心の声が聞こえる男と初恋のひと

館野 伊斗

心の声が聞こえる男と初恋のひと

 暖かい日差しを全身で感じながら、鶴田つるた弘毅こうきはゆったりと歩を進めていた。

 子供達の笑い声が、広々とした空間に響き渡っている。


 久しぶりに地元に帰り、昔よく遊んだ広場の遊歩道を歩いていた。

 この辺りもすっかり景色が変わってしまい、昔通った駄菓子屋もマンションに建て変わっている。

 この公園は姉妹都市との友好記念で作られたものなので、変わりが無い。

 ベンチと遊具が新しくなったぐらいだろう。


 この公園ではよく友達と暗くなるまで遊んだものだ。

 懐かしい道を歩いていると、あの頃のことが思い出される。

 そんな、ノスタルジックな気分に浸っていた時だった。

 彼女と再会したのは。


 思えばそれが始まりだった。

 この道を通らなければ。

 昔のことを思い出していなければ。

 淡い初恋の想い出だけで済んだのかもしれない。

 


 歩道の先のベンチに、白いワンピースを着た長い黒髪の女性が、広場を遠い目で見つめながら座っていた。

 ワンピースからのぞく脚や手首は白く細く、透明な印象を受ける儚げな女性───。

 弘毅はその女性を見たことがあるような気がした。

 

 ゆっくり近づくと、その女性はこちらを振り向いた。

 二人の目が合う。


 彼女は目を合わせたまま、ゆっくりと立ち上がった。

「鶴田・・・・・・君?」

 と、自分の名前を呼ばれる。


 弘毅はゆっくりと近づき、彼女の前で立ち止まった。

 暫く弘毅は彼女を見つめていた。

「小松・・・・・・さん?」

 中学のクラスメイトだった、小松沙恵さんだ。


「フフフ・・・・・・。久しぶりね」

 彼女は長い黒髪を靡かせ、微笑んだ。

 昔の面影はあるが、立派な大人の女性になっている。


 彼女のことはよく覚えている。

 クラスで一番大人しかっただ。病弱でよく休んでいたし、女の子達とばかり話していたので、彼女とはあまり話したことが無い。彼女の存在自体が儚くて、迂闊なことを言ったら傷つけてしまいそうで、どう話しかけていいか判らなかった。


 それに・・・・・・。

 弘毅が密かに彼女に好意を持っていたことも、話しかけずにいた一因だ。

 当時そんな経験の無かった弘毅は、どうすればいいのか判らなかった。


「懐かしいわね。暫くこっちにいるの?」

「ああ」

 そして一瞬だが、お互いの目を見つめ合った。


 彼女はフッと笑みを浮かべ、

「───じゃあ、今度ゆっくり話しましょう?」

 そう言うと彼女は、遊歩道を歩き、去って行った。


(妹さん、か・・・・・・)


 彼女がほんの僅かな時間言葉を切らしたとき、

(鶴田君に私の抱えている問題を相談するなんて、迷惑よね・・・・・・)

