雷魔法士ライム ――現代ダンジョンの守護者

塩塚 和人

第1話 雷魔法士、現代に墜ちる


――まずい。


そう思った瞬間、背後の空気が裂けた。


赤黒い魔力が渦を巻き、地面を抉る。

ほんの一歩遅れていれば、ライムの身体はそこにあったはずだ。


「はぁ……はぁ……」


息が苦しい。

肺が焼けるように痛む。

それでも足を止めれば、次はない。


振り返らずともわかる。

背後にいるのは、魔族ドラグ。

この世界でも指折りの上位存在だ。


「逃げるか。無駄だな、雷魔法士」


低く、ねっとりとした声が背中を撫でる。

その声音だけで、全身の毛穴が開いた。


ライムは歯を食いしばり、最後の魔力をかき集める。


「――雷よ」


詠唱は短い。

だが、もう威力は残っていない。


白い閃光が走る。

それは攻撃というより、ただの抵抗だった。


ドラグは片手でそれを弾いた。


「終わりだ」


巨大な影が迫る。

死が、すぐそこまで来ていた。


そのとき――。


「ライム!」


聞き慣れた声が、空間を震わせた。


同時に、世界が歪む。


「リ……ドム……?」


賢者リドム。

幼い頃からの友であり、数少ない理解者。


彼は杖を掲げ、必死の形相で叫んだ。


「悪い、帰すぞ! 座標は――もう勘だ!」


「なっ――」


言葉を最後まで言う暇はなかった。


視界が白に塗り潰される。

音が消え、感覚が引き剥がされる。


そして――。


 



 


冷たい。


背中に伝わる感触で、ライムは目を覚ました。


「……ここは……」


見上げた空は、異世界のものとはまるで違っていた。

澄んだ青。

奇妙なほど均一な色。


周囲を見回す。


石造りの建物はない。

魔力の流れも感じない。

代わりに、見慣れない構造物と、舗装された地面。


「……転移、したのか?」


立ち上がろうとして、膝が笑った。


「ぐっ……」


身体が重い。

魔力は、ほとんど空だ。


そのとき、遠くから足音が近づいてきた。


「……誰か倒れてる?」


女性の声。

警戒を含んだ、しかし落ち着いた声だった。


ライムが顔を上げると、そこには黒髪の女性が立っていた。

軽装だが、無駄のない装備。

腰には、見たことのない武器。


彼女は一瞬で状況を判断したらしく、通信端末のようなものに口を近づける。


「こちら雨宮。負傷者発見。場所は――」


雨宮。

それが、彼女の名前らしい。


「……ま、待ってくれ」


かすれた声で、ライムは言った。


「意識がある?」


雨宮はすぐに近づき、しゃがみ込む。

視線が鋭い。


「君、探索者じゃないわね。装備も、服装も」


「探索……者?」


聞き慣れない言葉だった。


「ここは……どこだ?」


雨宮は一瞬だけ言葉を選び、答えた。


「日本。

そして――ダンジョンがある世界よ」


 



 


数十分後。


ライムは、簡易医療施設のベッドに横たわっていた。

身体の検査は終わり、命に別状はないらしい。


「……異世界から来た、ですって?」


向かいに座る雨宮かなえは、腕を組み、じっとライムを見ていた。


「信じられない話だとは思う」


ライムは正直に言った。


「だが、嘘は言っていない」


沈黙。


やがて、雨宮は小さく息を吐いた。


「最近、そういう話が“ない”とも言い切れないのが厄介ね」


「……?」


「ダンジョンが現れて五年。

 この世界は、もう普通じゃない」


彼女はそう言って、端末を操作する。


「正式なことはギルドに報告する。

 でも、その前に一つ聞くわ」


雨宮の視線が、まっすぐライムを射抜いた。


「君、戦える?」


ライムは答えた。


「……雷魔法なら」


その瞬間。


視界の端に、見慣れない光が浮かんだ。


 


【ステータス確認】


名前:ライム

種族:異世界人

レベル:1


魔力:低

耐久:低

敏捷:低


スキル

・雷魔法(初級)


 


「……これは……」


「どうしたの?」


雨宮の声が遠い。


ライムは、静かに拳を握った。


生きている。

異世界でもない。

だが、まだ終わっていない。


ドラグは、どこかで生きている。


なら――。


「戦える」


ライムは、はっきりと答えた。


「俺は……まだ、負けていない」


雨宮は一瞬だけ微笑み、立ち上がった。


「いいわ。

 じゃあまずは、ここで生き残る方法を教えてあげる」


こうして。


異世界の雷魔法士は、

現代という名の未知の世界に足を踏み入れた。


――レベル1からの、生き直しが始まる。


 

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