ハレーション
ろゆ
ハレーション
皆様にはますますご清祥のこととお慶び申し上げます
この度 私たちは結婚式を挙げることとなりました
つきましては 日頃お世話になっております皆様に
感謝の気持ちを込めて ささやかな小宴を
催したく存じます
ご多用中 誠に恐縮でございますが
何卒ご臨席賜りますようご案内申し上げます
謹白
二〇二五年十月吉日
北川
秋月
夏が影を落とし、冬に備えて納戸から
「啓くん、この人に何かしたの? 」後ろから覗き込むように、小雪が案内状を指さして言う。案内状の、日時や会場が書いてある所の下の余白に、手書きで「
「別に、なにも。昔ちょっと揉めただけだよ」小雪の方を向いて、啓は言う。
「そう。ねえ啓くん、これ私も行っていい? 」
「うん。一緒に行こうか」
小雪はにこりと微笑んで、リビングへと戻っていく。啓はもう一度案内状に目を落とし、余白に書かれた手書きの文字をなぞった。
*
息苦しさを感じてネクタイをほどいた。着慣れないスーツで一日を過ごすと、身体中に疲れが溜まる。社会に出たらこれが日常になってしまうと思うと、啓は思わず
アパートのエントランスをくぐり、郵便受けの前で自宅の番号を検索する。一〇五を見つけ、取っ手を引き上げると封筒の束が乱雑に重ねられていた。大抵はそのまま捨ててしまうので、宛名も見ず掴める分だけ取って、自室の戸を開けた。
長い実家暮らしの影響で、稀に「ただいま」と言いそうになる。その度、一抹の寂しさを感じ、無性に消えてしまいたくなるため、休日は基本的に外出しないようにしていた。
八畳程のワンルームに適当に荷物を放り、部屋着に着替える。来週こそ使う機会がないことを祈りながら、スーツにファブリーズをかけた。
リビングから玄関まで続く廊下の途中にあるキッチン、その隣の冷蔵庫を開けると、使いかけの野菜と、ビールが数本入っていた。明日買い物に行く予定を頭の中で組みながら、余った野菜を全て取り出す。野菜を適当に切って、調味料を加えてそのまま炒め物にする。
ふと、ポケットからピロンと軽快な音が鳴った。スマホを開くと、いくつかのアプリの通知の他に、メールが一件届いていた。件名は、「選考結果について」、先週面接を受けた企業で、かなり手応えがあった。一旦火を止めて、一度祈ってからメールを開く。前文を読み飛ばし、目当ての文字列に目をやる。
「誠に残念ではございますが……今回は採用を見合わせて……」
そこまで読んで、そのままスマホの画面を切った。スマホをポケットに戻し、台所に手をついて、そのまましゃがみ込んでしまう。手応えがあっただけに、いつもよりショックが大きい。今日受けた企業は、思ったように話せず、惨敗だった。
目の前の炒め物に対する興味が、一瞬にして冷めてしまった。フライパンの中身をタッパーに移し、冷蔵庫に戻す変わりに、ビールを一本取り出す。プルタブを開け、炭酸を一気に胃に流すと、少ししてお腹の内に熱が広がるのを感じた。そのまま一本飲み干し、リビングに戻る。
お酒のせいか、いつもより少し広く感じるリビングが、先ほど感じた寂しさを広げていく。戻って、冷蔵庫からビールをもう一本取り出してから、郵便受けに入っていた封筒を順に見ていく。水道代の通知、年金支払いの催促など、開けなくてもよいものはそのままゴミ箱に捨てた。
最後の封筒、茶封筒に手書きの文字。宛名には見覚えのある名前。封を開けると、高校の同窓会が開催されるという知らせだった。
同級生は、もうすぐ社会人三年目を迎える。啓は、就職先が見つからないまま大学を卒業し、アルバイトをしながら二年、就活を続けている。大学の同期には、浪人していることを話していない。たまに飲みに誘われるが、仕事が忙しいと断った。
