第20話 影が留守の間に

 影国主えいこくしゅである俺は、影都えいとの外にいた。


 目的地は――

 妖都【クグツ】。


 助けを求める、というより正確には確認だ。


 この戦争が、

 どこまで広がるのか。

 どこまで、俺が一人で背負うべきなのか。


「……間に合うはずだ」


 自分に言い聞かせる。


 影の軍団は整っている。

 街の構造も、防衛も、想定はした。


 だが――

 それでも、不安は消えなかった。


 その時だった。


 影が、震えた。


 はっきりとした異常。


「……来い」


 次の瞬間、森を裂いて一体の妖狐が現れた。


 息が荒い。

 尾の一本が、焦げている。


「影国主……!」


 声が、震えていた。


「影都が……

 襲われています」


 頭が、一瞬、真っ白になる。


「誰だ」


 問いは、短くなる。


「【セイラン王国】です」


 妖狐は、歯を食いしばった。


「正式な軍ではありません。

 傭兵、異端狩り、陰陽寮の一部……

 **“切り捨て可能な部隊”**です」


 理解した。


 これは、戦争ではない。


 実験だ。


「どのくらい前だ」


「……半刻」


 俺は、影を掴んだ。


「戻る」


 迷いはなかった。


 クグツへの道を、即座に捨てる。


 影が、地面を裂く。


「《影遷えいせん》!」



 影都が見えた瞬間、

 嫌な予感は、確信に変わった。


 煙。


 街の上に、黒い柱が立っている。


「……遅れたか」


 影遷を解き、地に立つ。


 次に目に入ったのは――

 崩れた区画だった。


 家屋が焼け落ち、

 道は抉られ、

 結界塔の一つが、折れている。


 血の匂い。


 怨嗟の残滓。


「……王……」


 鬼火小僧おにびこぞうが、瓦礫の向こうから現れた。


 服は裂け、

 鬼火が、不安定に揺れている。


「……すまねえ」


 その一言で、全てが分かった。


「止められなかったか」


「ああ……」


 声が、震える。


「奴ら、殺す気はなかった。

 壊すだけ壊して、逃げた」


 俺は、歯を噛み締めた。


 最悪のやり方だ。


 殺されなかった者は、生きて苦しむ。

 街は、壊され、

 中立の象徴は、踏みにじられた。


「……死者は」


「出た」


 鬼火小僧は、視線を逸らした。


「守ろうとして……

 影の軍団の連中だ」


 胸の奥で、何かが冷えた。


 初めての犠牲。


 俺が、留守にしたせいだ。


 瓦礫の間から、声が聞こえる。


 泣き声。

 怒鳴り声。

 呆然とした沈黙。


 影都は、悲鳴を上げていた。


 俺は、街の中央へ歩く。


 広場だった場所は、

 半分が焼け落ちている。


 中立宣言の碑が、

 真っ二つに割れていた。


「……なるほど」


 声が、低くなる。


「ここまでやるか」


 これは宣戦布告ではない。


 見せしめだ。


 ――中立を名乗るなら、こうなる。


 セイラン王国の、無言の回答。


 影が、足元で荒れ狂う。


 だが、俺は抑えた。


「……泣くのは後だ」


 俺は、街に向けて言う。


「影の国は、終わらない」


 崩れた街に、影が伸びる。


「立て直す」


 そして――

 二度と、留守にしない。


 遠くで、狐の使者が、悔しそうに呟いた。


「……王」


「分かっている」


 俺は、空を見上げる。


「もう、助けを求めに行く段階じゃない」


 影都は、襲われた。


 中立は、試された。


 そして――

 次は、こちらが選ぶ番だ。


 影国主は、

 この惨状を“敗北”とは呼ばない。


 覚悟を固めるための代償だ。



 影都えいとの夜は、重かった。


 灯りは戻りつつある。

 だが、人々の目からは、まだ光が消えている。


 瓦礫の一角。

 そこに、布で覆われた死者たちが並んでいた。


 影の軍団の者たち。

 街を守るために前に出て、戻らなかった者たち。


 俺――影国主えいこくしゅは、その前に立つ。


 逃げなかった。

