コンティニューゲーム
渡貫とゐち
第1話
――あたしは兄貴に憧れていた。
兄貴はすごい選手だった。
ボールを持てば、ひとりでゴールまでいっちゃう。突っ込んでくる他の選手のことをすいすいと抜いていってしまう。ぶつからないギリギリのところを突き進んで抜けていく……
抜かれた選手は尻もちをついて振り返り、呆然としながら兄貴の背中を見つめていた。
まるで風が抜けたみたいだった、と抜かれた選手は後になってそう言ったらしい。
見ているこっちも、まるで兄貴は風になったみたいで――
乗った、じゃなくて、なったみたいに見えるのだ。
初心者ですらないあたしが見てもすごいと思ったんだ。バスケットをよく知る人が見たら兄貴のすごさは一言で片づけられるくらいには天井なんだろう。
あれが天才なんだ、って、みんなが口を揃えて言っていた。
兄貴はたくさんの人から期待されていた。将来はプロ選手になることが決まっていたようなもので――有名なコーチが兄貴のことをスカウトしたりもしていた。
……我が家の光だった。
兄貴は。
だからあたしも、とても誇らしかった――……でも。
兄貴が中学三年生の時、大怪我をした。
決勝戦――試合中のことだった。
ほとんど兄貴ひとりで戦っていたような試合だった。だから兄貴は疲労が溜まって、足腰も限界だったのだろうって今なら分かる。
兄貴は、避けられたであろう事故に巻き込まれたのだ。
誰が兄貴を突き飛ばしたのか――それは、味方だった。
兄貴のチームメイトが、兄貴のことを、わざとには見えないように事故を装って、怪我をさせた。強く腰を打った兄貴はその後、その両足が動くことはなく……。
兄貴が大切にしていた利き手は、動かなくなったわけじゃないけど、でも……激しく動かせば痛みが走るようになってしまった。選手としては最悪のハンデだった。
兄貴は、あの日、あの時、全てを奪われたようなものだった――――
車椅子に頼ることになった兄貴は、バスケットをすることができなくなった。兄貴の将来は全て白紙になった。バスケットで生きる道も、途絶えて――だけど兄貴は笑っていた。
――バスケができなくても、教えることはできるだろ。……って。
そんな風に、車椅子を押すあたしに向かって、弱々しい笑顔を見せたのだった。
中学三年生の兄貴。
当時、小学六年生のあたしには、なにもできなかったし、声をかけることもできなかった。あたしにできたのは、できるだけバスケの話題を出さないことだった。
生活からバスケットがなくなっただけ……それだけ、なのに。
まるであたしたちの家から、光がなくなったみたいに、薄暗くなった。
……どうして兄貴に怪我をさせたのか。あたしが探ったところによれば、兄貴のチームメイトは、兄貴に嫉妬していたのだ。
シンプルな理由だった。
当然だとも言える。
兄貴がいるから注目されて、兄貴だけが注目されている状態――
同じ舞台に立っていながら兄貴以外の選手はまるで見られていない。中途半端に同じ舞台に立っているからこそ嫉妬、苛立ち、足を引っ張ってやろうって気持ちが生まれてくる。
あたしみたいに観客でいたならば、足を引っ張るなんてこと思いつきもしないのに……。
まさかここまでおおごとになるなんて、と後悔したチームメイトは、いなかった。……信じられないことに。
嫌がらせを企んでいた全員が、ざまあみろと陰で言っていたのだ。兄貴は嫌われていた……だって天才だから。
兄貴の振る舞いもよくはなかったんだろうけど……でも、それでも! どうして兄貴からバスケを奪ったの?
どうして追いつこうと思わなかったの? どうして……どうして。
才能がないなら練習量で追いつこうって、思わなかったのっ!?
きっと、それができた選手なら兄貴の隣に立てているはずなんだ。
兄貴をひとりにさせてしまったチームメイトは、遅かれ早かれ同じことをしたのだろうと思う。強い人間はやっぱり嫌われて、足を引かれる運命だ。
その時に、強者は足腰を強くし、踏ん張っていなければならない。
そこまで含めて強者の立ち振る舞いなのだ。
だから、だから。
…………だからって、兄貴が悪いの?
兄貴が、妹に隠れて泣かないといけないの!?
…………兄貴のために、妹は、なにができるんだろう……?