啓は少し考えて、参加の旨で幹事の北川に連絡した。
駅ビルが
夏が本格的に顔を出し、日が落ちた後も、肌に汗が滲む。アルコールは体温を上昇させるため、汗かきな啓は、大学時代から夏場の飲み会は苦手だった。
店の戸を開けると、すでに何人かの客が席についており、うち何人かはかろうじて顔が分かる人達だった。
「おう、春日井。六年ぶりか? 」幹事の北川が、こちらに気付いて話しかけてくる。「お前、あんまり変わらないな。今何してるんだ? 」
「えっと、今はちょっと、就活失敗してて……。職探し中、みたいな? 」冗談っぽく笑いながら、話す。
まじかよ、大変だな、と北川はあっけらかんと笑い、啓を席へと連れる。テーブルには、貸し切りの紙が貼られており、ここにいる人が皆、同窓会の参加者であることに気付く。
「春日井くん、久しぶり。私誰だかわかる? 」
席に座ると、隣の女性から突然話しかけられた。失礼を承知で顔を凝視するが、メイクに隠れた素顔を想像できず、素直にわからないと返す。
「えー、正解は、茉莉でしたー」秋月は、まるでドッキリ番組のような効果音を発しながら、正体を明かした。
「茉莉……、秋月か、久しぶり。今、何してるの? 」
「あー……、今はまぁ、ちょっとね」秋月が目を逸らす。
「ちょっと? 」
「ちょっと、自分探し中、みたいな? 」
数分前の自分と同じようなことを言う秋月に、啓は思わず吹き出してしまった。
秋月は大学を卒業し、一度は大手の企業に就職したものの、当時の企業の働き方と合わず早期離職。数カ月前からアルバイトを掛け持ちして、何とか生計を立てているということだった。
話し終えて周りを見ると、随分と人が集まっており、北川が順に飲み物の希望を取って回っていた。啓はビール、秋月はサワー系のお酒をそれぞれ頼み、互いに周りの同級生と話し始めた。
乾杯後、運ばれた料理とお酒を
「んで、春日井は今どこで働いてるんだ? 」
何となく話を聞き流していたら、唐突に話を振られ、啓は内心ドキッとした。一度喉にビールを通した後、期待の眼差しを向ける同級生達を見る。
「僕は、今は就活中っていうか。どこに勤めてるかみたいな話はできないんだ。ごめんね」
場が白けるのを危惧していたが、目の前に座る男が、豪快に笑いだしたのを皮切りに、同じ卓にいた人達が、次々に笑い出した。
「就活ってお前、今いくつだよ! 」
「ずっとバイトだけで生活してんの?やばー! 」
投げかけられた言葉に悪意はない。同窓会での話題として、周りの人たちは啓の二年間を消費していく。自らそれを望んでいたはずなのに、啓の心には、言いようのない劣等感と孤独感が生まれていた。
悟られないよう、周りに合わせて笑顔を張り付けて、啓はお酒を胃袋に流し込んだ。啓の隣に座る秋月だけは、なにかを考えているかのように、黙って啓を見つめていた。
宴会は中締めを終え、何人かはここで解散となった。啓は浪人中であることを明かした後、ハイペースでお酒を流し込み、すっかり酔いつぶれてしまっていた。
「悪い秋月、春日井と最寄り一緒なの秋月しかいなくて、送って行ってくれないか? 」幹事の北川が、申し訳なさそうに言う。
「別にいいけど、今度なにか奢ってよね」
「わかった、ありがとな」
ほんとごめんな、と北川は言い残し、二次会に行く連中のところへ走っていった。秋月は、居酒屋の前で座り込む啓の腕を肩に回すと、駅の方へと歩き始めた。
「春日井くーん、お水いる? 」コンビニを前に、秋月が問いかける。
「んー、いらない……」
「そっか、わかった。もうちょっとだからね」
