思考停止の博物館
深山 紗夜
正しさが多すぎて、誰も静かにならない。
「前例があるから正しい、というならこの法廷は思考停止の博物館です。
保存状態は良好ですが、展示物は全て過去ですね。」
「……弁護人、ここは法廷です。事実のみどうぞ。」
目の前で繰り広げられる論争に目眩さえして、俺は短く息を吐いた。
「被告人、何か言いたいことがあるんじゃないでしょうか?この裁判、そしてその証言台。本来あなたが立つべき場所ではないはずだ。」
知り合いが用意してくれた弁護士、速水が開始早々ひたすら暴れている。
「……いえ、べつに。」
正当防衛を主張してくれる事、それ自体は“嬉しいはず”なんだけれど、何故だろう、素直に喜べない自分が居る。
「こちらは、被害者である青木 勇さんにご提出いただいた診断書です。
全治二ヶ月の外傷を負っている事が記されています。これにより、被告人は明らかに正当防衛の程度を超えていたと考えられます。」
「考えられます?個人の意見を法廷に持ち込んでもよろしいんですか?そしてそれも全治二ヶ月ですか。被告人は全治三ヶ月の療養期間を経て、いまその証言台に立たれています。それについてはどうお考えですか?あなたの意見でいいのでお聞かせください。」
……これは、平行線だ。
最早、いまでも無実を勝ち取りたいかと問われれば、怪しくなってきた。
なんでもいいから早くこの場から立ち去りたい。
「あの、俺はゆ」
「──被告人、発言は控えて下さい。」
「……はい。」
有罪でもいい。そう言いかけたところで、すかさず裁判官は何故か俺の声だけを止めに入る。
この場合、本当に止めるべきは、たぶん俺じゃなくてそこの弁護士だろう。
「正当防衛とは、殴り返す権利ではありません。
身を守るための、最後の手段です。
……展示物に説明札をつけるなら、そのくらいは書いてほしいですね。」
速水は証言台の横をうろつきながら、少し顎を突き上げている。
「はあー……。」
「被告人、静粛に。」
「ただのため息ですが。」
僕にだけ食い付いてくる裁判官にも嫌気がさし、なんとなく言い返してみたが、反応はなかった。
「弁護人、話を戻してください。
討論会ではありません。」
次は討論会ですか……。
しかし、検察側は終始まともな気がする。
証言台は、思ったより硬かった。
立っているだけで足が疲れる。
こんなことを考えている時点で、たぶん俺は反省していない。
「ですから前例に基づいて──」
容姿端麗なショートカットの検察官は、俺を有罪にする気満々だけれど、整っているからもういいのかもしれない。
最初から一定の白い目を速水に向け続けるその姿勢が素晴らしい。
出来れば俺も、そうしたい。
「前例がある、という理由だけで正しさを担保するなら、
我々は思考を外注しているに過ぎません」
「もう一度言います。ここは法廷ですよ?」
「だからです。」
終わりの見えない戦いのなか、裁判官が覚悟を決めたようだ。
「他に申し述べることはありますか。」
この際、速水は無視して自分で言ってしまおう。
「……あの、じゃあ一個だけ。」
「被告人──」
今度は検察官が目くじらを立て始めた。
そろそろ魂が抜け落ちそうな気がしたとき、法廷の空気が一瞬だけ整った。
「いや、今回はいい。」
止める側だった裁判官が、何故か助けてくれた。
「……前例なら、あります。
俺が殴られたのは、これが初めてじゃない。」
傍聴席が静まり返った。
やっと、これで終わった気がする。
次の審判で、俺の無罪が確定した。
「神はあなたの味方だった!」
握手を要求する弁護士を避けて、帰路についた。
弁護士の活躍のおかげか、はたまた俺の発言が決め手になったのか……。
どちらかは分からないけれど、もう裁判は当分お腹いっぱいだ。
思考停止の博物館 深山 紗夜 @yorunosumi
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