Egg Riddle

古杜あこ

前編

 Humpty Dumpty sat on a wall. 

 Humpty Dumpty had a great fall.

 All the king's horses and all the king's men

 Couldn't put Humpty together again.


 ノートの書かれた走り書きのような英文に、梢は思わずああ、と呻き声を漏らしていた。

 授業中についうとうとしてしまったのは、バイトを頑張りすぎてしまっているからだ。

 わかっているのに手を抜けない。

 平均よりも低い身長と、少しばかり幼く見える顔立ちは、周囲から侮られることが多くて。

 だから、(負けるかこん畜生!)と燃えてしまうのは、梢の性格故。品出しのバイトでも「五十嵐さんは、ねえ」「そんなにできなくても無理ないっていうか」なんてちらっと見て嘲笑されたらやらざるを得ない。

 だから、大学生活に支障が出てしまうのは駄目なことだけど。


 特にこの異文化交流の授業は、梢が興味があってとった授業だったせいか一週間の中で一番楽しみにしている授業だったはずなのに。


「ハンプティ・ダンプティは、壁の上にいた」

 

 営業が終わった後の学食は空いている。

 今日はバイトがないから、時間はあった。

 梢は一文ずつメモ書きの訳しをしていく。英文の下には「なぞなぞ」と記されているので、問いになっているのだろう。


「ハンプティ・ダンプティって……聞いたことあるかも? なんだっけ?」

「マザーグースだよ。梢、寝すぎ」

 

 隣に座ってスマホをいじっていた石山絵菜が梢の漏らした言葉に反応した。

 同じ講義を受けている絵菜と梢は何となく一緒にいることは多いが、そこまで仲が良いわけでもない。

 とはいえ、一緒にいて居心地の悪さを感じないのは、絵菜も梢と同じように童顔だからだろうか。

 二人で並んでいると、「小学生コンビ」とか言われるのだけは我慢しがたいが。


「イギリスのわらべ歌なんだってさ。で、ハンプティダンプティは何者でしょうかっていうのがなぞなぞ」

「ふうん、壁からおちて、それで、王様の馬? 王様の男?」

「家来」

「家来って訳すのか、家来は、ハンプティを……えっと」

「元に戻せなかった」

「……元に戻せなかった」

「落ちたら元に戻せないずんぐりむっくりした体型の物ってな~んだ?」


 元に戻せないもの?

 ほとんど絵菜に訳してもらったのもちょっとどうかと思いつつ、梢はその答えについて考えた。

 馬とか人をたくさんつかっても壁の上に戻せないってことは……?


「えぇ? 持ちあがらないほどめっちゃ重い物?」

「はずれ。ヒント、食べ物」

「ずんぐりむっくり、で、食べ物? 落ちたら――あ、卵!」

「正解」


 なるほど、確かに高い壁の上から落ちた卵は再起不能だ。

 比喩が王様の家来や馬なのはよくわからないけど、地面で割れてしまったら誰にも元の姿には戻せない。


「そもそも家来はともかく、馬に頼むのは間違ってない?」

「いちゃもんつけんな。っつーかさ、授業ちゃんと聞いてなよ。卵じゃなくて元々は兵器の意味だったらしくってさ」

「……兵器を壁の上に乗せんの?」

「そこは自分で調べな」

 

 絵菜の言い方はきついが、彼女は誰に対してもこういう対応である。そして梢もそんな絵菜の態度は嫌いではない。

 卵、とノートに書きこんでぐるっと〇で囲っていると、少し離れたところで笑い声が上がった。

 声のした方に目をやれば、同じ学年の男子の集団が馬鹿笑いをしているのが目に入った。


「……相変わらず幼稚な連中」

「絵菜と意見が一致するなんてどうかと思うけど、同意」


 奴らの行動が幼稚なのは間違いないが、梢と絵菜は外見が幼いのだ。あまり大声では言えないかもしれない。

 騒いでいる連中はほぼ顔見知りではあるが、その中にいる二人を見て梢は密かにため息を吐いた。

 雜賀篤志さいが あつし加賀美大地かがみ だいちの二人、ほんの数日前より親しさが増しているような気がするのは気のせいだろうか。


 梢は雜賀のことが好きだった。

 ああいう風に馬鹿話をして、笑っていててもどこか冷めたように一歩引いている様子が大人っぽく見えて惹かれたのが最初だが、今はかなり気遣いが細かいところも、梢に向けて来る人懐っこい笑顔も全部が好きだ。