秋月は一度啓の腕を肩にかけ直すと、しばらく無言で歩き続けた。
電車に乗り、並んで座っていると、秋月はふと思い出したように、ゆっくりと啓を見つめた。
「春日井くんはさ、どうしてあの時笑っていたの? ……あれは確実に、春日井くんを馬鹿にしていた笑いだよ。お酒を飲んでいたとか、自分が気にしていないとか、そういうんじゃない」秋月は少し間をおいて、自分の気持ちを整理するかのように話し始めた。「春日井くんが馬鹿にされることで、同じ気持ちの人が、春日井くんを思う人が、傷つくってことを、忘れちゃだめだよ」
私も、怒れなくてごめん、と秋月は静かに付け足した。啓は朦朧としながらも、秋月の気遣いで胸に熱いものが込み上げてくるのを感じた。
電車のアナウンスが鳴り、最寄り駅への到着を知らせた。
*
カフェの窓から、
お待たせしました、と店員が静かにアイスコーヒーを二つ、テーブルに置いた。目の前に座る北川が、ここは俺が払う、と言って用意してくれた。遠慮がちに一口頂くと、氷で冷やされた苦みが、じめっとしていた意識を引き締めた。
「今日はその……、何というか、お前に話さなきゃいけないことがあって」
歯切れ悪く話し始めた北川は、目の前のカップには手を付けず、言葉を整理しながら、話そうとしているように見えた。北川は昔から、人一倍気を遣うような奴だった。
「茉莉との結婚のことだろ? おめでとうな」
なかなか言い出せない北川を気遣って、啓は自分から切り出した。結婚式まではまだ二週間程あるが、式の準備は予定より遅れているそうで、北川の顔にも疲労の色が見えた。
「ありがとう。でも、やっぱり俺、春日井に申し訳なくて……」
「何度も言っているけど、もう別れていたんだから、北川が謝ることなんかないよ」
北川と秋月が付き合い始めたのは三年前、その頃は啓と秋月はとうに破局していたため、当人が気にしていなければ、何も問題ないはずだった。
「でも春日井、お前茉莉ちゃんに、ちゃんと別れようって伝えたわけじゃないんだろ? 」
「それは……」
北川に問い詰められ、啓はバツが悪そうに目を逸らす。
北川は、秋月と付き合い始めるよりも前に、啓から破局したことを伝えられていた。いわゆる自然消滅というものだった。秋月は北川と出会うまで、啓が自分と別れたつもりでいることを知らなかったらしい。
「結果的に俺は、春日井と茉莉ちゃんに、嘘をついたことに……」北川の目から涙がこぼれ落ち、テーブルクロスに染みをつくる。
「そんなことないよ。僕だって、北川が茉莉と付き合う前にはもう、小雪と結婚していたし。今更未練なんてなかったよ」
啓はテーブルの隅にあるナプキンをいくつか取って、北川に渡す。北川はナプキンのお礼と、謝罪を繰り返し口にした。雨は一層強くなり、カフェの静けさと北川の嗚咽を、雨を打ち付ける音がかき消した。
*
テレビに映る映画が、主人公とヒロインの切ない別れを、これでもかという盛大なBGMで飾り付ける。スーパーで買ったポップコーンをいくつか口に放り、袋ごと隣の秋月に渡す。秋月は袋の残りが少ないことを確認すると、袋を逆さにして、口の中に残りのポップコーンを流し込んだ。
あの日、結局秋月は啓の家まで送っていくこととなり、そのまま啓の家で朝を迎えた。以降、二人は交際を始め、それぞれ就活やアルバイトに追われながら、どちらかの家で映画を見たり、ご飯を食べたりする生活が続いた。
秋月はやりたいことが見つかるまでは、勉強しながらフリーターを続けるようだった。啓は、いくつかの会社から二次面接の知らせが来るようになり、就活は軌道に乗っていた。
