非公式パッチを入れたら、SFゲームのアイテムが現実に召喚できるようになった

@TK83473206

第1話 非公式パッチという名の冗談

その日も、特別なことは何もなかった。


 目覚ましが鳴る前に目が覚め、二度寝するかどうかを五秒ほど悩み、結局スマートフォンを手に取る。

 通知は相変わらず、通販のセール告知と、どうでもいいニュースばかりだった。


 ――今日も、何も起きない。


 それが主人公にとっての“平常”だった。


 彼は二十代前半。

 大学は出たが、胸を張れる就職先ではなく、やりがいを語れるほど仕事に入れ込んでもいない。

 かといって不幸というほどでもなく、ただ淡々と日々を消費している。


 現実世界は、あまりにも「出来上がりすぎて」いた。

 努力すれば報われる、なんて言葉は教科書の中だけにあって、実際には運と環境がほとんどを決める。

 彼はそれを理解する程度には賢く、諦める程度には臆病だった。


 だからこそ――

 彼はゲームが好きだった。


 とりわけ、SFサンドボックス系のゲーム。

 宇宙船を設計し、惑星を探索し、資源を集め、文明を築く。

 そこでは、努力と知識がきちんと結果に繋がる。


 現実と違って、理不尽はあっても不透明ではない。


 仕事を終え、帰宅し、シャワーを浴び、いつものようにPCの電源を入れる。

 起動したのは、ここ数か月ずっと遊び続けているSFゲームだった。


 アップデートは特にない。

 公式フォーラムも、今日は静かだ。


 ――と思っていた。


 何気なく覗いた匿名掲示板で、そのスレッドは目に入った。


「【注意】非公式パッチ入れたらバグったんだが」


 胡散臭い。

 タイトルだけでそう思った。


 非公式パッチ。

 つまり、運営非公認の改造データだ。

 ゲームに限らず、トラブルの温床であり、自己責任の極みでもある。


 スレの中身は、さらに胡散臭かった。


「アイテム挙動おかしい」

「UIに見たことない項目出た」

「これ入れたやつ他にもいる?」


 誰かの冗談か、釣りか、悪質なウイルス配布だろう。

 彼はそう判断し、タブを閉じようとした。


 だが、その直前――

 一行のレスが目に留まった。


「現実同期率:0.01%」


 意味が分からなかった。


 ゲームの用語としても、見覚えがない。

 そもそも“現実”という単語を、ゲームが使うはずがない。


 彼は少しだけ、指を止めた。


 理性は言っていた。

 関わるな、と。


 だが同時に、別の感情も確かにあった。

 ――もし、ただの冗談じゃなかったら?


 リンク先は、簡素なファイル共有ページだった。

 説明文は短い。


「自己責任でどうぞ。

 戻せません」


 警告としては、あまりにも雑だ。

 それが逆に、現実味を欠いていた。


 ウイルス対策ソフトは反応しない。

 サイズも小さい。


 彼は深く息を吐き、独り言のように呟いた。


「……どうせ、ゲームだろ」


 言い訳を用意してから、人は危険な選択をする。


 インストールは、拍子抜けするほどあっさり終わった。

 再起動を促され、ゲームを立ち上げる。


 ロード画面に、見慣れない文字列が一瞬だけ表示された。


《Reality Sync Mod : Initialized》


 英語の意味を、彼は正確に理解していた。

 だが、それを現実と結びつけるほど、まだ想像力は暴走していない。


「……翻訳が大げさすぎる」


 そう呟き、ゲームを開始する。


 UIは、ほとんど変わっていない。

 新しいメニューが一つ増えているだけだ。


《同期率:0.01%》


 クリックすると、警告文が出た。


《※警告:実験段階の機能です》


 彼は鼻で笑った。


「それっぽいこと書けばいいってもんじゃないだろ」


 その日のプレイは、特に変わったこともなく終わった。

 少なくとも、画面の中では。


 ただ一つだけ、奇妙な出来事があった。


 ゲームを終了し、キーボードから手を離した瞬間。

 彼の指先に、わずかな痛みが走った。


 見ると、紙で切ったような小さな傷ができている。


 ――いつの間に?


 彼は溜め息をつき、洗面所へ向かった。


 その途中で、ふと思う。


 もしも、あのパッチが冗談じゃなかったら?


 すぐに、その考えを打ち消す。

 あり得ない。

 そんなの、SFの読みすぎだ。


 現実は、もっと退屈で、もっと頑丈だ。


 彼はまだ知らなかった。

 その“退屈な現実”が、すでにわずかに書き換えられていることを。


その夜、彼はまだ知らない。

その小さな傷が、数分後には消えていることを。



◇◇◇◇◇

年末年始は21時に3話投稿です

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