祝福の日に泥を塗った義姉へ捧ぐ、涙と友情のカウンター・スピーチ
@jnkjnk
第1話:祝福の日に潜む悪意
降り注ぐ光の粒子が、大聖堂のステンドグラスを透かして幻想的な虹色の帯を描き出していた。厳かなパイプオルガンの音色が天井の高い空間に満ち、清らかな空気そのものが私たち二人を祝福してくれているかのようだ。
純白のウェディングドレスの裾が、バージンロードの上で優雅な波紋を描く。隣に立つ愛する人、篠田健太くんの手を固く握りしめながら、私は祭壇の向こうに集う人々の温かい眼差しを受け止めていた。父と母の涙ぐんだ顔、学生時代からの大切な友人たちの弾けるような笑顔。そのすべてが現実のものとは思えないほど、幸福な光景だった。
「――健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しきときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、固く節操を守ることを誓いますか?」
神父様の穏やかな声が響く。
「はい、誓います」
健太くんの、少し緊張しながらも真っ直ぐで力強い声。続いて私も、胸に込み上げる万感の思いを込めて、はっきりと告げた。
「はい、誓います」
交換された指輪が、左手の薬指でひときゆわ輝く。ベールアップの瞬間に見つめ合った健太くんの瞳は、どこまでも優しく、そして愛おしさに満ちていた。ゆっくりと近づいてくる彼の顔。触れ合った唇の柔らかさと温かさに、私はそっと目を閉じた。ああ、本当に私、結婚するんだ。この人と、これからずっと生きていくんだ。
鳴り響く祝福の鐘の音と、参列者からの割れんばかりの拍手。その音の洪水に包まれながら、私は今日という日が人生で最も幸せな一日になることを、心の底から信じて疑わなかった。この瞬間に、ほんのわずかでも影を落とすものなど、この世界のどこにも存在しないはずだった。
チャペルから続く大階段でのフラワーシャワーを浴び、写真撮影を終えた私たちは、華やかな装飾が施された披露宴会場へと足を踏み入れた。メインテーブルに設えられた高砂に健太くんと並んで座ると、眼下に広がる光景に再び胸が熱くなる。たくさんの笑顔、笑顔、笑顔。私たちのために、こんなにも多くの人が集まってくれた。
「すごいね、美咲。夢みたいだ」
隣で健太くんが、感極まったように囁く。
「うん、本当に。みんな来てくれて、嬉しいね」
私も微笑み返し、会場の隅々まで見渡した。大学時代のゼミ仲間、会社の先輩や同僚。そして、健太くん側の親族席。にこやかにこちらへ手を振ってくれる健太くんのご両親の姿に、私も丁寧にお辞儀を返す。これから本当の家族になる人たちだ。誠心誠意、大切にしていこう。そう心に誓った、その時だった。
ご両親の隣の席。ひときわ華やかなフューシャピンクのドレスを纏った一人の女性と、視線が絡み合った。健太くんの姉、篠田由香里さん。口元には笑みを浮かべている。けれど、その目は一切笑っていなかった。まるで獲物を品定めするような、氷のように冷たい光。その一瞥で、私の背筋をぞくりと冷たいものが走り抜けた。
ああ、だめだ。思い出してしまう。
幸せな気持ちで満たされていた心に、じわりと黒い染みが広がるのを感じた。
「美咲? どうかした? 顔色が悪いよ」
健太くんが心配そうに私の顔を覗き込む。私は慌てて笑顔を作り直した。
「ううん、なんでもない。ちょっと緊張しちゃったみたい。大丈夫だよ」
「そっか。でも無理しないでね。今日は美咲が主役なんだから」
そう言って私の手を優しく握ってくれる健太くんの温もりに安堵しながらも、私の視線は再び、由香里さんの姿を捉えてしまう。彼女は、隣に座る自分の夫と何事か楽しげに話している。けれど、その会話の合間に投げかけられる視線は、明らかに私に向けられた刃だった。祝福の言葉も、笑顔も、すべてが偽りの仮面なのだと、私だけにはっきりと分かった。
由香里さんとの関係がこじれ始めたのは、健太くんからプロポーズを受け、結婚の挨拶に伺った時からだった。弟を溺愛する彼女にとって、私は「大事な弟を奪った、どこの馬の骨とも知れない女」でしかなかったらしい。初対面の時から、私の学歴や勤務先、両親の職業まで、尋問のように根掘り葉掘り聞かれたことを今でも覚えている。