映画は典型的なハッピーエンドを迎え、エンドロールでは撮影中のオフカットと思われるシーンが流れていた。
「ねぇ啓くん、映画とかドラマって、なんでこんな典型的なハッピーエンドが多いんだろう」
「そりゃ、映画とかドラマはフィクションだから。現実味がありすぎると人気が出ないんだろう。例えば、今の僕たちの生活を映像化したとして、茉莉は多くの人に感動してもらえるものになると思う? 」
「私は今の生活が幸せだよ。見た人が感動するかはわからないけれど、私たちが何十年後にその映像を見たら、きっと大号泣だろうね」
結局は、見る側が何を求めているかによるんじゃないかな、と啓は結論付けた。テレビでは、映画のエンドロールが続いていたが、秋月はそれに一瞥もくれず、ポップコーンの袋や使ったコップなどを、テキパキと片付けていった。
啓はそんな秋月から目を離し、エンドロールが流れるのを見続けた。
交際から二年と少しが経つ頃、秋月は脚本家になることを目指し、アメリカの大学に入るための勉強を始めた。
ちょうど八年前の、十一月のことだった。
*
十月の沖縄は、夏場の東京と大して変わらないように感じた。キャリーケースに夏用の衣服を持ってきて良かったと、啓は思った。
北川と秋月の結婚式は、予定通り十月四日、沖縄の教会で行われる。啓と小雪は、前日には飛行機で沖縄に入り、結婚式場から一番近いホテルで一泊した。飛行機から見下ろす沖縄は想像の数倍は小さく、この土地に三十万人以上の人間が住んでいるとは思えなかった。
結婚式が行われる教会は、那覇市より北上したところにある、ビーチを背景に行われる。いわゆる、ビーチウェディングであった。
「どう? 啓くん、かわいい? 」エメラルド色の、涼しげなかりゆしワンピースを着た小雪が、鏡を正面にして、肩越しに啓に問う。
「うん、かわいい。似合ってるよ、小雪」
ありがと、と照れ臭そうに笑う小雪。啓も、小雪と同じエメラルド色のアロハシャツを着て臨むことにしている。
ホテルを出て西に少し歩くと、煉瓦屋根の白い教会が見えてくる。少し進むと、
「春日井、遠くからありがとうな」
啓が同級と話していると、教会の入り口を開けて、北川が顔を出した。
「こちらこそ、交通費出してもらって、ごめんな」
「いいんだよ、これくらい。……急で悪いんだけどさ、茉莉ちゃんの支度終わったからさ、春日井さえ良ければ、今会っとくか? 」
急な北川の提案に、啓は思わず固まってしまう。秋月とは、もう七年近く会っていない。喧嘩したわけではないが、互いに結婚した今、今更何を話すのか、啓には考えられなかった。
「これは俺の
そこまで話して、どうかな、と北川は少しかしこまって、啓に問う。啓は、少し悩んだ末に、「少しだけなら」と了承した。正直、すでに結婚している啓から、今まさに式を挙げる秋月に、話すことはないのではないかと思った。今一番大事で、愛しているのは小雪で、それは揺るがない事実だ。
おめでとう、と一言言うだけにしようと心に決め、スマホで小雪に、北川と会場内に行くことを伝えた。
教会の中はタイル調で、入口を左に曲がった先に、新郎新婦の控室があった。いくつかある扉の、一番奥の扉の前で、北川は立ち止まった。
「今はまだ九時だから、三十分くらいは余裕あるから」
「気を遣わなくても、そんなに話さないよ」
そっか、と北川は微笑む。啓は少し緊張していたのを感じ、一つ深呼吸をする。北川が頑丈な扉をノックし、硬い音が三度、廊下に響く。
「茉莉ちゃん、今少しいいかな? 」
「大丈夫だよ、なっちゃん」
室内から、くぐもった声が聞こえる。しばらく鼓膜を揺らすことがなかった、しかしあの頃、一番近くで、誰よりも多く聞いてきた声。
