平日の昼過ぎということもあって住宅街の道は寂しい。私服とスーツの人間が二人並んでいるのは少し変な感じがした。

「親父の死んだところを見たなんて気の毒だよ。夢に出てないといいけど」

「生きていてそうそう無いことだからね。一応こちらも慎重に行こう」

「そうだね」

 変なことを言って捜査に協力して貰えなくなったら大変だ。探偵にも捜査権はあるとは言え、この聞き込みは完全な任意だからだ。

「着いたよ。ここが良澤さんの家だ」

 辿り着いたアパートは良く言えば風情のある、悪く言えばオンボロな外観だった。ひび割れた壁に蔦が這っている。目撃者の住む二〇一号室を目指し、錆びた階段を登った。

「すみません、朝お電話した警察の者です」

 黄ばんだインターフォンを鳴らし、声を掛ける。俺も探偵としてこういったことにすっかり慣れているが、刑事さんと共に聞き込みというのは初めてだったことに今更気が付く。

 僅かな静寂の後、物音がして扉が開いた。中から背の高い、六十手前くらいの男性が出てくる。穏やかで人の良さそうな印象を持った。

「わざわざどうも。この間の事件についてですよね」

「そうです。一応確認の為にもう一度お話を伺いたく」

「まぁ特に話すことは同じなんですけどね。良かったら中へどうぞ」

 手帳を見せながら凪冴くんはそのまま中へ入っていく。俺はと言うと一連の流れがあまりにスムーズで拍子抜けしていた。いつも大概嫌な顔をされ、下手をすると変な間違いで出会い頭に殴られる。アポイントメントをちゃんと取っているにも関わらず、だ。

「俺は捜査一課の者で、こっちの彼は探偵なんです」

「探偵ですか。それはまたどうしてです?結局事故として扱われたと、他の刑事さんから聞いているんですが」

「……少し個人的に気になる点がありまして。こちらの刑事さんにも協力して貰ってるんです」

「そうだったんですね。お疲れ様です」

 念の為懐から探偵証を取り出して軽く提示する。この街ではこれが俺を探偵だと証明する唯一のものだ。

 「狭いですが」と前置きをしながら良澤さんはローテーブルに俺達を通した。ローテーブルと言うよりこれはちゃぶ台に近いだろう。男三人が円を囲んで胡座をかいて座ることになった。

「それで早速なのですが、事件発生当時の時のことをお聞かせ願えますか?」

「分かりました。事件、いえ事故が発生した時私はパチンコの帰りでした。毎日夕方になると駅前に打ちに行くのがルーティンなんです。その日は結構勝って、ほくほくで帰っていた道中にあの男性が転落するところを見たんです」

「それは何時頃のことでしたか?」

「二十二時過ぎだったでしょうか。詳しくは覚えてないですけど、いつも二十二時になる前に行きつけのパチ屋を出るんです」

 俺は淡々と交わされる彼らの会話を黙って聞いていた。雑多に物が散らばった室内が目に入る。やたら紙袋や何かの空箱が多い気がする。部屋の狭さからして一人暮らしのようだった。

「どこで目撃しましたか?」

「駅前の歩道橋の事故現場の、ちょうど反対側です。その時は転落というかただ転んだだけのように見えたので、そのままその場を立ち去ってしまいました。その後人と会う約束もありましたし……」

「まさかそのまま亡くなっていたなんて」と良澤さんは表情を曇らせた。暗がりでよく見えなかったのだろう。約束があって急いでいたのなら余計に仕方の無いことのように思う。話を聞く限りは俺も、あの親父に天罰が当たったくらいに感じている。

「誰かに突き落とされた風ではなかったんですね?」

「そのようには見えませんでしたね。遠目ですが、階段を上っている際に踏み外して転んだように見えました。と言っても歩道橋の上に他に人がいたかどうかまでは見てなくて、すみません」

「謝らなくても大丈夫ですよ。普通の人は見ていないことですし。それからこれは形式的な質問なのですが、その時歩道橋付近で貴方を目撃している人は誰かいましたか?」

「手前の道路脇で作業をしている人がいたので、その整備の人だったら見ているかもしれません。実はお恥ずかしながら、その時立てられていたバリケードにつまづきまして。派手にすっ転んだので覚えられているかと」

