第18話 正義の裏で、災厄が目を覚ます

 影都えいとに、再び使者が訪れた。


 今度は、急ぎ足だった。


影国主えいこくしゅ殿!」


 【リオネス公国】の使者【ユリウス】は、前回とは違い、深く頭を下げた。


「公国は、貴国の宣言を受け入れます」


 広場が、静まる。


「影の国を交渉地として利用しない。

 また、中立を理由とした責任転嫁を行わない」


 はっきりとした言葉だった。


 俺は、一歩前に出る。


「理由を聞こう」


 ユリウスは、苦く笑った。


「……民が、理解したのです」


 彼は続ける。


「影の国が“便利な場”ではなく、

 覚悟を背負って拒んだ国だと」


 ミズハが、静かに尾を揺らした。


「賢明な選択だ」


 ユリウスは、最後にこう付け加えた。


「ただし――

 セイラン王国は、まだ諦めていません」


 それだけ告げ、使者は去った。


 影都に、わずかな安堵が広がる。


 ――中立は、踏み台にされなかった。


 少なくとも、今日は。



 その夜。


 街の外れ、結界の向こうで――

 ふだが、燃えた。


 嫌な気配。


 俺は、影を走らせる。


「……来たか」


 そこにいたのは、【アベノ・セイラン】だった。


 だが、様子が違う。


 額に浮かぶ汗。

 乱れた呼吸。

 胸元の札が、震えている。


「……もう、隠せない」


 彼は、かすれた声で言った。


「王よ。

 私の中にいる妖の正体を、知る時が来た」


 影が、濃くなる。


「言え」


 セイランは、震える手で符を一枚、剥がした。


 瞬間。


 凄まじい妖気が噴き出す。


 街の灯が、一斉に揺れた。


「……っ!」


 鬼火小僧おにびこぞうが、結界塔から叫ぶ。


「ヤバい!

 これ、九尾クラスだぞ!」


 セイランは、歯を食いしばる。


「違う……」


 声が、二重に響いた。


「これは――

 人を喰って生き延びた妖だ」


 影の奥に、姿が浮かぶ。


 巨大な獣影。

 無数の人の怨嗟を纏い、

 なおも生き残った存在。


「名は――」


 セイランが、絞り出す。


「【餓鬼神がきしん】」


 その名を聞いた瞬間、

 俺は理解した。


 邪悪な妖怪だけを討つ陰陽師。

 それは正義ではない。


 餌を与えないための制限だった。


「この妖は、人の怨念を糧にする」


 セイランの声が、悲鳴に近い。


「邪悪な妖を討てば、

 怨念を減らせると思った……!」


 札が、次々に焼け落ちる。


 餓鬼神が、内側から吠えた。


 ――足りない

 ――もっと寄越せ

 ――人を喰わせろ


「……時間切れだ」


 俺は、影を構えた。


「セイラン」


 彼は、顔を上げる。


「約束だ」


 震える目で、俺を見る。


「もし、私が邪になったら……」


「分かっている」


 影が、街を包む。


「止める」


 次の瞬間。


 餓鬼神の腕が、セイランの影を突き破った。


 地面が割れ、結界が悲鳴を上げる。


 街に、警鐘が鳴り響く。


「戦闘態勢!」


 鬼火小僧の叫び。


 妖狐衆が、結界を重ねる。


 セイランの声が、もはや人のものではなくなる。


「……逃げろ……!」


 餓鬼神が、完全に姿を現そうとする。


 影が、真正面から立ち塞がった。


 ここは、中立国。


 だが――

 災厄は、拒否できない。


 俺は、影を引き絞る。


「影の国、総員」


 声が、夜を裂く。


「――迎撃準備!」


 こうして。


 影の国は、

 初めて“街を守る戦い”に踏み込む。


 それは、

 正義と正義がぶつかる戦争の始まりだった。



 影都えいとに、警鐘が鳴り響いた。


 夜を裂く音。

 恐怖ではない――警告だ。


「来るぞ!」


 鬼火小僧おにびこぞうの叫びと同時に、地面が裂けた。


 餓鬼神がきしん


 それは妖怪というより、災厄だった。


 人の怨念を肉とし、記憶を骨とし、

 生き延びるためだけに喰らい続けた存在。


 無数の腕。

 歪んだ顔。

 叫びとも笑いともつかぬ声。


 街の灯が、次々に消えていく。


「……影国主……」


 中心に、【アベノ・セイラン】がいた。


 身体はまだ人の形を保っている。

 だが、その影は完全に餓鬼神と繋がっている。


「すまない……」


 震える声。


「最後まで……抑えきれなかった……」


 俺――影国主えいこくしゅは、一歩前に出た。


「違う」


 影が、足元から立ち上がる。


「ここまで、よく耐えた」


 餓鬼神が吼えた。


 ――喰わせろ

 ――人を

 ――この街を


 結界が、悲鳴を上げる。


「妖狐衆!」


 【ミズハ】が即座に応じる。


「結界三重展開!