「茉莉ちゃん、春日井。来たよ」
扉を開けて、北川が啓を紹介する。啓は恐る恐る戸をくぐり、秋月に対面する。
純白のウェディングドレスに身を包んだ秋月は、一瞬別人と見紛うほどであったが、啓を見てはにかんだ彼女は、啓のよく知る、秋月茉莉そのものだった。
*
今年の東京は、一月に大雪が降った。秋月の受験日に被らなくて良かったと、ほっと胸をなでおろしたことを、啓は覚えている。
秋月が脚本家を目指し始めて一年余り、元々勉強を続けていたこともあり、無事、希望の大学に合格することができた。秋月は悩んだ末に、アメリカのカリフォルニア州にある大学を選んだ。その後、九月の入学に向けた準備を進めていたら、あっという間に日本を発つ日になった。
今日になるまで、啓と秋月の交際について話すことは、一度もなかった。
夏休み期間であったためか、空港は人でごった返していた。先を歩く秋月を見失わないよう、啓は秋月の手を握った。思えば、啓は秋月と恋人らしいことは、ほとんどしてこなかった。何度か体を重ねることはあったが、行為自体を互いに好まなかったため、結局はいつも通り、映画を見たりして過ごした。
「ここまででいいよ」改札前で、繋いでいた手を離して、秋月は振り返って言う。
「わかった」啓は、引いていたキャリーバッグを秋月に渡した。手持無沙汰になった両手は、重力にあてられ、肩の下に収まった。秋月は、必要なものを口に出しながら確認し、不足がないことを確かめると、改めて啓に向かい合った。
「ここまでありがとうね、啓くん。……じゃあ、いってきます」
「……行ってらっしゃい」
秋月はにこりと微笑み、小さく手を振ってから、改札へと向かった。啓は背を向けて、今来た道を、人ごみに逆らって歩く。
数歩歩いて、振り返る。人ごみに邪魔され、中々先が見えない。波に隙間が空き、啓の視線の先、改札口付近には、もう秋月の姿はなかった。
途端、感じたことのない寂しさが、啓を支配した。今まで、数週間秋月に会わないこともあったが、その時に同じような寂しさを感じることはなかった。時間じゃないのだ。時間ではなく、人として、秋月は遠くへ行ってしまった。いや、はなから秋月は、啓の先にいた。同窓会で出会ってからずっと、啓は秋月が羨ましかったのだ。目標をもって努力し、やりたいことを見つけて、ひたむきに頑張り続ける彼女の傍にいることが、いつしか啓の誇りとなっていた。
秋月が離れて初めて、啓はそれを自覚した。胸を締め付ける孤独感と、自らに対する嫌悪感が、啓の目から雫を落とした。一度ひねった蛇口は止まることはなく、啓は歩きながら涙をこぼし続けた。
*
ここ座って、と秋月に促され、啓は言われるまま、豪華に装飾された椅子に腰かける。北川は、二人を気遣ってくれたのか、いつの間にかどこかに消えていた。
改めて相対した秋月は美しく、あの頃から六年余りの月日が経ったとは思えないほどだった。
結婚おめでとう。元気だったか。アメリカでの生活はどうだった。脚本家にはなれたのか。日本に帰ってきて、どうしていたのか。昔を思い出したからか、啓は昔の調子で秋月に話そうと思ったが、口からは息が漏れるだけで、喉に異物が詰まったように、言葉は出てこなかった。
「久しぶりだね、啓くん」
「……久しぶり」
秋月から話され、啓はとっさに返したが、うまく言葉が出ていたかわからなかった。俯きがちな啓を見て、秋月は
「……五年前くらいに、こっちに帰ってきたの」啓の考えを読んだかのように、秋月は話し出す。「啓くんとは、向こう着いてから連絡取れなくなっちゃったから、お母さんに迎えに来てもらって、しばらくは実家で暮らしていたの。そこから、脚本とか、シナリオライターの求人を探して、いろいろ応募してたら、偶然なっちゃんと再会して、……今は駆け出しだけど、いくつか脚本書かせてもらってて」
