第七話 中村有希

視点 : 中村有希


【9月14日(土)】

 ツムギと夏菜子は、毎日揃って妹たちを迎えに行っているらしかった。部活のある土曜日も勿論預けているみたいで、今日は私も加わっている。駅を降りると閉店間際のスーパーがあって、買い出しをしてから目的地へと向かった。

「ツムギってバイトしてるの?」

「ううん、してないよ〜」

「じゃ、お金どうしてるの? 保育園だってタダじゃないでしょ?」

「全部、お父さんが出してるんだよね」

「お金なくなったら、どうするの……?」

 遺産だか保険だか知らないけれど、無限の財産なんて存在しない。父親の金が尽きたら、妹たちもそうだし、ツムギ自身も立ち行かなくなる。

「その時は……働かないとかなあ。学校も辞めないとだろうねえ」

「辞めなくても大丈夫、私もバイトするから。吹部辞めれば時間も出来るだろうし、どうせ私はコンクール出れないから」

 夏菜子が優しく彼女の背中を叩く。対してツムギは感謝を述べている。甘い……甘すぎる。そんなの無理だ。子供二人を育てるのにどれだけお金が掛かるか分かってない。それにツムギの父親は反社だ。国からの支援なんかも受けられるはずがない。ツムギは分かっているからこそ優しさを受け入れたようだったけれど、夏菜子は相変わらずのお気楽脳だった。

 それから他愛もない話を続けていると、すぐに建物が見えてきた。暗くてよく見えないけれど、最近出来た園なのか外観はとても綺麗だった。二人が前を歩いて行って、私は後からついていく。仕切りのスクリーンフェンスを周り込んで、ツムギが正面玄関のインターホンを押した。

「持永です~」

 すぐに職員の女性がやってきて鍵を開けてくれた。彼女の背後から二人の女の子が飛び跳ねながらやってくる。お互いにまったく同じ顔をしていて、入れ替わっても絶対に分からない。色の違う服でも着させればいいのに、何もかもが同じだ。先生たちはこの子たちのことを見分けられるのだろうか。そもそもツムギは二人のことを見分けられるのかな……。

「ありがとうございました~」

「「ばいばーい」」

 ツムギと職員がしばらく話して、5人の大所帯で保育園を出る。双子の片方がツムギと、片方は私と手を繋いでいた。いつもは夏菜子と繋いでいるらしいけれど、今日は私の手を握ってくれている。夏菜子はツムギの持っていたスーパーの買い物袋を持ってあげていた。

「ゆきちゃんもサックスやってるの?」

「違うよ、私はフルート」

「わふるーと、ってなに?」

「違う違う、フルート!」

 土日は父親が帰ってこないらしく、夏菜子と私は今日泊まることになっている。そのまま吹奏楽の話とか、保育園での話とかをしながらツムギの家へと歩いて行った。時間は既に二十二時前。空はとっくに暗闇で、道路沿いの街灯と民家の灯りが夜を喰んでいる。いつもこんな中で帰っているのかと、少しだけ心配になった。


 平屋のボロい一戸建てがいくつか並んでいて、そのうちの一番手前が持永家のようだった。どう見ても賃貸だと思ったけれど、一応持ち家らしい。ツムギが鍵を開けると引き戸をガラガラと開けて、双子が真っ先に中へと入って行った。夏菜子に続いて私もお邪魔させてもらう。横目で見た玄関ポーチの隅には、大量の吸い殻が捨てられていた。

「こら! 夜遅いんだから静かにして、夏菜子もうるさい! みんな早くお風呂入って」

「ごめんごめん〜」

 子供は元気なもので、22時を過ぎたというのにはしゃぎ回っていた。夏菜子も楽しいようで、双子たちと一緒に遊んであげている。ツムギがピシャリと言うと、夏菜子含めた三人はお風呂の用意を始めた。ツムギの意外な一面を見て、感心してしまう。私はちょっとだけ彼女のことが気に入った。

 それから夏菜子が、双子をお風呂に入れてあげていた。いつの間にか天気が陰っていたようで、家の外では激しい雨音が鳴り響いている。天気予報、晴れだったのになあ。傘、持ってきてないや。そしてツムギはというと、台所で料理をしていた。子供たちは園で食べてきたみたいで、作っているのは私たちの分と作り置きの分らしい。お客さんだから、と手伝いを断られた私は、居間に座って部屋を眺めていた。シンクのあるほうから、包丁を打ち付ける規則的な音が聞こえている。