 目を逸らさなかった。


「……王」


 【ミズハ】が、低く声をかける。


「蘇らせるのか」


 周囲の妖怪、人間、全員が息を止めた。


 俺は、静かに首を横に振る。


「蘇生ではない」


 影が、地面に広がる。


「これは、選択だ」



 死者の影は、まだ残っている。


 影縫として、それが見える。


 完全に消えた者はいない。

 だが――

 戻すには、条件がいる。


「聞いてほしい」


 俺は、集まった者たちに告げた。


「影の国は、死を踏み倒さない」


 ざわめき。


「死んだ者は、死んだ。

 それは、事実だ」


 影が、死者たちの足元で静かに揺れる。


「だが――

 影として残る道はある」


 鬼火小僧おにびこぞうが、歯を噛みしめる。


「……どういう意味だ」


「肉体は、戻らない」


 はっきりと言う。


「名も、元の立場も、戻らない」


 空気が、冷える。


「それでもなお、

 この国を守り続けたい者だけが――

 影として立ち上がれる」


 それは、救済ではない。


 契約だ。



 俺は、影を一段深く落とした。


「《影縫・帰属判定きぞくはんてい》」


 影が、死者一人一人に触れる。


 その中で、反応した影があった。


 ――まだ、守りたい

 ――悔しい

 ――終わりたくない


 三つ。


 全員ではない。


「……少ないな」


 誰かが呟く。


「十分だ」


 俺は、答えた。


「死は、軽くない」


 影が、反応した影を包む。


「《影縫・転位てんい》」


 次の瞬間。


 影から、人型の影が立ち上がった。


 顔は、ない。

 声も、ない。


 だが、そこに意志がある。


「彼らはもう、人ではない。

 妖怪でもない」


 俺は、宣告する。


「影の国に属する、

 **影兵えいへい**だ」


 ざわめきが起こる。


 恐怖と、敬意が混じった視線。


「命令はしない」


 影兵たちは、静かに立つ。


「彼らは、自分の意思で立ち続ける」


 それが、影の国の蘇り方だった。



 次に。


 俺は、瓦礫の向こう――

 捕らえられた者たちへ視線を向けた。


 【セイラン王国】から来た、

 “切り捨て可能な部隊”の残党。


 縛られ、怯え、

 だが生きている。


 人々の中に、怒号が走る。


「殺せ!」

「報復だ!」

「同じ目に遭わせろ!」


 俺は、手を上げた。


 影が、場を鎮める。


「判決を下す」


 声は、冷たかった。


「影の国は、報復をしない」


 怒りが、膨らむ。


「だが――

 責任は取らせる」


 俺は、一人一人を見る。


「お前たちは、殺さない」


 兵の一人が、泣きそうな顔で顔を上げる。


「だが、帰らせもしない」


 沈黙。


「《影縫・国境固定こっきょうこてい》」


 影が、彼らの足元に絡みつく。


「生きて、働け」


 はっきりと告げる。


「瓦礫を直し、

 道を整え、

 この街を、元に戻す手助けをしろ」


 それは、牢獄ではない。


 逃げられない責任だ。


「終わるまで、影の国を出ることは許さない」


 俺は、最後に言った。


「これが、影の国の判決だ」



 夜が更ける。


 影兵たちは、街の外周に立った。


 静かに。

 黙って。


 生者と死者の境界に。


 【ミズハ】が、俺の隣で言う。


「……優しいな」


「違う」


 俺は、否定する。


「逃がさないだけだ」


 死も。

 罪も。

 責任も。


 影の国は、

 それらすべてを曖昧にしない。


 だからこそ――

 重い。


 だが、もう戻らない。


 影国主は、

 この国の“裁き”を引き受けた。

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影に縫われし妖怪、式神を集めて国を成す 羽蟲蛇 響太郎 @Kyotaro_1123

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