 という思考が聞こえてきた。

 時間はあまり関係ない。あの1秒にも満たない間に彼女の脳裏を駆け巡った思考は、全て弘毅に届いていた。


 彼女が口に出さなかったのだからその要望を叶える義務は無いのだが、元々お節介な弘毅だ。

 彼女の願いを叶えてやろうと思った。

 いや叶えねば、と───。


 何故なら彼女にはそれはとても難しいことだったから。

 そして恐らく彼女は自分に言わない。

 昔からそういう女性だった。



◇◇◇◇

 あれは中学の時。

 体育の時間から戻ってきた一人の女子が「財布が無い」と騒ぎ始めた。

 体育前にはあったと言う。


 その際疑われたのが、体育の授業を免除されている小松さんだった。

 彼女は見学も免除されている。暑さ寒さも体調が悪くなる要因になってしまう可能性があったからだ。


 彼女はもちろん否定した。

 しかしその声はあまりにも控えめだった。

 そのため人によっては彼女の言葉を信じられなかっただろう。

 視線が彼女に集まり空気が固まったが、弘毅は彼女を信じた。


「もう一度何処で財布を使ったか思い出して?」とその女子に聞いた。

 最後に使ったのは体育の授業前、購買で使ったと聞き、弘毅は購買へ走った。

 購買のおばちゃんは知らないという。


 教室に戻る途中、職員室へ行き、

「財布の落とし物は無かったですか!」

 と大声で聞いた。

 一瞬、職員室が静まった。


 すると女教師が「落とし物、あるわよ」と答えた。

 女子トイレに落ちていたそうだ。

 多分ハンカチを取り出すときに落としたのだろう。


「財布を無くした女子がいるので、それ、借ります」

 と言って教師から受け取り、教室に戻ってその女子に見せた。

 すると彼女は驚いて「何処にあったの?」と聞いてきた。

 弘毅は一通り説明した。


 彼女は購買に行った後トイレにも行ったことを思いだし、小松さんに「ごめん、沙恵・・・・・・」と謝った。

 弘毅が帰ってくるまで、彼女は何も喋らなかったそうだ。


 次の授業が始まる前、小松さんが小さな声で弘毅に「ありがとう」と言った。

 彼女と会話を交わしたのはそれぐらいだろう。

 彼女とは高校が違い、弘毅は都内へ就職したのでそれっきりだった。


 今さっき彼女の頭に最初に浮かんだのは「マスコット人形を妹に」「田中悠人」だった。


 田中悠人は知っている。

 中学時代のクラスメイトだ。

 真面目で頭の良い奴で、確か小松さんと同じ高校に行ったはずだ。


 大学時代に中学の友人と集まった時に、地元の大学に通っていると聞いた。その際、酔い潰れた田中をアパートまで送ったことがあった。

 親が転勤したので、大学通学の為アパートを借りて地元に残ったらしい。


 順当に就職したのなら、もう引っ越しているかもしれない。

 無駄足かもしれないが、田中のアパートまで行ってみることにした。



◇◇◇◇

 田中のアパートは大学近くの安アパートだった。

 表札を見ると「田中悠人」とある。

(あれ? ダブったのか? それとも院に進学かこっちで就職したか?)


「田中~?」

 名前を呼びながら、インターホンを押す。

 返事が無い。


 ノブを回すと、扉が開いた。

 几帳面なあいつが鍵を開けっ放しとは意外だ。

 少々驚きながら、ドアをゆっくりと開けていく。

「田中? いないのかぁ?」


 部屋に入るとまず、異臭が鼻をついた。

 嫌な予感が脳裏を奔る。

 弘毅は靴を脱いで部屋に上がった。

 

 ゴミだらけの部屋だった。

 弘毅が踏み入れたことで、部屋の蠅が一斉に飛び回り始める。


 弘毅はゴミをどかしながら部屋に入っていった。

 中央付近に来た時、毛布が見えた。

 無残な田中の姿が、頭に浮かんだ。

 部屋に入った瞬間から、悲しみ怯える感情は聞こえていた。

 それが生者のものなのか、判断しかねていた。


 ゆっくりと毛布をめくってみる。

 まず乱れきったの黒髪が見え。

 続いて、変わり果てた田中の姿が現れた。

 目を半開きにしたまま横向きの体勢で、痩せこけ、肌は土気色でカサカサになっており、目の前で両手を組んでいた。

 死体───? と、思ったが、僅かに身体が震えている。


「田中・・・・・・?」

 何かブツブツと話している。

 弘毅は耳を近づけた。

「絶対、妊娠させちゃいけなかったのに・・・・・・。俺は彼女を妊娠させてしまった・・・・・・」

 

 顔を上げ辺りを見渡す。

 机の上に濃緑の錠剤と、それに白い粉と注射器があった。


(ああ・・・・・・)

 だめだ。ドラッグでイカれてる。

 あの優秀な田中がここまで落ちぶれるとは。

 小松さんと同じ高校へ行き、付き合っているという噂は聞いたことがあった。

 二人に何が起こったんだ?