…
…
「たしか、車椅子に座りながらできるバスケットがあったよね? それはどうなの? お兄さんくらいの天才なら、車椅子に乗っていてもすぐに上達しそうだけど」
「足だけじゃなくて片手も使えないの。日常生活はできるんだけど、スポーツとなるとやっぱり厳しいらしくてね……たぶん無理かな。だからどんなスポーツでも、もう……ね」
兄貴の生気のない顔を見ればよく分かる……まだ、バスケットの代用となるスポーツを見つけられていないのだ。
力なくだけど、一応、家族の前では笑ってくれている……いる、けど、見たくないような、痛々しい笑顔だった。
「そっかぁ……もったいないけど、そういうことなら仕方ないのかな……怪我だしね」
――兄貴が怪我をして半年と少し……あたしは中学校に上がり、兄貴は高校一年生になった。
三歳の差があると、どうしたって中学と高校は被らない。
兄貴の車椅子を押すのはあたしの役目、と言いたいところだったけど、学校が違うなら仕方なかった。兄貴には心配してくれる彼女(?)がいるらしいし? あの人に任せるべきなんだろうけどね……、あの人に兄貴の傷を癒せるとは思えなかった。
あの人にできるのは覆うことで、癒すことではないから……。
「怪我なら仕方ない、かもだけど……怪我をさせたのは兄貴のチームメイトだよ。……兄貴の才能に嫉妬して、上へ登り続ける仲間を引きずり落として喜ぶクズ。あんなの……スポーツマンシップの欠片もないっつの!!」
――カフェテラス、だった。
あたしは普段から利用しないんだけど、中学生でありながらメイクが上手な
周りは大人だらけで場違い感があるんだけど、万里奈はすっかり溶け込んでいる。
栗色の髪。メイク控えめのギャルが、映えるドリンクを飲んでいた。
あたしも同じのを頼んだけど……、カロリーが気になるよね。
「大丈夫よ、飲み物は太らないから」
「この、上に乗ってる生クリームは太るでしょ……」
「これはあってないようなものだから大丈夫」
「がっつりあるけど!!」
まーきにすんなよー、と男口調で男らしくドリンクを飲む友人。
たまたま同じ班になったから仲良くなったけど、あたしとは真逆のタイプだ。
「お兄さんのお友達? には、スポーツマンシップはないんだろうね。元々コートに立つ資格もないような人たちなんじゃない? 烏合の衆……おっと、ただの寄せ集めって感じで」
「バッサリといくね……一応、昔からのチームメイトだって言ってたけど」
「じゃあ天才を間近で見て歪んじゃったんだねー……あらら、かわいそうに」
「かわいそう? なんで?」
「……。
舌の上を流れる甘さに頭が冷静になった……、はっ!? あたしは一体、なにを考えてた?
「もしかして、だけどさ……その人たちに復讐しようとか考えてたりする? やめてよね? お兄さんと同じ目に遭わせてやろう、とかさ。……それはお兄さんをもっと苦しめるだけにしかならないよ」
「……分かってる」
「分かってる顔じゃないんだけど……」
復讐……は、考えたことがない、とは言わないけど……。それをしたら兄貴を陥れたあいつらと同じだ。
同じ舞台に立ってどうするの?
あたしは、だから違う――あんなクズにはならない!
「……あいつらよりも上手くなってやるって思ったの……」
「へー……いいじゃん。じゃあバスケ部に入るの? でも今更……。っていうか、お兄さんを見て小さい頃に始めてなかったのが意外だったんだけど」
「そう? 兄貴を見て始めようとは思わなかったな……、だって……まあ男女分かれてるから関係ないけどさ、兄貴がいるなら、あたしには追いつけないと思うし……」
「そんなことないんじゃない?」
「ない? ほんとにそう思ってる?」
あたしの質問に、万里奈はぐっと言葉を飲み込んで――ごめん、と謝った。
謝らなくていいのに……だって、兄貴を見たことがあるなら、あたしに追いつけるとは思えないもん。技術じゃなくて、たぶんオーラとか、そういうもの。
一目見て勝敗が分かるような感覚だった。
実際に試合をしてみたら思ったよりもシーソーゲームになるかもしれないけどね。でも、戦う前から勝ち目がないと思わせている時点で、技術ではない大きな差があるのだ。
「あたしには手に負えない世界だからね……始めようとは思わなかったの」
「なら、舞夏はなにを上手くなろうと決意をしたの?」
あたしはスマホを取り出し、ネットで検索――出た出た。
「これ――大規模アミューズメントパーク――”ゲームシティ”。その中に”スーパーバスケット”って体感ゲームがあるの。
……知ってる? VR……じゃなくて、ゲームの世界に入れるんだけどね――」
… つづく
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