話し続ける秋月を、啓は直視できなかった。自分勝手に切り離した啓を問い詰めることも、
「……なんで」気付けば喉の異物は消失し、無意識に啓の口から言葉が溢れた。「なんで、何も聞かないんだ? 」
「だってあれは、お互い様だから」困惑したような秋月は、少し考えて、静かにそう言った。
「お互い様って……。茉莉と空港で別れた後さ、僕なんか、すごい寂しくなって。で、気付いたんだよ。僕ずっと、茉莉が羨ましかったんだって。自分の不出来を、茉莉の優しさで覆って、まるで僕もすごい奴みたいに見せて。……多分僕は、茉莉を愛してたわけじゃなく、周囲の目ばっか気にして、自分のアクセサリーみたいに思ってたんだろうなって。……だから、茉莉が飛行機乗ってすぐ、僕茉莉の連絡先、消したんだ。家にあったものも捨てて、すぐ引っ越して、何もなかったみたいに、全部隠したんだ。だから、お互い様なんかじゃない、僕のせいなんだ」
話しながら啓は、涙が溢れるのを止められなかった。三十も超えた大人が、初めて自分の内側を晒して、怖くて泣いている姿は、さぞ
話し終えた啓は、袖で溢れた涙を拭いて、俯いた。秋月からどんな
しかし秋月は、ふっと頬を緩ませると、静かに「よかった」と呟いた。
「啓くんが私と同じことを考えていて、よかった」顔を上げた啓に、秋月は目を合わせて、そう言った。「私もね、啓くんの優しさとか、諦めないで頑張る姿を、自分のステータスみたいに、思ってた節があるんだ。だからこそ、私はアメリカを選んだ」
秋月は少し申し訳なさそうな、それでいて覚悟が決まったような表情だった。啓は一度座り直して、秋月の話を聞く準備をする。
「啓くんといると、私が駄目になると思ったの。啓くんといる時間は楽しかったけど、きっとお互いのためにならなかったって、今なら言い切れる。」
依存は愛じゃない、と秋月は続けた。啓は、秋月と再会した頃を思い出していた。あの頃からきっと、秋月の根っこは変わっていない。秋月と離れる選択をしたことで、あの時の秋月を守ることができたのだ。
「私たちはきっと、互いに愛されることを求めてなかった。自分たちが心地よい居場所を守るために、必死だったんじゃないかな。……私たちは、よく気が合っただけ。同じ趣味があって、価値観があって、寂しさを埋めるために、寄り集まって、同じ時間を共有した」
気付けば、秋月の目からは、一筋の涙が流れていた。初めて聞く秋月の本音。啓は、今日初めて、秋月茉莉という人物を見た気がした。
「でも」啓は秋月が続けようとした言葉を遮る。「でも、茉莉は僕にとって、間違いなく、大切な存在だった」
秋月は驚いたような表情をした後、嬉しそうに目を細め「私も」と言って顔を
「啓くん、今、好きな人いる? 」まるで、恋バナをする学生のように、秋月は啓に問う。
「世界で一番、愛してる人がいるよ」
「私も。やっぱり、気が合うね」
太陽が空のてっぺんを目指して走る。窓から見える海に陽が反射し、啓の視界が白に染まった。
潮風が、あたたかな風を運ぶ。
北川と秋月が、教会の入り口から、腕を組んで降りてくる。参列者が、白い花吹雪を散らし、幸せを祝福する。
どれだけの人間が、秋月を大切に思ってくれているのだろうか。もしまだ、間に合うのであれば――
君の記憶に、君を大切に思う僕を、居させてほしい。
ハレーション ろゆ @ro-yu
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