 弘毅は田中を病院に連れて行こうと、起こそうとした。

 その時突如、ドアが乱暴に開かれた。


 若い男達が土足で上がってくる。

 そして田中を抱き上げようとする弘毅を見つけ、

「大事なお客さんを連れて行かれちゃあ困るなあ」

 と言いつつ、チンピラ風の男達がにやつきながら近づいてきた。

 こいつらがドラッグを売りさばいている連中だろう。

 代金を回収に来た?


 考える暇も無く、いきなり両腕を掴まれ外に引きずり出される。

 そのまま二人とも車に乗せられた。

 両脇を挟まれた状態で、車は発進した。



◇◇◇◇

 連れてこられたのは商業ビルの一室。

 壁際には刀が飾られ、如何にも暴力団事務所といった感じだ。


「どうしてこいつも連れてきた」

 目の前に座るのは、ここの組長らしい。

 俺達の周りをごつい男達が取り囲んでいる。


「顔も見られたし、ドラッグのことも知られたもんで・・・・・・」

「しょうがねぇ。その男も薬漬けにしちまえ」

 そういうと組員の一人が、トランクを出してきた。

 白い粉と注射器が並べられる。


(ヨシ!)

 弘毅はこの証拠品が出てくる瞬間を待っていた。

 田中を病院に連れて行ったところで、元を絶たないと更生出来ない。

 俺はずっと、田中をこんな風にした奴らに怒っていたのだ。


 弘毅は能力を全開にした。 

 この部屋の全員に向け、田中が感じている恐怖を直接脳に伝える。

「うわぁああああああ!!!」

 男達は急に体中を掻きむしり出す。

 中には服を破る者も。


 全身の皮下をミミズが這いずり回り、体中に悪寒が走り、そして恐怖にも似た不安感に襲われる。


 皮膚を喰い破って赤く血に染まったミミズが這い出し、身体を覆い、絡みつく。

 眼球の隙間からうじがポロポロと溢れ出る。


 田中が現在感じている感覚を、奴らに味わって貰った。

 

 鶴田弘毅はテレパシスト。

 相手の考えていることが読める。

 次第に能力は向上し、読めるだけでは無く伝えることも出来るようになった。

 そして、様々な危機を乗り越えた結果、他人の苦痛を第3者に送る能力を身につけた。


 最初にこの新しい能力を得た時には自分も同じ感覚を味わっていたが、訓練の末感覚は遮断することに成功した。死に至る痛覚を一緒に味わうと、自分も死ぬ可能性があるからだ。言語と感情の表層だけを受け取り、第3者にはその分増幅して伝達する。


 のたうち回る組員を見ながら、弘毅は警察に電話を入れた。覚醒剤がここにあることを伝える。最初は取り合って貰えなかったが、組の名前を告げると担当者が出て「すぐに行く!」と言われた。


「さて・・・・・・」

 電話を切ると、弘毅は田中に近づいた。

 呆然と座り込む友人に、

「田中・・・・・・。お前、小松沙恵のマスコット人形って知ってるか?」

 と聞く。


 一瞬、田中の身体が硬直したが、懺悔するように話し出した。

「ああ・・・・・・。俺が勝手に持って帰った・・・・・・。彼女の物が何でもいいから欲しくて・・・・・・。でも、何処にあるか、判らない・・・・・・」


 その時、「チュ」という泣き声が聞こえた。

 田中の胸ポケットからハムスターが顔を出している。

「もしかしてお前、場所を知っているのか?」

 そうハムスターに話しかけてみる。

 すると、ハムスターはポケットから飛び出し、走り去っていった。


(俺、仕事辞めたらペットショップで働こうかな・・・・・・)



