[Chapter 12: 血飛沫の舞う花弁]

村の最奥、湿り気を帯びた闇の向こう側に、それは鎮座していた。


周囲の家々とは明らかに異質な威圧感を放つ、巨大な朱塗りの門扉。

かつては聖域を隔てる境界であったはずのその場所は、今や幾星霜もの呪詛に晒され、乾いた血を塗り潰したような沈濁した色に染まり果てている。


陽葵(ひまり)の視線の先、門の厚い木肌を背にして、一人の男が立っていた。

悠真(ゆうま)だった。

だが、そこに佇む背中に、記憶の中にある温和な面影はない。

周囲の熱量をすべて奪い去ったかのような、冷たい静寂。

それは生者の纏う空気ではなかった。


「待って、悠真!」


陽葵が掠れた声を絞り出し、最後の一歩を踏み出そうとした、その時だった。

足裏から、全身の骨を震わせるような不快な振動が突き抜けた。


メキメキ、と。


それは凍てついた土を内側から強引に引き裂く、およそ植物の成長とは相容れない硬質な音。

陽葵の足元の地面から、真っ赤な芽が異常な速度で噴出してきた。

一本、また一本。

それは瞬く間に茎を伸ばし、毒々しいほどに鮮烈な赤い花を咲かせていく。


彼岸花だ。


だが、その花は陽葵の知るものとは決定的に異なっていた。

背丈を超えるほどに急成長した茎の先で、花弁が意志を持つ生き物のように、妖艶に蠢いている。

次の瞬間、鼓膜を打つ乾いた破裂音が響いた。


満開の彼岸花が、内圧に耐えかねた果実のように爆ぜたのだ。


四散したのは花粉ではない。粘り気を帯びた、どす黒い液体。

それは紛れもなく、生々しい血飛沫そのものだった。

頬に生温かい飛沫を浴び、陽葵の視界が赤く染まる。


恐怖に凍りつく彼女の目前で、散った花弁と泥が混じり合い、粘膜のような光沢を放ちながら歪に膨張し始めた。

泥を捏ね上げ、無理やり人の形に成型したかのような、異形の群れ。

それらには、目も、鼻も、口もなかった。

頭部と思われる箇所には滑らかな窪みがあるだけで、表情という概念が完全に欠落している。

手足は不自然に長く、関節を無視した角度でしなり、音もなく陽葵を囲い込んでいく。


「あ、あぁ……」


喉の奥から、形にならない悲鳴が漏れた。

逃げなければならない。生存本能が脳内で警鐘を鳴らし続けている。

だが、陽葵の膝は無残に砕け、力なくその場に崩れ落ちた。


地面に触れた掌から、この世のものとは思えない冷気が這い上がってくる。

体が、鉛のように重い。

指先ひとつ動かそうとしても、見えない鎖で縛り付けられているかのように、意志が末端まで伝わらない。


これが「死」の重圧なのか。

呼吸を繰り返すたびに、肺の奥に泥を流し込まれたような閉塞感に苛まれ、意識の輪郭が急速に融解していく。


異形の一体一体が、泥の塊のような腕をゆっくりと陽葵の方へ伸ばした。

その動作は緩慢で、それゆえに回避不能な、絶対的な死の宣告のように感じられた。


視界が暗転していく。

陽葵はただ、絶望の淵で、冷たい門の前に佇む悠真の背中を見つめていた。


彼は一度も、振り返らない。

その絶対的な拒絶が、肉体を蝕む恐怖以上に深く、残酷に彼女の心を貫いていた。

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