灰の降る境界で
マッタージャン
プロローグ
灰は、雪のように降っていた。
だが雪と違って、
それは溶けなかった。
靴底に張り付き、
肺に入り、
時間をかけて人を壊す。
吸い込めば咳が出る。
皮膚につけば、かゆみが残る。
——それだけなら、まだ我慢できた。
最初の異変は、腹の奥から来た。
誰かが吐いた。
次に、別の誰かが膝をついた。
灰に濡れた手が、震えながら地面を掻く。
「……おかしい」
そう言った声は、
途中で歪んだ。
喉が裂ける音がした。
悲鳴ではない。
声が“壊れる”音だった。
振り向いた先で、
人が倒れていた。
いや、倒れたあとだった。
背中が、不自然に盛り上がっている。
骨が内側から押し出され、
服を破り、
皮膚を裂いていた。
血が出た。
赤いはずのそれは、
灰に触れた瞬間、
黒く濁った。
逃げようとした。
だが足が動かない。
視線が合った。
それは、人の目だった。
怯えと、痛みと、
——怒り。
次の瞬間、
“それ”は跳んだ。
空気が裂け、
衝撃が走る。
衝突音。
肉と骨が潰れる鈍い音。
視界の端で、
誰かの腕が落ちた。
そこで、銃声が一発だけ鳴った。
乾いていて、
ためらいのない音だった。
“それ”の頭が弾け、
血と灰が同時に散った。
倒れた身体は、
まだ痙攣している。
灰の中から、人影が現れた。
巨大な楯を構えた男が、
前に立つ。
楯には、血と灰が混じって張り付いていた。
その後ろで、
別の男が銃を下げたまま、
淡々と周囲を見回している。
目は、
死体ではなく、
次の“異変”を探していた。
最後の一人が、
感情のない声で告げる。
「
その声を聞いて、
初めて気づく。
倒れている“それ”は、
この街の住人だった。
昨日、挨拶を交わした顔だ。
三人は何も言わず、
血と灰の上を踏み越え、
次の現場へ向かって歩き出す。
助けられた。
——そう理解するまでに、時間がかかった。
感謝の言葉は、
喉の奥で固まった。
灰は、今日も降っている。
血の匂いが消える前に、
また次の“異変”が起きる。
そしてこの世界は、
それを
「仕方のない日常」
として、受け入れているのだった。
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