 で、加賀美大地は、というと。

(複雑……)

 先日、「恋敵さん」などと挑発して、雜賀に対してそういう関係に見られることを厭って雜賀から離れるんじゃないかと謀ってみたりもしたが、全然効果がなかった。

 同じ高校出身の彼は、なんというか、梢にとって乗り越えるべき壁とでもいうべきなのか。

 高校時代、梢が好きだったクラスメイトは、大地が付き合っている子に片想いをしていた、ということもあって、ある意味梢にとっては一方的な因縁の相手である。

 その大地の彼女も梢とは親交が深い。

 腹いせに、つい先日、大地が雜賀と仲良くしていることを大地の彼女に伝えてしまった。それを聞いた彼女は「まあ、何があっても大地は私のところにもどってくるしね」なんてことを言っていたから、二人の中も順調らしい。

 そういうところも羨ましいし、ちょっとだけ妬ましい。

 

「何話してたらあんな馬鹿笑いになるんだろうね」

「多分くだらない下ネタ?」

「大学で?」


 またもや上がった笑い声に、梢と絵菜の会話はそこで途絶えた。

 雜賀は、周りと一緒に笑っている。――前よりもちょっとだけ楽しそうに見えるのは、気のせいだろうか。

 

 

 

 *



 梢にとって大学は楽しいところだ。

 直接将来には結び付かないけれど、自分が学びたい分野の学部を選んで、好きなことを深めているという感覚だ。

 バイトもサークル活動も前のめりで忙しいが、それすらも楽しい。


 (でもちょっと疲れたな……)


 授業が終わった後、脱力してぼーっと座っていたら気づけば教室の中に梢一人取り残されていた。

 今日もこの後はバイトが入っている。行かなきゃと思うのに、もう少しこうやって大学生をやっている感じに浸っていたい。


「あ」


 不意に教室に入って来た人物により、梢の意識は急遽浮上した。

 知らず知らずのうちに伏せていた顔を上げて、その人物を見やる。


「あれ、梢ちゃん」

「雜賀くん」


 気を抜いてしまっているところを見られて気まずいというべきか、顔を見ることができて嬉しいというべきか。

 なぜか、一人で教室に入って来た梢の想い人である雜賀は、驚いたような表情のまま梢の近くまで歩み寄って来た。

 ついさっきまで雜賀が座っていた席まで辿り着くと、机の棚を探った。


「あー、やべ、やっぱ忘れてた」

「忘れ物?」

「スマホ忘れてっちゃってさ」


 照れ隠しなのか、肩をすくめて笑う雜賀を見ているだけで、胸が高鳴るのに。


「見つかってよかったね」

「梢ちゃんは何してんの?」


 同学年の男子は梢をちゃん付で呼ぶことが多い。侮られている感じがして、梢はそれをあまり良く思っていなかったが雜賀だけは別だ。何度呼ばれても嬉しいし、もっと呼んでほしいと思ってしまう。

 だが、何をしているか、というと、答えに困ってしまう。何もしていない、ぼーっとしていただけ。そう正直に答えたら変な子扱いされないだろうか。


「あ、えーと、バイトまでの時間つぶし、かな?」

「へー」


 こんなところで? と聞かれてもよくない、と梢は慌てて頭を超回転させて質問を紡ぎだした。


「雜賀くんが一人でいるのって、なんか珍しいね」

「あー? 言われてみればそう、かも?」


 かも、じゃなくて、実際そうなのだ。

 大地だけじゃなくて、いつも友人たちに囲まれていて、近づこうと思っても近づけない。それが雜賀だ。

 囲まれているのに、どこか孤独みたいな独特の空気があって、そこに梢は惹かれていて――。


(って、待って! 今、雜賀くん、一人じゃん!)


