柿の実を捥ぐ女

床崎比些志

夢の情景

 たわわに実った柿の実が、小春日和の陽光を浴び、赤く照りながら風に揺れていた。その柿の木には古びた木製の梯子がかけられ、その足元には小川がちろちろと流れている。もんぺ姿の若い女がその梯子をよじ登っていた。そして肩にかけた麻袋の中に捥いだ柿の実を手際よくせっせと入れはじめた。


 ふいに梯子の上から女が振り返えった。

「お帰りなさい!」

 とおどいろいた表情で快活な声を上げる。そして、木登りしているのを見られたのが恥ずかしいのか、一瞬ペロリと舌を出した。

 

 見たことのない女だが、声に懐かしさと近親者特有の潤いがあった。


 大介は少しとまどいながら、あたりを見まわすが、自分の他には誰もいない。明らかに女は自分に話しかけていた。

「あのお……」と大介が言いかけたところで、

「今年も貴方のお好きな柿がいっぱい実りましたよ」

 と女がしみじみとした口調で背中を向けながら言葉を継いだ。

 

 そしてもう一度振り返りニコリと笑った。目尻が下がり、口元には片エクボができた。自然と大介も笑顔になった。

「すぐにお茶にしますね」

 いつのまにか梯子を降りていた女は、小川も飛び越え、大介の目の前に立っていた。そして小さな白い手に握られた赤光の柿の実を大介に差し出した。形の綺麗な細い指だが、指先はあかぎれのせいで赤く腫れている。

 大介はその手に重ねるようにして、柿を受け取ろうとした。そこで視界が俄かに白い閃光に覆われる。––––

 そして大介は目を覚ました。


 か弱い冬の朝の光がカーテンの隙間から差している。台所からはコーヒーの香りがほのかに漂い、そのにおいを引き寄せられるかのように大介は、いまだ夢の名残をとどめる寝室を出て、現実感に彩られたダイニングに向かった。

「大ちゃん、おはよう」

 同じ新聞社の社会部で働く真奈が、スマホをいじる手を止め、顔を上げた。真奈とは半年前から同棲している。

 真奈はすでに着替えを済まし、こぢんまりとしたダイニングに置かれた2人掛けのテーブルに腰掛け、大介の様子を目でうかがっている。

「トーストか目玉焼き食べるなら、一緒に作るけど……」

 大介は浮かぬ表情で首を横に振る。

「そう。また、あの夢?」

 と言いながら、真奈は立ち上がって、キッチンカウンターに置かれたトースターに食パン一枚を入れる。

「ああ、しかも、どんどん鮮明になってくる」


 ここ一ヶ月ほど、大介は毎晩同じ夢を見る。最初はぼんやりとした景色だけだったが、まるでカメラがズームアップしていくかのように、日を追うごとに、夢の情景は鮮明になってきた。そして毎回見たことのない同じ若い女が出てきて同じ場所で柿を取っているのだ。そしてとうとう、今朝はそれまで梯子から降りることのなかった女が、大介の目の前にまで近寄ってきた。おかげで女のエクボやあかぎれまで間近で見ることができたし、そればかりか女の手に触れた瞬間の感触は今もほのかに指先に残っている。


 その夢のせいで、睡眠が慢性的に浅く、いつも寝覚めが悪い。食欲もあまりなく、このところ朝食を抜くことも多くなった。


 ふーんと言いながら、真奈はフライパンに卵を落とす。大介は疲れた様子でテーブルの椅子に腰掛けた。

「ほんとうに心当たりとかないの?その女の人とか場所に––––」

「ないよ、何度も言うけど、金輪際ない」

「子供のころの幼馴染とか、遠縁の人やご先祖様とか」

「ご先祖の全部は知らないけど、親父や母親に聞いてもその土地にも女にも心当たりがないって言うんだから、やっぱり俺とは関係ない人なんだよ」

「とかいって昔ふった女だったりして」

 と独り言ふうに言いながら、真奈はコーヒーを大介の目の前のテーブルにおくと、もう一度キッチンに戻り、トーストに目玉焼きを乗せ、それを直接口に頬張りながら、コーヒーを片手にふたたびダイニングに戻り、大介と向き合う形でテーブルに腰掛けた。

「お祓いとかしてみる。気休めかもしれないけど?」

 霊とか死後の世界とかを信じたこともなれば、その手のものに昔から関心もない大介であるが、ダメもとでもやってみようかと一瞬考えた。しかし、やはり考え直し、そんなものにすがろうとしている自分の弱さに対する苦笑と、真奈の心遣いに対しての感謝の気持ちとが入り混じった複雑な笑みを浮かべつつ、ゆっくりと首を横に振った。



 

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