 話を聞きながら、俺は出されたお茶を一口飲む。熱かったそれが猫舌の俺にちょうどいい温度になっていた。詰め込んでいた情報を整理しつつ流し、会話に混ざる。

「あの、横からすみません。良澤さんって夕方パチンコを打ちに行くのがルーティンだと仰ってましたよね。それまではいつも何をされているんですか?」

「近くの病院やビルの清掃です。朝からやって昼過ぎには終わるので、家に帰ってひと息ついたら夕方には繰り出すんです。正職員という訳では無いのでいつも一人で暮らすにもカツカツですよ」

「元々何かのお仕事をされていたとかは……」

「十年ほど前までは会社員でした。ただ勤め先が倒産しましてね、この有様です」

 困ったような笑みを浮かべて良澤さんは肩をすくめる。同じような境遇でも、酒に溺れて他人に迷惑を掛けていた親父とはすごい違いだ。

「他に聞きたいことはない?」と凪冴くんが耳打ちしてくる。良澤さんが話すのが上手い為か現時点では十分なように思い、頷いた。

「ありがとうございます。とても参考になりました」

「いえいえ、お役に立てましたら幸いです」

「また何かご連絡するかもしれません。それと、もし些細なことでも思い出したことがあればお電話ください」

 そのまま良澤宅を後にした。話を聞くと確かに警察の判断は正しいように思えた。カンカン、と音を立てながら階段を降りていく。やや静寂が続いたが、それを凪冴くんが破った。

「透明さん、どうだった?」

「うーん、確かに言葉通りなら事故ということになるのは分かるんだけど。なんだろう、何かが引っかかるような」

 言葉では上手く言い表せない靄が喉元に引っかかっていた。明確な違和ではないものの、どこかスッキリしない。それがあの親父の関わる事件だからなのか、客観的なものなのかすら分からないままだった。

「そっか。まだ一人目だから、もしかしたら他の人の話を聞いたら何か変わるかもしれない」

「一人目ってさっきの人が事件当時の目撃証言者でしょ、他にもまだいるの?」

「あと二人いるよ。ちゃんと両方連絡済みだから、このまま行こう」

 どこまでも抜け目のない男だ。しがないただの探偵一人だとこうもいくまい。彼をバディにして正解だった、としみじみと感じた。

 まだ日差しは高く、緩やかな風が住宅街を通り抜けた。なんとなく地に足の着いていなかったような感覚から、ようやく現実だと実感する。事件の捜査が進み出していた。




「次は商店街かな。この道を真っ直ぐ行ったら着くはず」

 俺たちは二人目の目撃証言者の元へと向かうため、再び歩いている。小学生は放課後になっているらしく、途中にある児童公園では子供が駆け回っているのが見えた。横を通る時、ふとその中から声を掛けられる。

「ねぇおにいちゃんたち、いっしょにボール探してー」

「さっき飛んでっちゃったんだけど、ぜんぜん見つからないの!」

「ボール?」

 半袖短パンの男児達がわらわらと入口に集まってきた。人懐っこい子達だ。自分の幼少期とは真逆の存在で、眩しさすら覚えてくる。

「ボールか、外には飛び出してないんだね?」

「うん、公園の中にはぜったいある!」

 凪冴くんは柔和な笑みを浮かべて彼らに目線を合わせて自然に話している。職業柄こういったことにも慣れているのかもしれない。適材適所と言うやつだ。俺はその間に公園を見渡した。

 それはあっさり見つかった。サッカーでもして蹴り上げたのだろうか、ゴムボールは木の上に乗っている。なるほど、子供の目線からだとどこにあるか分かりづらいようだ。

「あったよ凪冴くん」

「ほんと?ほら探偵のお兄ちゃんが見つけてくれたよ」

「おにいさん探偵なの!?カッコイイ!じゃあなぎさは?」

「俺はお巡りさん。刑事って分かるかな、事件を捜査するんだ」

「カッケー!」と子供達から歓声が上がる。いつの間にか凪冴くんは呼び捨てで呼ばれている。いくらなんでも仲良くなるのが早すぎないか。

「じゃあなぎさがボール取ってよ、こないだ交番のおまわりさん取ってくれたから」

「えぇ……仕方ないな。透明さん、どこら辺?」

「あそこ。木の上の右の方」

「ありがとう」

 幼い期待に応える為、凪冴くんは眼鏡の位置を正し腕捲りをしながら幹の近くへと向かった。そう言えばボールは、やや高い位置にあったような。俺ですらつま先立ちになってやっとというくらいだ。そして凪冴くんは俺よりも背が低い。