◇◇◇◇

 駆けつけた刑事に事情を話し、組員全員逮捕された。

 二人も調書のため同行を求められたが、身分証を見せ、後から出向くと言うと承諾してくれた。この身分証が判ると言うことは、結構ベテランだったのだろう。


 俺は田中を連れて食事を摂らせ、体力と精神状態が落ち着いたところで銭湯に行き、髪を切らせた。


 散髪屋を出たところで、ハムスターが待っていた。

 口に人形を咥えている。


「おお、ありがとな。ご褒美はあとでな」

 ハムスターは田中の胸ポケットに戻る。

 俺はハムスターからマスコット人形を受け取った。


 田中がこざっぱりしたところで、タクシーを捕まえて二人で乗る。

 降りたところで、田中はその家を見つめて身体を強張らせた。

「ここは・・・・・・」

 此処へは、田中の記憶を読んで来た。


 インターホンを押す。

 表札には「小松」と書かれてあった。

 現れたのは、やつれた感じのする中年の女性。

 俺の母親と、年は同じくらいだろう。


「田中君・・・・・・」

 女性はまず、田中を見た。


「中学時代、小松沙恵さんのクラスメイトだった『鶴田弘毅』といいます。少しお話したいことがありまして・・・・・・」


 俺がそう言った途端、「駄目」という声が聞こえ、どう言って帰って貰うか思案する思考が流れ込んでくる。弘毅が了承して貰うよう「力」を使う前に、

「お入り下さい・・・・・・」

 と、諦めたのか小松沙恵の母親はそう言った。



◇◇◇◇

 二人は居間に通された。

 端に寄せられたテーブルがあり、中央にカーペットが敷かれている。


「あ、あああぁ・・・・・・!」

 田中が突然我に返ったように、どうしたらいいのかわからない、という困惑と喜びが入り交じった声を上げる。

 先ほどまで死人のようだった田中が、初めて見せた感情だ。


 カーペットの上には、白い服を着た赤ちゃんが4つんばいになり、田中を見上げて笑顔を向けていた。

 田中はお母さんを見る。

 お母さんは静かに頷いた。


 田中は赤ちゃんへと、ゆっくり近づく。

 その田中へ、赤ん坊は目を細めて歯の無い口を大きく開け、笑った。

「ああ・・・・・・!」

 田中は恐る恐る近づき、赤ちゃんを抱き上げた。


「キャッ、キャッ」

 嬉しそうな笑い声に、思わず田中は赤ちゃんを抱きしめる。

 床に膝をついた田中は、嗚咽から、滝のような涙を流しながら「ごめん! ごめんな・・・・・・!」と言い続けていた。


 その田中の動きが止まった。

 田中の頭に言葉が流れ込む。


(私は貴方を恨んでなんかない・・・・・・。むしろ感謝してる。私は普通の恋をして、誰かを愛してみたかった。貴方はその願いを叶えてくれたの。貴方は止めたけど、私はこの子に会いたかった。だからその子も愛して欲しい。貴方が私を愛してくれたように・・・・・・)


 弘毅は、最初に会った際、流れ込んできた沙恵の声を田中に伝えた。

 彼が薬による幻聴と感じたかは不明だ。

 しかし田中の号泣は突然、一際大きく響き渡った。



 弘毅はお母さんに近寄った。

「妹さんにもお会いしてよろしいでしょうか・・・・・・。渡さなきゃならない物があるんです」

 涙ぐむ母親は、小さく頷いた。



◇◇◇◇

 弘毅は階段を上り、妹の部屋の前で立ち止まった。

「佑美さん───」

 と言いながら部屋のドアをノックする。

「開けてくれませんか。お姉さんから君に渡して欲しいと頼まれた物があるんです」


 返事が無い。

「佑美さん・・・・・・?」

 再びドアをノックしようとしたドアが、突然開いた。

 パーカー姿の少女が、怒りの表情で下から睨み付けてくる。


「アンタ誰・・・・・・。お姉ちゃんのことをいうなんて。誰が来ようと、此処からは出ないよ・・・・・・」

 彼女の顔は青白く、目の下にハッキリとしたクマがあった。


 弘毅はポケットからマスコット人形を取り出す。

「これを。お姉さんから妹に渡して欲しいと頼まれたんだ・・・・・・」

 佑美はその人形を凝視する。

 見覚えがあるようだ。


(これは、昔お姉ちゃんと一緒に作った人形・・・・・・)

 恐る恐る人形に手を伸ばす。


(お姉ちゃんが作ったものを私のランドセルに付けて、私のをお姉ちゃんにあげて・・・・・・。こんな下手な人形、ずっと持ってたの・・・・・・?)


