ハッピーホリデー連合艦隊 〜歳末ギフト型録〜

眞壁 暁大

第1話

 ナガノは安堵した。

 大日本帝国海軍の海軍大臣として、今年最大最後の大仕事をやり遂げた達成感に包まれていた。


 1936年12月26日。

 第70回帝国議会が召集されたこの日、海軍の提出した翌年度から始まる

「第三次海軍軍備補充計画」予算案の承認・可決成立がほぼ内定したからだ。


 仕事を終えて戻った大臣執務室のソファに腰を下ろし、ナガノは深い溜息をついた。


 おもえば大変な一年であった。


 2月には陸軍と国粋主義者の連中が主導した叛乱事件があり、春から夏にかけてはロンドン軍縮条約の延長について、英米との切羽詰まった交渉が何度も何度も繰り返された。

 破棄で海軍の方針が確定していたはずの軍縮条約交渉が揉めたのは一から十まで、徹頭徹尾イギリスのせいだった。

 イギリスがドイツと勝手に海軍協定を結んでドイツの再軍備にお墨付きを与えたからである。

 それで当座のドイツの暴発を抑え込む、というイギリスなりの意図はわかるものの、ドイツが新戦艦を建造するのを容認したとなれば、話はドイツとイギリスだけでは済まない。

 日米ともにイギリスのこの独断を非難し、主力艦制限の見直しを強く要求した。


 結果として主力艦の制限については日本も納得の行く制限、米英ともその戦力整備を制限されつつ、日本も最低限度の戦力補充は可能となる線で取りまとめることが出来たので軍縮条約の延長となったのだが、空母ほかの艦艇の制限についてはギリギリまで揉めた。

 先行して軍縮条約そのものの延長で合意しつつ、空母をはじめとするまだ決着のついていない艦艇の軍備制限については継続交渉とすることで合意署名したが、最後に残っていた潜水艦制限で合意が成立したのはつい先月、という綱渡りの交渉だった。

 年内にすべての合意が成立しなければ、軍縮条約延期そのものが失効する瀬戸際だったので、潜水艦制限の妥結を聞いたナガノ海軍大臣は歓喜のあまり衆目の前で手を叩いてはしゃぎ、周囲を当惑させたほどだ。

 軍縮条約をめぐっては、これを破棄して自由な軍備拡張を主張するもの、あくまで延長して英米と協調路線を堅持するもの、双方が海軍内で激しく対立していたのだが、両方の顔を立てることの出来る内容で軍縮条約の延長が決まったのだから、ナガノ海軍大臣が大喜びするのも当然だった。


 一年を通じた最大の難事を乗り切り、ついでに「第三次海軍軍備補充計画」予算案も可決成立が見えたことで安心しきりのナガノ海軍大臣だったが、そのことで一抹の懸念もなくはなかった。


 今帝国議会に提出した「第三次海軍軍備補充計画」予算案は、大蔵省と内々に話を進めていた

「ロンドン海軍軍縮条約が破棄された場合」を想定した軍備拡張計画であり、つまり、軍縮条約の延長が確定した現状においては、ちょっこし……もとい、だいぶ規模の大きすぎる予算案だった。

 海軍が総力をあげて条約問題に取り組むなか、いちおう形は出来上がっていた「第三次海軍軍備補充計画」予算案は半ば放置される格好となり、いざ軍縮条約の延長が決まってから予算案の見直しをしていては議会に間に合わない、という事態に陥っていた。

 誰もが問題だと感じていたものの予算案が修正されず放置されていたのは、海軍内部に横溢する「余ったら返せばいい」という感覚と、具体的な軍備制限の内容が最後まで決まらないために詰めた見直しができない、という実務上の問題による。


 結果、ナガノ海軍大臣は規模の大きすぎる「第三次海軍軍備補充計画」予算案で帝国議会の承認を得たわけだが、これは後で、内密に秘密戦艦建造計画で結託していた大蔵省の主計・理財局長のカヤと話をつけて余剰分を返せばいいだけ。

 軍縮条約問題に比べればぜんぜん小さい話だ。


 それでなくても疲れた一日なのだから、予算の返却問題なんかは明日に回したい。

 そう思いながら執務机の上にぼんやりと視線をむけたナガノ海軍大臣は、机の中央に見慣れぬ総天然色の冊子が置かれていることにようやく気がついた。

 召集から予算承認の内定まで怒涛の一日を終えて、一時とはいえ虚脱していた自分を恥じてナガノはその冊子を手に取る。

 決裁依頼のなにがしか重要な案件かとパラパラとめくった後、苦笑いと安堵の混じった顔でナガノはそれを執務机の上に投げ出した。


(そういえば今年はクリスマスを祝う暇もなかったか)


 ナガノは投げ出した冊子を見やりながら、このイタズラの主が誰であるか思いを巡らす。首席秘書官…はかたすぎるからこういうイタズラには乗らなさそうだ。大臣官房付きの若い奴の顔をいくつか思い浮かべながら、投げ出した冊子の表紙をあらためて見直す。


 美麗なイラストの上に「歳末ギフト型録」と箔押しされた文字が踊っている。

 イタズラにしてはなかなか凝ったものだと思う。

 表紙だけではなく、中身もほぼ総天然色で取り扱っている商品をつらつらと紹介している。


 帝国議会の初日業務を終えて職員たちもすべて帰したあとの執務室で、ナガノは斜め読みだけのつもりだった冊子の豪華さについつい引き込まれてしまう。

 

 どれもこれも欲しくなるな……


 ナガノはそれが部下の誰かの冗談、クリスマスプレゼントに扮した御巫山戯なのだと承知しつつも出来の良さに感心し、せっかくだし乗ってやるか、という気分になる。

 どうせカネなら余っている(使っちゃだめなやつだけど、余ってはいる)。

 それにじっさいに使うわけでもなし。


 ナガノは鼻歌交じりにギフトを選んだ。

 巻末の注文書(どういうカラクリかは不明だが、裏写りしない複写紙だった。すごい)に欲しいギフトの番号を書き込むと、決裁済み文書の箱の一番上に置いて、「御客様控」の方は引き出しに仕舞った。


 明日、登庁時に回収した職員の顔が見ものだな。


 職員の反応を想像してすこし愉快な気分になりながら、ナガノは大臣室を出た。



 ……自らの選択がこれから何を引き起こすか、彼は未だなにも知らない。

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