「……凪冴くん、俺代わろうか?」

「失礼な。俺だって届きますよ……っと」

 彼は背伸びをして手を伸ばし、更にジャンプしてボールを弾いた。そのままボールは宙に浮き、地面に着地して数回跳ねる。子供達からは賑やかな歓喜の声。

「ほらね」

「さすが、カッケー刑事さんだね」

「……透明さんがカッコイイ探偵ですぐ見つけてくれたから」

 凪冴くんは今更照れ隠しのように顔をボールの主達の方に向けた。時折こういう彼の人間らしいところが垣間見える。俺はそれを結構羨ましく思っていた。

「さて、気を取り直して」

「そうだった、まだ途中だったね」

 子供達に熱烈な礼と共にピカピカの丸い石などを貰って公園を後にする。危うく目的を忘れるところだった。俺たちは事件の捜査中で、近くの商店街を目指している。



「二人目は弍本和可(にもとのどか)さん。商店街にある花屋『NIMO』の店員で、秀章さんの生前の姿を目撃してる」

「親父、花屋に寄ってたの?」

「購入目的というより、『電話帳を貸してほしい』って頼まれたらしい」

 電話帳。いわゆる自宅や企業の電話番号が記載されている紙媒体のものは既に廃止されている。では何のことかと言うと、この街に多く存在する探偵事務所の名前や電話番号が載っているもののことを指す。無論、この街の中でのみだ。

「俺が探偵ってことを知って、電話を掛けようとしたのかな」

「その可能性が高いかも。実際その日の夜には透明さんに掛けてる訳だし」

 そんなことを話していると、小さな花屋に辿り着いた。ナチュラルな落ち着いたデザインの看板が掲げられ、色とりどりの花々が顔を覗かせている。

「こんにちは。今朝お電話した警察の者ですが」

「あぁ!お待ちしてましたよ。お店の奥でお茶入れますね」

「いえ、すぐ終わりますのでお構いなく」

 出てきたのは元気はつらつ、といった感じの雰囲気の三十代前半の女性だ。お団子にした茶色い髪にはっきりした目元、そしてオレンジのエプロンが明るい印象を感じさせる。

「分かりました。えっとこちらは……」

「探偵です。ちょっと今回の事件を捜査してまして」

「あら、そうなんですね。ちょうど事件当日にこの辺り探偵事務所について聞かれたんですよ」

「それは被害者の男性に?」

「そうです。『電話帳はあるか』って聞かれて渡して……。それから『この辺で一番近い探偵事務所はどこか』って。確かこの商店街に一件あったのでそこをお伝えしたんですけど、結局逆方向に行っちゃいましたね」

 やっぱり俺の事務所を探していたんだろうか。インターネットで検索をかけても出てくるのに、何故電話帳なんかで探そうとしていたのかは分からない。そもそも彩人とは連絡を取っていたのなら、あいつに聞けばいいじゃないか。ぐるぐると思考が回る。その間に、凪冴くんは淡々と質問を投げかけていた。

「何時頃に来られたかは覚えてますか?」

「確か二十時前だったような。そろそろ店じまいの時間で、片付けをしていましたから、確実だと思います」

「その時何か変わった様子はありましたか?」

「うーん、急いでいるようだった気がします。切羽詰まっていたというか。電話帳を渡した時奪い取るように受け取られて、ちょっとびっくりしました」

「それはすみません」

「えっと、どうして貴方が?」

「いえ何でも」

 絶縁していたとはいえ身内の失態に反射的に口が動いていた。あの男は他の人にも横柄な態度を取っていなかっただろうか。酔いが回った親父のかつての言動が思い出される。あんなのは単なる悪夢であれば良かった。