「中に手紙が入っているらしい」

 その人形は、小物が収納出来る細工がしてあった。それは姉妹である彼女しか知らない。


「それがお姉さんの想いだ」

 佑美はマスコット人形の中の手紙を取り出して読む。


「佑美へ───。


 私と違って佑美は元気だし、明るい子。

 それに優しいことも知ってるよ。

 いつも病弱なお姉ちゃんのことを気遣ってくれた。

 だからこれまでと変わらず、元気で明るく優しい佑美でいてね?

 約束だよ?


 佑美はお姉ちゃんにいつも迷惑をかけていたみたいに思っているかもしれないけど、いつも元気を貰ってたのはお姉ちゃんの方。


 産まれてすぐに何度も手術して、私はお父さんもお母さんにも迷惑ばかりかけてた。ようやく学校にも通えるようになった頃に産まれたのが佑美。佑美は暗かったこの家を笑顔に変えてくれたの。私も可愛く笑う貴女を見て、笑顔を取り戻せた。

 貴女と遊んでいると、私を見る目がキラキラしていて、元気がもらえたの。何を話してもリアクションたっぷりに答えてくれるし。


 でも私のせいでまた家族に笑顔がなくなっちゃった・・・・・・。

 お腹の子が、みんなの笑顔を取り戻るといいな。

 私の赤ちゃんを可愛がってあげてね?

 佑美のことが大好きだよ。


    ───沙恵お姉ちゃんより」


「・・・・・・お姉ちゃん・・・・・・」

 彼女に、負の感情以外の感情が戻るのが判った。


「───私、最後に酷いこと言っちゃった。子供もあの男も悪魔だって・・・・・・」

 弘毅は姉の気持ちを伝える。


「貴女が私を想って言ってくれた言葉だもん。嬉しかったよ・・・・・・って言ってたよ。お姉さんは」


 廊下に崩れ落ち、床に涙が落ちる。

 胸に手紙を抱えたまま、嗚咽が止まらないようだ。

 彼女から呪縛が溶けてゆき、生きたいと思う感情が湧き上がってくるのを感じた。


 小松さんが解決したいと思っていた問題は、これで終わりだ。


 

◇◇◇◇

 翌日───。

 弘毅は小松沙恵に会ったベンチに座っていた。

 花束を手に無造作に持ったまま。

 隣には小松沙恵が座っている。


「また助けて貰ったね」

 柔らかな風が、彼女の髪を靡かせる。


「実を言うとね・・・・・・中学校の頃、私、弘毅君のこと好きだったの」

(俺もだよ。あの頃この能力があれば、俺も自分の気持ちを伝えたかも・・・・・・)


「そんなこと今更言っても、もう遅いか。今回はホントにありがとう」

 そう言って沙恵は立ち上がる。


「サヨナラ。もう会うことは無いと思うけど・・・・・・」


(知ってる・・・・・・)


 小松沙恵は弘毅に背を向け、歩いて行った。

 途中で右手を挙げて手を振り、人混みの中に消えて行った。



◇◇◇◇

 弘毅は花束を抱えてこの場所に来た。

 場所は家に行った際、母親の記憶を読んだのだ。

 その時、彼女の病名も知った。


 沙恵は左心低形成症候群という先天生心臓疾患を持って産まれた。生後直後から手術を繰り返して生きながらえて成長は出来たが、元々重度の心疾患なので運動などは無理。出産など、誰もが容認出来ない危険な行為だった。