 街区を分断する!」


 幻と影が重なり、餓鬼神の動きを削ぐ。


 鬼族が前に出る。


「街には、行かせねえ!」


 だが――

 餓鬼神の腕が、鬼の一体を弾き飛ばした。


「……っ」


 格が違う。


 真正面からでは、街が持たない。


影縫かげぬい……いや」


 セイランが、かすかに笑った。


「影国主……」


 彼は、震える手で胸を押さえる。


「私を……斬れ」


「断る」


 即答だった。


「約束しただろう」


 影が、セイランの影へと伸びる。


「止める、と」


 俺は、影を縫った。


 餓鬼神とセイランを、切り離すために。


「《影縫・分離式ぶんりしき》!」


 影が、内側へ潜り込む。


 叫びが、二つに分かれた。


 ――飢え

 ――恐怖


 セイランの身体が、崩れ落ちる。


「……助かるな……」


 弱々しい声。


「これで……よかった……」


 餓鬼神が、完全に分離した。


 巨大な影が、夜空を覆う。


 だが――

 今度は、逃げない。


「影の国、武力行使を宣言する」


 俺の声が、街に響いた。


「これは、防衛だ」


 中立国、初の武力行使。


 影が、街全体と繋がる。


「《影都全域・拘束領域こうそくりょういき》」


 影が、餓鬼神を縫い止める。


 【ミズハ】が、牙を剥いた。


「終わらせるぞ」


 妖狐衆の力が、一点に集まる。


 鬼族の炎が、影に重なる。


 ――喰わせろ

 ――喰わせろ

 ――喰わせろ


「喰わせない」


 俺は、前に出た。


「お前は、ここで終わる」


 影が、餓鬼神の核を貫いた。


「《影喰かげばみ》」


 影が、影を喰らう。


 餓鬼神が、悲鳴を上げる。


 怨念が、砕け、散り、

 夜に溶けていく。


 ――討伐、完了。



 地面に、静寂が戻った。


 セイランが、俺を見上げていた。


 呼吸は、浅い。


「……王よ」


「喋るな」


「いい……もう……」


 彼は、微笑んだ。


「……私は……人を守りたかった……」


 影が、彼の身体を包む。


 命が、消えかけている。


 このままでは――

 死ぬ。


 俺は、迷わなかった。


「……なら、ここに来い」


 影を、開いた。


「《影縫・継承けいしょう》」


 セイランの身体が、光に溶ける。


 魂、記憶、力。


 すべてが、影へと流れ込む。


 次の瞬間。


 世界が、変わった。


 身体の感覚が、変質する。

 心臓の鼓動が、違う。

 血ではない何かが、巡る。


 ――人ではない。


 だが、妖怪とも違う。


 中身も、力も、妖怪。

 外見だけが、人。


 俺は、セイランを取り込んだ。


 彼の意思を、背負った。


「……影国主……」


 最後の声が、胸の奥で消えた。


「……任せろ」



 翌日。


 世界は、動いた。


 【セイラン王国】からの書状。


影の国による武力行使を確認。

これは、中立の破棄であり、

人間国家への脅威である。


ここに、宣戦を布告する。


 影都に、重い沈黙が落ちる。


 鬼火小僧が、歯を食いしばる。


「……来やがったか」


 【ミズハ】が、静かに言った。


「中立は、終わったな」


「違う」


 俺は、立ち上がる。


 影が、以前よりも深く、強い。


「中立は、守った」


 視線を上げる。


「だが――

 守るためなら、戦う」


 人でもない。

 妖怪でもない。


 影国主は、

 新しい存在になった。


 そして、世界は今、

 影の国を“敵”として認識した。


 だが、もう退かない。


 影は、逃げ場ではない。


 守るための刃だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る