「服装や何を持っていたかは覚えていますか?」

「細かい服装までは覚えてないんですけど、深緑のコートを着ていたような。持ち物もあまり覚えてなくて。……あぁでも、スマホを握りしめていましたね」

「ふむ、スマホですか。ありがとうございます」

 一通り警察として話を聞いた凪冴くんが俺に目配せをしてくる。彼はきちんと証言者本人の口から話を聞き出してこちらに振ってくれる。どことなく特有の兄らしさを感じた。

「すみません。話が戻るんですが、商店街の探偵事務所の逆方向って、どっちの方向ですか?」

「あぁ、ここを出て右です。駅の方に向かわれました。探偵事務所はこの店の二軒左にあるんです」

「なるほど、ありがとうございます」

 駅の方というのは、事件現場の方向だ。ここの商店街を通って向かったというのは間違いなさそうだ。

 これ以上は特段捜査に関係ありそうな質問はない。けれど最後に少し気にかかったことをどうしても聞いてみたくなった。

「亡くなった男は貴方やこのお店にご迷惑になるようなことはしませんでしたか?ひどく酔っ払っていたとか……」

「いいえ、かなりお酒は飲んでらしたようですけど、特には大丈夫でしたよ。電話帳も見終わったらお礼を言って、手渡して返してくれましたし」

「そうでしたか」

 それを聞いて何故だか安堵の気持ちが込み上げてくる。先程の不安は当たらなかった。その辺の分別は付いていたらしい。そう言えば両親共に外面はとても良かった。そのせいで俺のことを指摘されることも、ほとんど無かったのだけど。

「お話、ありがとうございました」

「また何かあったらいつでもご連絡ください。進展あると良いですね」

「ありがとうございます。……そうだ」

 俺はまたふと思い立って口を開く。

「小さい花束を作って貰えませんか?二千円くらいの、白い花が多めだと嬉しいです」

「かしこまりました。ちょっとお待ちくださいね」

 柄にもないことをしているのは分かっていた。あのクソ親父への手向けの花なんて。ただやや騒がしくなった胸のざわめきが、こうすることで収まる気がした。凪冴くんはそれにうっすら気付いているのか、店の外からこちらに柔らかな視線を向けてくる。

「こちらでどうでしょう?」

「すごく綺麗です、これでお願いします」

 白く鈍い光を放つような百合が束ねられていた。小さなそれを大事に受け取った。代金を支払い、一礼して店を後にする。

「お待たせ。次行こうか凪冴くん」

「行こう。……それ、良い花束だね」

「うん。でもちょっと俺が持つには無垢すぎるかもしれない」

「俺から見れば透明さんにぴったりに見えるけど」

 凪冴くんは少し目を細める。そのまま俺と花束を交互に見るものだから、気恥ずかしくなってしまう。先に歩き出して強制的に視界から移動してしまうことにした。

「透明さん、そっちは逆方向」

 どうもこういう時、俺は上手くいかない。



「最後、三人目は不動実(ふどうみのる)さん。彼は当日現場付近で道路の整備をしてた一人なんだ」

「不動さんも親父の姿を目撃してるってこと?」

「いや、秀章さんに関しては見たような気がする、という程度らしい。どちらかと言うと最初に話を聞いた良澤さんの目撃者の方なんだ」

 そう言えば彼は工事現場でつまづいたと言っていた。その時近くにいた整備員が不動さんということらしい。

 そう説明を聞きながら駅の方へと歩いていく。整備を請け負っていた会社は商店街と駅の間にあるらしい。進むにつれてビルやマンションが増えていく。空も夕暮れに近づいて、色を変え始めた。

「さて、このビルの二階に事務所があるらしい。一旦挨拶しに行こう。……透明さん、心の準備はいい?」

「出来てるよ」

 何故か今まで無かった確認を挟みつつ、やや段の高い埃っぽい階段を上っていく。凪冴くんはこの程度ではエレベーターを使わないようだった。たかが一階、されど一階。俺はすっかり息が弾んでいた。

「すみません、お電話していた警察の者ですが」

「えっと……はいはい!不動に話があるんですよね。今一階の駐車場にいるんですよ」

「分かりました。ありがとうございます、失礼します」

 凪冴くんは少しも顔色を変えないで、そのまままた階段を降りていく。俺も置いていかれまいと慌ててその後を追った。

 ビルの一階はほとんどが駐車場になっており、整備用の大きい作業車も止まっていた。そのうちの一台にもたれかかって一服している男性が見えた。

「あの、不動実さんですよね。お電話した警察の者です」

「どうも」

 不動さんは軽くこちらを一瞥すると、「勝手に聞け」という風に煙草を咥える。短く刈り上げた黒髪に狐のような目。三十代後半に見えるが独特の威圧感があった。探るような瞳をこちらに向けてきている。先程の凪冴くんの謎の確認の意味を理解した。この人は少し厄介そうだ。