 そして田中は───。

 高校時に、田中は彼女に告白した。

 彼女はそれを受け入れてくれた。

 同じ大学に通い、二人の絆は強くなる。

 そして犯したたった一度の過ち。


 妊娠したことを知り、欲望を抑えきれなかった自分が許せなかった。

 沙恵の両親に申し訳なかった。

 実際に罵倒された。

 そして彼女の苦しむ姿を見て、精神的にも追い込まれていった。

 元々真面目な性格の彼は、自分で自分を追い込み、壊れていった。


 出産後、彼の部屋に彼女は時々訪ねてきた。

 しかし、言葉は耳に入ってこなかった。


 恨まれている。


 そう思った。

 眠れず、ドラッグに手を出した。


 

 そして弘毅の場合だが───。

 弘毅は最初から、気付いていた。


 最初は戸惑った。

 しかし、今回の件を解決させるまでの経過で、彼女への気持ちを整理出来た。

 今では、自分に話しかけてくれたことに、自分を選んでくれたことに嬉しさを覚える。


 最初に会った時。

 まず聞こえてきたのは悲しむ「心」の声。

 そして聞いたことのある声だった。

 その後に彼女の姿を捉えたのだ。


 そして話している間に気付く。

 彼女の言葉が鼓膜からでなく直接頭へ届いていることに。

 最初に彼女を見つめたのは、名前が出てこなかった訳では無かった。


 霊園の中を進み、ある墓標の前で立ち止まる。

 小松家の墓。

 石版には、ここに眠る人の名前が書かれてある。


 戒名の下に「沙恵」の文字が彫られていた。

 弘毅はその名前を何度も読み返した。

 1年前の日付が刻まれている。

 

 弘毅は周りの声が常に聞こえている。中には残留思念、つまり霊の声も含まれているだろう。

 あの時沙恵を見つめたのは、霊だと気付き、それでもハッキリ姿が見えたからだ。恐らくは自分が知る人で彼女と同調が出来たからだろう。沙恵も自分の姿と声が聞こえる弘毅には驚いたと思う。


 あの時に、彼女が死ぬ前に考えていたことも、弘毅の中に流れてきていた。

 小松沙恵は自分の死期が近いことが判っていた。


 ただ残りの人生を過ごす日々。

 妊娠を知った時は正直戸惑った。

 家族や恋人に負担をかける。

 しかしこの世を去る沙恵は、自分の命を託すもの、生きた証となるものが欲しかった。


 それは自分のエゴだと、判っていた。

 それでも彼女は産むことを選んだ。産声を聞き、子供を抱き上げ顔を見た瞬間、人生最大の喜びを味わった。しかし直後に昏睡状態に陥り・・・・・・治療の甲斐無くそのまま息を引き取った。


 死んだことを知っている田中にとって、何も言わず部屋に現れる沙恵の姿は、喜びから次第に恐怖に感じられただろう。


 弘毅は全て終わったことの報告と、現実を受け入れるために墓参りに来た。

 彫られた名前を見て、改めて色んな想いが溢れる。


「沙恵・・・・・・。お前、俺を頼ってくれたんだな。田中と妹のことが気になって成仏出来なかったお前は、俺に声が届くと気付き、俺に託した。これで成仏出来るよな・・・・・・」


 弘毅は墓前に花束を置き、蹲踞そんきょの姿勢で手を合わせた。

「お母さんは赤ちゃんを見て、お前が帰ってきた、って思っていたみたいだぜ。田中も妹さんも、新しい生活を始めて赤ちゃんを可愛がってる」


 ふと、学生時代の笑う彼女の姿が甦る。

 自分と同い年の人間が死んだなんて、まだ信じられない。

 彼女の姿を思い出しながら、頰を涙が伝った。


   ・・・・・・ありがとう・・・・・・


 微風そよかぜに、彼女の声が混じった気がした。


 風はそのまま木の葉を舞い散らせ、天高く運び去っていった。

 空は変わりなく、青空が広がっていた。





---------------------

【あとがき】

 本作は「超能力な人々」の色?に合わなかったエピソードです。

 本編はSFコメディですので、興味のある方は読んでみて下さい。


 本編→ https://kakuyomu.jp/works/16818093090727298286

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

心の声が聞こえる男と初恋のひと 館野 伊斗 @ito_tateno

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画