親友の彼氏があきらかに男装女子なのだが

@princekyo

第一話:ミルクティーと沈黙のレイピア

第一話:ミルクティーと沈黙のレイピア


西日が差し込む喫茶店のボックス席で、竹中はアイスコーヒーのストローを噛み潰しそうになっていた。目の前には、十年来の親友である黒田と、その恋人だという明智が座っている。


問題は、その明智だった。


腰まで届きそうな艶やかな黒髪を後頭部で完璧なシニヨンにまとめ、軍服を思わせる詰襟のジャケットを着こなしている。肌のきめ細かさは陶磁器のようで、切れ長な瞳には星が宿っている。どこからどう見ても、宝塚歌劇団の男役がそのまま街に迷い出したような、圧倒的に美しい女性だった。


「竹中さんは、何になさいますか」


明智が口を開いた。声は低く、しかし鈴を転がすような透明感が混じっている。その細い指先が、メニュー表をスッと竹中の方へ滑らせた。その所作があまりに流麗で、竹中は思わず背筋を伸ばしてしまう。


「あ、じゃあ、ロイヤルミルクティーで」 「素敵な選択だ。ここのミルクティーは、君の瞳のように優しい味がするからね」


明智はそう言って、ふっと口角を上げた。竹中の心臓が跳ねた。それは異性へのときめきというよりは、あまりに完成された造形物に対する畏怖に近い。


竹中はテーブルの下で、黒田の脛を思い切り蹴飛ばした。しかし黒田は、うっとりとした表情で明智を見つめたまま、微動だにしない。


「ねえ、黒田。ちょっと二人で話してもいい?」


竹中が引き攣った笑顔で言うと、黒田はゆっくりと視線をこちらに向けた。その瞳は、深い霧の奥にある湖のように静かで、どこか狂気を孕んでいる。


「いいよ。明智さん、あっちの雑誌コーナーで新刊のチェック、してきてもらってもいいかな」 「ああ。僕の愛しい人。少しだけ、離れるよ」


明智は立ち上がり、黒田の額に軽く指を触れてから、大股で歩き出した。その後ろ姿は、風になびくマントが見えるかのような錯覚を周囲に与える。喫茶店中の客が、性別を問わず彼女を目で追っていた。


明智の姿が見えなくなると同時に、竹中は身を乗り出した。


「ちょっと、黒田! あんた正気? どう見ても女の人やんか!」 「……竹中。声が大きいよ」 「大きいも小さいも! 誰が見たって、美しすぎる男装女子やろ。なんで付き合ってるの? なんで彼氏って紹介したの?」 「明智さんは、男だよ。私がそう決めたんだから」


黒田の声は、凪いでいた。彼女は冷めた紅茶を一口飲み、淡々と続けた。


「私はね、竹中。本物の男なんて欲しくないの。彼らは雑だし、デリカシーはないし、私の理想をすぐに裏切る。でも明智さんは違う。彼女は私が用意した理想の男性という脚本を、一文字の狂いもなく演じ続けてくれる」 「演じてるって、あんた……それ、洗脳か何か?」 「違うよ、教育。あるいは、剪定」


黒田は楽しそうに、指先で空中に輪を描いた。


「彼女、一年前までは自信のない、ただの劇団員だったんだよ。それを私が拾って、食事から歩き方、視線の配り方まで全部作り変えたの。明智さんは今、私の世界で唯一の、完璧な王子様なの」 「いや、本人の人生はどうなるんよ」 「本人は幸せだよ。誰からも愛されなかった自分が、私という観客の前でだけ、世界で一番価値のある人間に生まれ変われたんだから」


竹中は戦慄した。黒田が優しい親友だと思っていたのは、自分の見当違いだったのかもしれない。この女は、一人の人間を粘土細工のように捏ね上げ、自分の箱庭に閉じ込めている。


「でもさ、黒田。限界があるやろ。身体のこととか、戸籍のこととか」 「そんなの、些細なことだよ。言葉が身体を追い越せばいいだけ」


そこへ、明智が戻ってきた。手には一冊のファッション誌。


「黒田、君が好きそうなアンティークの特集があったよ。今度、一緒に行こうか」 「嬉しい。明智さん、竹中さんがね、私たちが本当に愛し合ってるのか疑ってるみたい」 「ほう……」


明智は竹中の方を向き、椅子に深く腰掛けた。そして長い足を組み、机に肘をついて顔を近づけた。石鹸と微かな煙草の香りが、竹中の鼻腔をくすぐる。


「竹中さん。愛に形を求めるのは、野蛮なことだと思わないかい?」 「え、いや、形というか、その……」 「僕は黒田のために存在し、黒田は僕のために祈る。それだけで、僕たちは十分に完成されているんだ」


明智の瞳は真剣だった。そこには黒田への盲信的な忠誠心と、演じ続けることへの陶酔が混じり合っている。


竹中は、自分のロイヤルミルクティーを一口飲んだ。 甘い。暴力的に甘い。 そして、この三人の間に流れる空気は、毒のように静かだった。


帰り道、夕暮れの街を三人で歩く。 前を行く二人は、絵画のように美しい。黒田の肩を抱く明智の姿は、街灯に照らされて、本物の騎士のように見えた。


でも、竹中は見てしまった。 角を曲がる瞬間、明智の靴の踵がガクッと折れそうになり、彼女が一瞬だけ、あ、やば、と、普通の女の子のような声を漏らしたのを。 そしてその瞬間、黒田が彼女の腕を、折れんばかりの力で強く掴み、耳元で何かを囁いたのを。


明智の顔から、一瞬で表情が消えた。 再び前を向いた彼女の顔は、先ほどよりも一層、冷たく美しい王子様に固定されていた。


竹中は、スマートフォンの画面を見る。 黒田から、さっきメッセージが入っていた。


「次のデート、竹中も一緒に来るよね? 三人の方が、物語が深くなるから」


竹中は、返信ができずにいた。 これはラブコメディなのか、それとも、誰かの正気を削りながら進む悲劇なのか。 ただ一つ確かなのは、明智の長い睫毛に落ちる影が、残酷なほど綺麗だということだけだった。

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