結婚式の準備が始まってからは、その干渉はさらに執拗なものになった。
最も辛かったのは、ウェディングドレスを選んでいた時のことだ。提携先のドレスショップで、健太くんと彼の母親、そして「私も一緒に選んであげる」と当然のように付いてきた由香里さんと四人で訪れた日。
「まあ、素敵! 美咲さん、これなんてどうかしら?」
健太くんのお母様が、繊細なレースをあしらったAラインのドレスを指差す。私もその上品なデザインに心を惹かれ、「着てみたいです」と胸を弾ませた。しかし、そのドレスをハンガーから取り上げた由香里さんは、聞こえよがしに大きなため息をついた。
「お母様、これは駄目ですよ。こんな細々としたレース、写真じゃ全然映えませんって。それに、こういうのはもっとこう…育ちのいいお嬢様が着てこそ映えるデザインですし」
「ゆ、由香里…」
戸惑うお母様を尻目に、由香里さんは私に向き直ってにっこりと笑う。その笑顔が悪魔のように見えた。
「高坂さんには、こっちの方がお似合いじゃない? もっとシンプルで、お値段も手頃な感じの。ねえ、健太もそう思うでしょ?」
由香里さんが指差したのは、装飾がほとんどない、悪く言えば地味でのっぺりとした印象のドレスだった。健太くんが「え、そうかな? 俺はさっきのレースの、美咲に似合うと思うけど…」と口を挟むと、由香里さんは途端に不機嫌な顔になる。
「健太は分かってないわね! 篠田家の嫁として、みっともない格好はさせられないって言ってるの。高坂さんの身の丈に合ったものを選んであげようっていう、姉の優しさが分からないの?」
「いや、でも優しさって…」
「もういいわ! 私の意見は聞く気がないのね!」
結局、その場は健太くんが「ごめん姉さん、俺が悪かったから」と謝ることで収まった。私はただ、茫然と立ち尽くすことしかできない。彼女の言う「身の丈に合った」という言葉が、鋭い棘となって胸に突き刺さっていた。まるで、あなたは篠田家にふさわしくない安物の女だ、と宣告されたようなものだったから。
招待客のリスト作りも、悪夢のようだった。
健太くんのアパートで二人、ああでもないこうでもないと頭を悩ませていた時、由香里さんはアポなしでやって来た。
「あら、ちょうどよかった。リスト、私もチェックしてあげる」
そう言って私の手からリストをひったくると、友人たちの名前に片っ端からケチをつけ始めた。
「この相沢亜矢って子、弁護士? なんだか気が強そうね。披露宴で変なこと言わないでしょうね」
「宮下詩織…IT企業ね。SNSの更新がやけに派手な子じゃないでしょうね。品位を疑われるわ」
特に、親友の一人である奈々の名前を見つけた時の彼女の顔は、侮蔑に満ちていた。
「小野寺奈々、保育士…まあ。大変なお仕事ですこと。でも、こういう職業の方って、どうも常識に欠けるところがあるから。健太の会社の大事な方々もいらっしゃるのに、変な振る舞いをされたらどうするの?」
「姉さん、いくらなんでも言い過ぎだ!」
健太くんが声を荒らげても、由香里さんは怯まない。
「私は事実を言っているだけ。弟の結婚式を成功させたい一心なのよ。高坂さん、悪いけどこの子たちは招待客から外してちょうだい。それができないなら、友人代表スピーチは健太の友人だけにしてもらうわ」
「できません」
その時、私は初めてはっきりと反論した。
「亜矢も詩織も奈々も、私の人生にとってかけがえのない、大切な友人です。彼女たちがいない結婚式なんて、私には考えられません」
私の強い口調に、由香里さんは一瞬虚を突かれた顔をしたが、すぐに冷笑を浮かべた。
「…そう。まあ、あなたの結婚式ですものね。好きにすればいいわ。ただし、何か問題が起きても、私は一切関知しないから。篠田家の恥にならないよう、せいぜいご友人たちをしっかり教育しておいてちょうだいね」
捨て台詞を残して帰っていく由香里さんの背中を見ながら、私は悔しさに唇を噛み締めた。健太くんは「ごめん、美咲。姉さん、いつもああなんだ。悪気はないんだよ」と私を慰めてくれたけれど、その言葉はもはや私の心には届かなかった。悪気がない? あれほどの悪意をぶつけておいて? あなたには、私のこの痛みが見えないの?