「えー俺は探偵です。この事件の捜査をしていまして」

「探偵ねぇ。アレ事故だったんでしょ?」

「えぇまあ。念の為の再捜査といったところです」

「まあいいけど」と言って興味の無さそうな顔をされる。一体なんだったんだ。俺はいたたまれなくなり、代わりに凪冴くんが口を開く。

「あの事件の日、貴方は駅前の道路整備をしていたんですよね。その時交通整理を担当していたとか。以前お話して頂いたと思いますが、どんな人を見たかお聞かせ願えますか?」

「あん時は人通りもそれなりにあった日だから全部は覚えてない。前聞かれたのはすっ転んだオッサンの話だっけ?」

「……そうです」

「バリケードに蹴つまづいたオッサンははっきり覚えてる。『どんくせぇな』って思ったし。確か二十二時過ぎだったか。休憩に行ったもう一人がなかなか帰ってこなくて自分の時計をよく見てたんだ。あぁ、被害者のオッサンに関してはほとんど覚えてないよ。暗かったし」

「そのバリケードで転んだ方がその後、どこに向かったかは見られていましたか?」

「いや、それ以上は見てない。駅のホームがある方に歩いて行ったとは思うけど」

 だとすると間違いなく良澤さんはその時間辺りに歩道橋の横を通っている。双方に面識は無いようだし、証言の信憑性が高まった。

「作業はいつからされていたんですか?」

「その日は夕方からずっとだよ。事件の前日から三日間、そのくらいから深夜にかけての作業だったから」

「では事件が起きた時も?」

「そうだな、気付いたら道挟んだ向こう側に救急車やらパトカーやらが集まってて。俺達もそこで警察から何か見てないかって聞かれたけど、誰も自分の仕事してたから見てなかったんだわ」

「もういい?」と不動さんは時計を気にして苛立ってきているようだ。恐らく疚しいことがある訳ではなくて、単に時間を取られるのが嫌らしい。気持ちは分からなくもない。凪冴くんからのアイコンタクトはどこか申し訳なさそうだ。

「あの、最後にこれだけ。事件当時何か大きな音は聞こえませんでしたか?」

「いいや。こっちは整備してたから聞こえる訳ないよね?」

「そうですよね。ありがとうございます」

 何度か礼をしてそのまま逃げるようにしてその場を後にする。不動さんも車を離れ、ビルの中へと入っていった。俺達は二人とも意味もなく早歩きで移動し、ビルからやや離れた自販機の前で立ち止まる。陽はゆっくりと傾いていた。

「……結構癖のある人だったね」

「そうだね。事件当時目撃してないか聞いた時もあの対応だったらしくて。その時は『仕事を中断されたからなのかも』とか思ってたけど、多分単にああいう人っぽい」

 最低限濁しながら、探り合うように不動さんの印象をかたどっていく。探偵という立場上、俺はなるべく主観で物事を見ることを避けている。今回はそもそもがあの親父の事件なので、なかなかそう上手くはいかないかもしれないのだけど。凪冴くんから見てもそうならばきっと客観的なものとして捉えていいはずだ。

「でも良澤さんがその場にいたってことが分かって良かった」

「うん。だからこそ、事故として俺達も処理したんだよね」

「だろうね。でもひとまず現場を見てみないことには分からないか」

「そう思う。俺も見落としがあるかもしれないし」

 現場は一度あの夜に行ったから、どこにあるかは覚えている。昔から何故か道を覚えるのが得意だった。お陰で幼い時も学校をサボってどれだけ遠くに歩いていこうと、ちゃんと家に帰って来ることが出来ていた。探偵という職に就くにあたってはかなり利点になっている。