「綺麗な部屋だね」

「そうかなあ? でもまあ掃除はちゃんとしてるからねえ、健康に悪いだろうし……狭いけどねっ」

 ほとんどワンルームの室内は、確かに狭い。部屋の一部を襖で仕切っているが、それがまた狭苦しさを演出するのに一役買っている。日中は出たきりだからなのかもしれないけれど、畳張りの床に余計なものは何もなく、隅々まで埃は見当たらなかった。健康とは自分のことではなく、妹たちのことだろう。あの子たちを迎えてからのツムギは、さながら母の顔をしている。彼女らのことを自分の子だと思って、心から大切にしていることが伝わってきていた。

「お父さんは土日、帰って来ないで何してるの?」

「さあね、どうせろくな事してないよ」

「妹ちゃんたちの面倒は少しも見てくれないの?」

「全然ダメ。でも身分がバレたら困るから、書類とか面談とか、そういうことだけはちゃんとやってもらってるんだ」

 親子揃って、世間を欺いているようだった。でもそうでないと、とっくに居場所なんてなくなっているはずだ。最低な父親。ううん、そんなの父親じゃない。こんなの相当上手くやって、それに運も良くなければ成り立たない。もし娘がツムギでなければ、こんな家庭とっくに消えてなくなっているはずだ。

「……最低だね」

 部屋の一角にひとつだけ置かれた写真をボーっと見つめながら、無意識に呟いた。綺麗な女性の笑顔がこちらに目線をやっている。横に壺のようなものがあって、花が供えられていた。それはきっと彼女の母親のものだと思う。けれど、どちらの母親なのかは分からなかった。

「……」

 包丁の音が止んでいた。それどころか、台所からは何の音もしなくなっている。遠くで子供達がキャッキャと騒いでいる声が聞こえた。

「やめて」

「……え?」

 台所のほうを見ると、彼女がこちらを向いていた。右手には包丁を携えている。その表情は背筋が凍るほどの冷たい表情をしていて、私は彼女から目を逸らすことができなかった。

「どうしたの……?」

 不安な顔を返すと、彼女は途端に破顔した。いつもと変わらぬ、知能の低そうな笑顔。凍っていた背筋も、ゆっくりと解凍されていく。

「お父さんね、有希ちが思ってるような人じゃないよ? 意外と良い父親なんだから」

「……そ、そうなの?」

「うんうん、とっても優しいし。私、お父さんのこと大好きなんだよねえ」

「……」

 義理とはいえ自分の母親を殺すような人間のことが大好き……? それに娘の面倒も見ず、ヤクザになるような奴が良い父親……? 実の母親が自殺したのだって、もしかして……? 私は何も言えなかった。彼女は振り返って、目の前のことを再開する。呆けていると、風呂場のほうから裸のままの双子が飛び込んできた。ツムギが料理に向かったまま、服を着なさいと怒っている。そんな彼女の背中が微かに震えているような気がしたのは、私の勘違いなのかもしれない。

 

 それから私とツムギがお風呂に入って、ご飯を食べる頃になると子供たちはすっかり寝静まっていた。なるべく音を立てないよう、静かに食事する。質素だけれど、温かみを感じる美味しい夕食だった。

「ちょっと二人に相談があるんだけど……」

 食事が終わってこれから片付けをしようという頃、提言したのは私だった。どうしたの、というふうに二人が穏やかで優しい顔を向けてくれる。私は立ち上がると襖で仕切られた寝室を覗いて、子供たちが寝静まっていることを確認した。

 時刻は0時ちょうどを指している。窓に打ち付ける雨の音は気付けば止まっていて、ポタポタという滴る音が聞こえていた。ここには幸せそうな妹たちと母代わりの姉がいる。そして自分ごとのように協力してくれる優しい親友もいる。苦しみながらも、得られる幸せを存分に謳歌している。何事にも変え難い家族愛をはっきりと感じられた。

 もしかすると私は病気なのかもしれない。己の渇望の前には、この幸せがまるで道端に生え散らした雑草のように思えてしまう。どれだけ踏まれて痛めつけられようと、誰一人として同情する者はいない。そんな瑣末なものだった。

 

 相談が済んでから、しばらくの時間が経った。疲れ果てたようで、ツムギも夏菜子もようやく寝息を立て始めた。二人とも布団を敷かず、力尽きたようにその場に倒れている。夏菜子に至っては、地べたに顔面を押し付けながら畳目に嚙みついていた。食べた後の食器は誰にも片付けられないまま、テーブルの上に散乱している。壁に掛けられたアナログ時計が、3時半を指していた。

 ――次期部長は河瀬に決まりだね。

 金曜の昼休み、部長と副部長がそう話していたのを盗み聞きした。そのあとすぐにトイレに駆け込んで、食べた昼食を全部吐き戻してしまった。今日は日曜日。これからまた部活が始まるのだから、私もそろそろ寝なければならない。けれど結局一睡もできず、気付けば朝陽が室内を照らし始めたのだった。とっくに空は晴れ上がっているのだろう。カーテンの隙間から陽射しとともに鳥の囀りが流れ込んできていた。

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