【創作百合SF】薔薇の夢は残り香を移して

雨伽詩音

第1話薔薇の夢は残り香を移して

 抑圧された声をさらに押し殺して、私はうずくまる。イヤフォンからひっきりなしに流れてくるラジオニュースは、いずれも戦争の影を纏って、その音声の奥に横たわる名もなき亡骸が折り重なっているさまを思う。

 ここもそう永くはないことはわかっていた。永世平和都市の名を冠してはいても、すでに有名無実化した法は破棄され、武装した船舶が幾つも港から出ていくのを人々は歓声を上げて喜んだ。少し前までは戦争を伝えるニュースの終わりに、水球に熱中していた声が、今は軍人への賞賛の言葉を口々に語る。

 すでに細々とつづけていた文筆業の日々は脅かされ、電子雑誌の仕事を断られることがつづき、収入は途絶えがちになったものの、虚業に身をやつしてきた私には他に糊口を凌ぐ手立てはなかった。

 地下道のように張り巡らされたエンディネと呼ばれるネットワーク通信も、今はこのイヤフォンがつながったルメーティアによって遮断されかけてしまっているのを、旧式のジャンク品の端末を繋いで、宣伝文句を謳う文章によって、バグとウイルスまみれのそこから得られるわずかばかりの収益が私の日々を支えていた。

 エンディネも今は見過ごされているが、日に日に閲覧できるページは少なくなり、エラーと共に消え去ったものも少なくない。

 そのうちに薔薇の造花を扱った店があり、その店主とは顔見知りだった。輸入雑貨を扱うそうした店も、戦争によって脅かされ、日々永世平和都市の名が高らかにイヤフォンから鳴り響く今となっては、商売は立ち行かなくなりつつある。

 彼女は隣国の生まれで、故郷はすでに焼失して久しかった。この都市に住む人々は食卓やその部屋を薔薇の花で彩ったが、その花の示す原産地はすでに亡い。

「故郷の夢を売っているの」

 と彼女は笑い、気に留める様子もなかったが、私はその夢を水差しに生けて、渇きのうちに命を失われた人々への手向けとする他なかった。

 弔いとして歌われる彼女の国の歌を教わったのを思い起こし、旋律を小さく口ずさんでみたものの、イヤフォンからひっきりなしに流れてくるこの都市を誇る歌の前にかき消されて、私はその小さな端末をベッドの上に投げ捨てようとし、そこがかつて彼女と身を重ねた場であることを思い起こして手を止めた。

 宙を掻く手はぎりぎりと握りこまれ、薔薇と同じく赤く塗られた爪が肌に食い込む痛みをただ感じていた。

 リュン・フィルティークという彼女の名は、この都市の男との婚姻関係を示していた。彼女を貪るとき、私もまたレフェメアという姓を捨てた。彼女の前では私はただのキュオレであったし、それが男性名を示すのに反して、私は女性の身体を有していた。

 歪さを埋め合うように、私たちはこの仮初の平和を享受した。どこかで銃弾が飛び交い、どこかで人が倒れ、そしてまたどこかで人々のかつてのログが消えていく中で。かき消されてゆく言葉を埋める手立てはもはやなかった。

 彼女は気だるさを身に纏ったまま、

「また明日にはフィルティークさんに戻って夢を売るわ」

 と言う。私は彼女の身を抱擁する他なかった。

 そうして彼女のページはウイルスに侵食されて消え、それから消息がつかめない。何度もエンディネに潜っては検索を繰り返したが、彼女の広げた夢のひとかけらさえも、つまるところ画像の一枚さえも消失していた。

 私は水差しの薔薇に触れ、その花びらをゆっくりとくちびるで食んだ。塗った薄桃色のグロスのラメの痕を残して、薔薇は今もなおそこにある。

 私はその痕に触れて、とうにガタが来て、ストレージも満ちてしまいかけた端末を起動した。ローカルネットワークのフォルダにアクセスし、ありし日のリュンの姿をそこに認めた時、私の色褪せたくちびるから嗚咽がこぼれはじめた。

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