「確か駅の方だったよね」

「そう。もう少し歩けば着くけど、透明さんの体力は?」

「大丈夫、のはず。水分補給だけしておこうかな」

 先程の無様な階段昇降を気遣われている。情けない話だ。体力作りは探偵の基本だというのに、俺はどうもサボりがちだ。

 目の前の自販機で缶コーヒーを二本買い、一本を凪冴くんに差し出す。今日のささやかなお礼のつもりだった。

「今日はありがとう、凪冴くん」

「こちらこそ。……まだ今日の捜査は終わってないけどね」

「ありがとう」と彼は缶コーヒーを受け取り、そのままプルタブを開ける。俺も同じようにして一口飲んだ。酸味のある冷たいコーヒーが喉を潤した。

「君がいなかったら俺はこうやって捜査を始めることも、再びあの現場に行くことも無かっただろうから」

 言いながらも彼のありがたみをひしひしと感じていた。あのままでは俺はこの時間になっても事務所のソファで寝ていただろう。散らばった事件のピースを見ることもなく。

「俺はたまたまきっかけになっただけだよ。昼間はああ言ったけど、透明さんはきっと俺が来なくてもいずれこうやって捜査を開始してたんじゃないかな」

「それは俺を買い被りすぎな気もするけど」

「どうだろう。本当に面倒だったら、証言者の話をあんなに真剣に聞かないし質問もしないと思うんだ。透明さんなりに気になってることがあるんじゃないかな」

「凪冴くんは鋭いね。警察になった方がいい。いや、もしかしたら探偵の方が向いてるかも」

「実はもう既に警察なんだよね。それに、俺は事実を追いかけるのは得意だけど、感情について捉えるのはあんまりなんだ」

「そうなの?俺はてっきりそういうのも得意かと思ってた」

 何故なら凪冴くんはいつも俺や他人の考えていることを何となく理解しているような気がしているからだ。見透かすほど冷たくはなく、周りに合わせてくれているような。

「きっと透明さんの方が得意だよ。さて、そろそろ現場検証に行こう。遅くなりすぎない方がいいだろうし」

 コーヒーの残りを飲み干し、空き缶をゴミ箱に無理やり押し込む。回収業者が滅多に来ないのか中はぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。力を込めて空き缶とおさらばし、駅の方へと靴先を向けた。



現場は駅の近くの大きめの道路にある歩道橋だった。人通りはそれなり、どちらかと言うと交通量の方が多いところだ。すっかり日は暮れて鈍い色の空が広がっている。

「そう言えば車に乗ってた人の目撃者はいなの?」

「探してみたけど、今のところ見つかってないよ」

「そっか、まあさすがに見つけられないよねそっちは」

 そんな話をしながら、歩道橋の始まりにやってくる。現場の封鎖は解除されたとのことで、テープも何も貼られていない。ここに流れた血液も、もう綺麗に片付けられていた。何事も無かったかのような日常がそこにあった。

 俺は手に持っていた小さい花束を橋の下に立て掛ける。親父が死んだという事実がわずかだけ実感を持って手から離れていく。合掌はせず、少しの間それをじっと見つめた。

「さて、現場検証だよね」

「うん」

 俺の動作を見届けた凪冴くんは、そのまま階段を見上げる。

「秀章さんはここの上段から転落したらしい。この辺りに頭を打って血を流した状態で、うつ伏せで倒れているのが発見された。通報したのはここを通りかかった帰宅途中の会社員の人だったよ」

「今はそこそこ人もいるけど、二十二時過ぎだったらもう少し人通りは減るのかな」

「そうみたい。実際、通報があったのは二十二時四十分頃。その時にはもう亡くなっていたみたいだね」

 死亡推定時刻は大体その三十分ほど前、つまり二十二時十分前後らしい。俺のところに親父からの着信が来たのもちょうどその頃だった。 俺に連絡したのは死ぬ前のことだったのか、それとも転落してからの死ぬ間際だったのか。もし後者なら、俺に助けを求めていたんだろうか。そんなぐるぐるとした俺の思考を読み取るように凪冴くんが付け加える。

