第5話 掲示板は知りすぎている
その書き込みを見た瞬間、心臓が一拍、遅れた。
「使わない方がいいぞ。それ」
短い一文。
説明も、煽りもない。
だが、妙に具体的だった。
主人公は、画面をスクロールし、スレッドを最初から読み返した。
非公式パッチの話題が出てから、すでに数日が経っている。
相変わらず、半分以上は冗談だ。
釣り認定、妄想扱い、ウイルス警告。
だが、その中に――
微妙に温度の違うレスが混じっている。
「同期率、変動した」
「ログ見たやついる?」
「エネルギー系から試すな」
どれも断定していない。
まるで、直接言うのを避けているようだ。
彼は、背中にじっとりと汗を感じた。
――これ、偶然じゃない。
昨夜、自分は同期率が上がったのを見た。
エネルギーセルを使った直後だ。
なのに、掲示板にはすでに「エネルギー系は危険」という空気がある。
タイミングが、合いすぎている。
「……誰だよ」
呟きながら、キーボードに手を置く。
書き込みたい衝動が、喉元までせり上がる。
自分も同じだ、と。
本当に起きている、と。
だが、指は止まった。
ここは匿名掲示板だ。
匿名だからこそ、何でも書ける。
そして匿名だからこそ、何を書いても責任は取られない。
彼は、別のレスに目を留めた。
「昨日、電力会社から連絡来た」
「俺も。短時間の異常使用とか言われた」
息が詰まる。
自分だけじゃない。
しかも、内容まで一致している。
その下に、例の警告レスがあった。
「だから言ってる。
まだ“向こう”が静かなうちは使うな」
「……向こう?」
何だ、それは。
運営?
政府?
それとも――
考えたくない言葉が、頭をよぎる。
観測者。
昨夜、ログに出た単語。
外部観測ノイズ。
彼は、初めて返信を書いた。
短く、慎重に。
「向こうって何ですか?」
送信。
画面を見つめる。
一秒が、やけに長い。
返信は、すぐには来なかった。
五分。
十分。
その間に、スレッドは別の話題で流れていく。
いつも通りの、無秩序な掲示板。
――やっぱり、ただの偶然か。
そう思いかけた頃。
通知音が鳴った。
返信は、引用ではなく、新しいレスだった。
「具体的には言えない。
でも“使った回数”と“影響範囲”は見られてる」
全身が、冷たくなる。
具体的すぎる。
そして、ぼかし方が“知っている側”のそれだ。
彼は、もう一度キーボードに手を伸ばす。
「あなたは、誰ですか?」
数秒後。
「ただの先行組だよ。
あと忠告な。
最初に身体に使うのは、やめとけ」
――遅い。
思わず、苦笑が漏れた。
もう、使ってしまった。
しかも、二回も。
だが、それを正直に書く勇気はなかった。
代わりに、別の質問を投げる。
「使い続けたら、どうなります?」
返事は、少し間を置いてから来た。
「分からない。
でも一つだけ確かなのは――
“戻れなくなるライン”がある」
それ以上、レスはなかった。
スレッドは、また雑談に飲み込まれていく。
警告も、忠告も、すぐに流れてしまう。
彼は、椅子に深く座り込んだ。
安心すべきか。
絶望すべきか。
少なくとも、一つだけはっきりしたことがある。
この非公式パッチは、複数人が使っている。
そして、その中には――
すでに“先”を知っている者がいる。
彼は、ゲームを起動しようとして、手を止めた。
同期率を、もう一度見る勇気が出ない。
だが、同時に思ってしまう。
その“戻れなくなるライン”は、
もう越えてしまっているんじゃないか、と。
部屋は静かだ。
PCの画面も暗い。
それなのに、
世界が自分を見ているような錯覚だけが、消えなかった。
その夜、非公式パッチに新しい通知が表示される。
《他使用者:接近中》
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