そんな出来事が、何度も、何度もあった。引き出物の選定、席次の決定、二次会のプラン。私が何かを決めようとするたびに、由香里さんはどこからともなく現れては、私の選択を「品がない」「センスが悪い」「常識がない」と罵り、すべてを自分の思い通りにコントロールしようとした。
そのたびに私は、波風を立てたくない一心で、そして何より健太くんを困らせたくない一心で、ぐっと堪えてきた。健太くんが優しい人であることは知っている。けれど、幼い頃から唯一の姉である由香里さんに頭が上がらないことも、家族間の揉め事を真正面から受け止めるのが少し苦手なことも、分かってしまっていたから。私が我慢すれば、丸く収まる。そう自分に言い聞かせ続けてきた。
――だけど、今日は。
今日だけは、私の、私たちの、大切な一日なのだ。
「新郎新婦ならびに、ご両家の皆様、本日は誠におめでとうございます」
主賓の挨拶が始まり、私ははっとして意識を現在に戻した。健太くんの会社の社長さんだ。私は背筋を伸ばし、にこやかに耳を傾ける。だめだ、しっかりしなきゃ。由香里さんのことばかり考えていたら、この素晴らしい瞬間を味わうことすらできなくなってしまう。
友人たちが座るテーブルに目をやると、親友の三人が心配そうにこちらを見ていた。冷静沈着な弁護士の亜矢。情報分析が得意なITウーマンの詩織。そして、誰よりも情に厚い保育士の奈々。私の視線に気づいた三人は、こっそりと力強く頷いてみせる。その仕草は、まるで「大丈夫、私たちがついてる」と語りかけてくれているようだった。
ああ、そうだ。私には、この心強い友人たちがいる。
彼女たちにだけは、由香里さんから受けてきた仕打ちを打ち明けていた。三人は私の話を黙って聞き、自分のことのように怒り、そして「結婚式当日に何かあったら、絶対に許さない。私たちに任せて」と言ってくれていたのだ。その言葉を思い出し、少しだけ心が軽くなる。
乾杯の音頭と共に、会場のボルテージが一気に上がる。和やかな歓談の時間。次々と高砂にやって来てくれる友人や同僚たちと、笑顔で言葉を交わし、写真を撮る。その喧騒と祝福の中で、私は一瞬、由香里さんの存在を忘れかけていた。
だが、幸せな時間は長くは続かない。
ふと視線を戻した先で、私は見てしまった。由香里さんが、ハンドバッグから白い封筒を取り出すのを。それはおそらく、これから行われる彼女のスピーチの原稿だろう。彼女は、その封筒をまるで大切な宝物のように両手で持ち、その角を細い指で愛おしそうになぞった。
そして、ゆっくりと顔を上げ、私と視線を合わせる。
その口元が、ほんのわずかに歪んだ。それは、勝利を確信した者の、残酷で、不敵な笑みだった。
ぞわり、と全身の産毛が逆立つ。
スピーチ。祝福の場で行われる、スピーチ。そこで、彼女は何を話すつもりなのだろう。弟を思う姉からの、心温まるエピソード? 私たちの未来を祝う、優しい言葉?
――違う。絶対に、違う。
彼女のあの目は、何かを企んでいる目だ。私のすべてを、この幸せな一日を、根底から破壊しようとする者の目だ。結婚の準備期間中、私が必死に堪え、守り抜いてきたささやかなプライドや尊厳を、この大勢の前で完膚なきまでに叩き潰そうとしている。
冷たい汗が、背中を伝う。隣の健太くんは、上司の席に挨拶に行っていていない。高砂の上で、私はたった一人だった。助けて、と声にならない叫びが喉まで出かかった、その時。
ポケットに入れていたスマートフォンが、微かに震えた。友人たちとのグループメッセージだ。テーブルの下でそっと画面を確認する。
『やっぱり、やる気だね。あの女』
詩織からの短いメッセージ。
『覚悟はいい? 美咲』
亜矢からの、力強い言葉。
『絶対、美咲を泣かせたりしないから!』
奈々の、優しい決意。
そして、亜矢からもう一言。
『プランB、実行する』
その文字を見た瞬間、私の心の中で、恐怖とは違う何かが静かに燃え上がった。そうだ。私はもう、一人じゃない。そして、ただ耐えているだけの弱い女でもない。
この日のために、友人たちが準備してくれた「お守り」がある。
私は顔を上げ、もう一度、由香里さんを真っ直ぐに見つめ返した。彼女はまだ、私を嘲るような笑みを浮かべている。これから始まる破滅のショーを前に、胸を高鳴らせているのだろう。
いいわ、由香里さん。
あなたのやりたいように、やってみなさい。
でも、覚えていて。あなたが泥を塗ろうとしているのは、私が人生をかけて手に入れた、最高の祝福の日。そして、その祝福を守るために、命懸けで戦ってくれる友人たちが、ここにいるということを。
司会者の明るい声が、会場に響き渡る。
「それでは皆様、お待たせいたしました。続きましては、新郎の姉君、篠田由香里様より、お祝いのスピーチを頂戴いたします。由香里様、どうぞマイクの前へお進みください!」
嵐の前の静けさ。
割れんばかりの拍手の中、由香里さんは優雅な仕草で立ち上がり、ゆっくりとマイクへと歩みを進めていく。その一歩一歩が、私の運命を告げるカウントダウンのように思えた。
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