「秀章さん、ほとんど即死だったらしいよ」

「……そう」

「歩道橋はこの通り一応滑り止めもあるけど結構急だし、酔っ払っていたのなら足を踏み外すこともあるだろうっていうのが警察の判断なわけ。俺も最初はそう思ってたし」

「まあ、良澤さんの証言とも大体一致するね」

 よく見ると階段のところどころは苔むしたり点字ブロックが欠けたりしている。酔っぱらいじゃなくても結構危ないんじゃないか。

「その良澤さんが見たのって向こうからだっけ?」

「うん。せっかくだしそっちも行ってみよう」

 俺達は橋を渡り反対側へ移動する。ぼんやりと街灯に照らされた道が浮かび上がっていた。「ここから見たんだったよね」

「この距離と交通量だと人が転倒する瞬間は見えるけど、場合によっては車が来るからその後どうなったのかは分からないみたい」

 二人して実際にそこに立ち、対岸を見てみる。凪冴くんの言う通り、時折車が通る際に向こうの歩道自体は見えなくなるようだった。

 もし人が転落するのを見たのが俺だったらどうしていただろう。すぐに通報しただろうか。もし良澤さんがすぐに通報していれば、親父は助かったのだろうか。いや、さっき凪冴くんがほとんど即死だったと言っていたから、それは不可能なはずだ。あれは必然だったに違いない。

「……透明さん、大丈夫?」

 不意にかけられた凪冴くんの言葉に現実に引き戻される。声をした方を見ると、心配そうな色の浮かぶ瞳と目が合った。

「あぁごめんね。ちょっと考えごとしてて」

「きっと思うところは色々あるだろうから。一人でもう少し見るなら、俺も近くで見落としがないか確認してくるよ」

「ありがとう。そうだね、一人でじっくり見てみようかな」

 半ば逃げるようにして俺は歩道橋の上へと階段を駆け上る。決して凪冴くんの優しさが嫌になった訳ではない。ただ、親父の救いようのない人間性を思い出すために俺一人になりたかった。初めからずっと感じている違和感の正体はまだ分からないままだ。

 一人で車を見下ろしながら空中を歩く。高い橋の上からは駅が見える、家が見える、街が見える。親父が最後に見たのはこの街だったのかもしれない。橋のてっぺんの終わりにやってくる。暗がりのこの階段を下っていく。覚束無い足元で、これを踏み外す。

「流石にそこまでやる勇気は俺にはないか」

 独りごちながら、一番下の段までゆっくりと下りる。うつ伏せになって地面に転がってみる。車の振動が冷たいアスファルト越しに伝わってくるのが分かった。あの男の最後にはお似合いだと改めて感じた。

「あのー透明さん?」

「いやあの、これは遺体の目線になったら何かわかるかもって思っただけで」

 完全に凪冴くんに地面に寝ているのを目撃され、下手な言い訳をしながら慌てて立ち上がる。顔やコートに着いた土をはたいたが、なかなか落ちなかった。

「それでその場所から何か分かった?」

「いや、特には何も分からなかったな。思ってるより秋の夜のアスファルトは冷たいってことくらい」

「あはは、何それ。透明さんってちょっと変わってるよね」

「いつもはこんなことしないからね」

「はいはい。……しかしこっちも付近をもう一度確認してみたんだけど、新しく分かったことは特にはなかった」

 現場検証の収穫としての成果はあまり芳しくなかった。けれど、俺個人としてはここに来たことは無駄足では無いように思える。事件の後に呼ばれた時は慌ただしく、ほとんどどんな場所かも確認できていなかったからだ。

「それじゃあ今日は一旦終了かな。また警察の方で捜査資料をかき集めてくるよ。現場での遺体の様子とか、遺留品とかも確認しておいた方がいいだろうし」

「ありがとう、頼りにしてるよ。そうだ、夕飯はどこかで食べて帰る?」

「良いね。駅前だし何かとあるんじゃないかな」

 まだ頭の中でまとまりきれていないことが沢山ある。糸が絡まっているような感じだ。それらを整理するために脳が栄養を欲しているように思った。そう言えば、凪冴くんが来るまで寝ていて昼食を食べそびれていた。空腹を思い出した途端に腹が奇妙な音で鳴る。

「俺は結構ガッツリ食べたいかも」

「賛成。かなり歩いたし、捜査は体が資本なわけだからしっかりご飯を食べないと」

「流石現職刑事が言うと説得力あるなぁ」

「透明さんが食べなさすぎな気もするけどね」

 俺達は平和的に、そして建設的に夕飯について話し合った。結局駅前の定食屋に決定する。凪冴くんの職場御用達らしい。そのまま、初日の捜査の幕が降りることとなった。

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探偵と血族 弐津 @2du_ichizu

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