 今更ながら気づいてしまうと、かあっと顔が熱くなるのがわかった。

 妄想の中では仲良く話をできているのに、いざとなると何もできない。

 いつもそうだ。好きな人の前で梢は臆病になる。


「雜賀くんさ、最近、大地とめっちゃ仲いいじゃん。一緒にいないのが不思議って思って」

「あー、まあ、そうかな?」


 かも、じゃなくて、そっちは認めるんだ。と、落胆するような安堵するような気持ちになった。

 大地に対してそういう対抗意識を持ちたいわけじゃなくて、そうじゃなくて。


「梢ちゃん、大地と結構仲いいよな? 同じ高校出身だから?」

「はい!?」


 大地と仲がいいなんて、雜賀の口から言われてしまうと、否定したくてもできないから困る。

(複雑なんだってば)


「ああ、ええっと、そう。二年の時同じクラスだったから、まあ、元クラスメイトって感じ」

「地元っていいよなあ。俺、たまにすっげえ地元帰りたくなるからさ。まあ、こっちはこっちで楽しいけど」

「そうなんだー」


 地元を出たら梢もそういう気分になるのだろうか、と少しだけ想像したが、想像上の梢はどんな土地にいても意地でもその土地に馴染もうと必死に食らいついている姿しか想像ができなかった。――同調できなくて、ちょっと悲しい。


「同じ高校の奴がいるって、心強くていいなーって羨ましい」

「ぜ、全然! だって、私――」


 大地と同じ大学じゃなかったら、複雑な気持ちに苛まれることだってなかったし、変な嫉妬だってしなくても済んだかもしれないし。


「大地といるより、雜賀くんと話してる方が楽しくて好き!」


 一歩だけ踏み出したつもり、だったのに。

 どうして雜賀は、笑顔になりかけの表情のまま、凍り付いてしまったんだろう?


 疑問に思ったその瞬間、凍り付いていた雜賀の顔は途端に申し訳なさそうな顔つきに変わる。

 どきん、と梢の心臓が跳ねた。

 期待ではなく、不安の音だ。


「……ごめん」


 消え入りそうな声音で、雜賀はそれだけ口にすると、すぐに踵を返して教室を出て行った。

 待って、とも言い出せずに、教室には梢一人が残される。


「え、……ちょ、っと、待って……」


 ごめん、と言われても何が何だかわからないわけで。

 好きとも伝えてないのに、ごめん、ってどういう意味?

 

 

 *



 翌日、いくつか雜賀と授業がかぶったものの、雜賀はわざとらしく梢の視線を避けているようにみえた。

 梢としてはいくつか言い訳を用意してきたのに、言い訳さえさせてくれない。


「……雜賀と何かあった?」

「……いや、その、……話していると楽しいから好きって、言っただけなんだけど、何か避けられてる?」


 すれ違った大地から核心に触れられて、咄嗟に誤魔化すこともできずに告げてしまった。

 大地は一瞬だけ気まずそうに視線を泳がせたが、ややあって深くため息を吐く。

 雜賀のことをわかっているのは大地だけ、みたいな反応に梢はかちんときた、が、表には出さず大地の言葉を待つ。

 何とか雜賀と今までのように普通に会話できるようになる鍵を大地に求めたかった。


「あー、そりゃ、無理だな」

「はあ?」

「……焦り過ぎだっての。雜賀のこと、見てりゃ理由、わかるだろ」


 大地は吐き捨てるように梢に告げ、友人たちの元へと去って行ってしまった。


「何だよ、それ!」


 毒づいて、梢も大きくため息を漏らす。

 雜賀のことを見ていたらって、見ていたけどわからないから困っているのだ。

(雜賀くんは、いつも、みんなと和気あいあいとやっているけど、どこか孤独で……)

 その雰囲気がとても好きなのだ。誰といても雜賀だとわかる。雜賀らしい雰囲気。

(……孤独なのは、雜賀くんが孤独になりたいから……だったり……して?)


 そう思い立って、梢は大地が去っていた方向を振り返る。

 男子の集団の中に雜賀がいる。頬は緩んでいるけれど、どこか一本線を引いているような雰囲気、で。

(……雜賀くんは、……踏み込んでほしくなかったんだ……!)


 今更そんなことに気づく。

 つい踏み込んでしまったあの軽はずみな一言は、雜賀の一番聞きたくない言葉だった、ということ、で。


(私、自分で、壊しちゃったんだ!)


 未来への期待どころか、これまでの友人関係も、全部。

 粉々に砕けてしまって、もう取り繕わせてももらえない。


 (『Couldn't put Humpty together again.』)


 授業で出てきたなぞなぞの一部が、頭の中でリフレインした。

 ――『もう、二度と、元には戻らない』。

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