9. 無音の見世物

 グラードが何もしていないのに、『強制の静寂』が滲み出していた。戦闘時のスイッチを入れるような鋭い発動ではない。コップの水が溢れるように、あるいは重たい霧が立ち込めるように、音のない領域がとろりと周囲へ広がっていく。


 ザワザワ……と騒がしかった野次馬たちの声が、遠のいていく。いや、実際に音が消えているのだ。口笛を吹いていた男が、酸欠の金魚のように口をパクパクさせている。小石を投げようとした子供が、腕を振り上げたまま、糸が切れたように白目を剥いて倒れた。


 バタッ、バタッ。一人、また一人。グラードに近い位置にいた者から順に、意識を刈り取られていく。静寂の圧力に、三半規管も脳も耐えきれなくなったのだ。


「…………」


 グラードは、倒れていく人々を見ても眉一つ動かさなかった。むしろ、騒音が消え、静寂に満たされたその空間に、深い安らぎを感じているように見えた。彼にとって、今の世界は「うるさすぎる」のだ。だから、自分の周りだけを切り取って、快適な無音の部屋に変えてしまった。そこにいる他人がどうなろうと知ったことではない。

 遠巻きに見ていた残りの観客たちが、悲鳴を上げようとして──喉が凍りついたように沈黙する。恐怖で動けないのではない。彼らもまた、グラードという巨大な「現象」の一部として取り込まれ、背景と化してしまったのだ。

 街の一角が、完全な死の世界のように静まり返る。その中心に立つグラードだけが、正常な呼吸をしている。


(……違う。これはもう、戦いじゃない)


 ピクスは、倒れた野次馬たちの間を縫って歩くグラードの背中を見つめ、戦慄していた。以前のグラードなら、邪魔なら殺していたし、邪魔でなければ無視していた。だが今は。「存在しているだけ」で、周囲を塗り替えている。

 まるで、深海の底を歩く巨大生物だ。彼が歩けば、水圧で周りの小魚は勝手に死ぬ。彼はそれに気づきもしない。この静寂は、グラードにとっての羊水であり、防壁であり、世界を拒絶するための殻なのだ。


「……行くぞ」


 不意に、グラードが振り返らずに言った。その声は驚くほど穏やかで、しかし酷く空虚だった。


「ここはうるさい」


 静寂の犠牲となり、倒れ伏した人々の山を残し、グラードは再び歩き出す。ピクスは慌ててその後を追った。もう、気軽に話しかけることさえ躊躇われた。うっかり話しかけて、その「快適な静寂」を破ってしまったら──次は自分が、あの野次馬のように押し潰されるのではないか。そんな予感が脳裏をよぎったからだ。

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