第2話 最高の一日
マンションのエントランスを抜けると、秋晴れという言葉がそのまま形になったような青空が広がっていた。
高く澄んだ空。肌を撫でる風は少し冷たいが、隣を歩く美咲の体温を感じるには丁度いい。
世界はあくまで美しく、平和そのものに見える。今朝のニュースがまるで嘘のようだ。
「うーん、最高! 私、やっぱり晴れ女かも」
「ああ、間違いないな。感謝するよ、晴れ女さん」
美咲は弾むような足取りで、俺の腕に自身の腕を絡めてくる。その重みと柔らかさが、俺の心拍数を少しだけ上げた。
駅までの道のりは見慣れた風景だが、ポケットの中にある指輪の存在が、アスファルトの景色すらも輝かせて見せた。
電車に揺られること一時間弱。目的の駅に降り立つと、そこは休日のような喧騒に包まれていた。
家族連れ、制服姿の学生、そして俺たちのようなカップル。
改札へ向かう人の波に揉まれながら、俺は無意識に美咲の肩を抱き寄せ、庇うように歩いていた。
雑踏の中に、あのニュースの犯人が紛れ込んでいるわけがない。頭ではわかっていても、視線は鋭く周囲を警戒してしまう。
「優くん? どうかした?」
「いや……人が多いから、はぐれないようにね」
「もう、子供じゃないんだから」
美咲はくすりと笑ったが、その手は俺の服の裾をしっかりと握り返してくれた。
入園ゲートの長い列に並ぶ前に、俺たちは駅前のコンビニに立ち寄った。
店内もまた、行楽地特有の混雑具合だ。
「美咲は外で待ってていいよ。いつものキャラメルラテでいい?」
「うん、お願い! 甘さ控えめじゃないやつね!」
人混みに彼女を残すのは少し躊躇われたが、狭い店内に二人で入るよりはマシだろう。俺は一人、商品棚へと向かった。
だが、不運にも彼女のお気に入りは棚から姿を消していた。値札の『売切』の文字が、妙に冷淡に目に映る。
些細なことだ。けれど、「予定通りにいかない」という小さな綻びが、今の俺には少しだけ不吉に思えた。
仕方なく次点のミルクココアと、自分用のブラックコーヒーを手に取り、長蛇のレジに並ぶ。
会計を済ませて店を出るまでの数分間、俺はガラス越しに美咲の背中を何度も確認していた。彼女がそこに立っているだけで、ひどく安堵した。
「お待たせ。いつものが全滅だったから、二号のココアで許して」
「あちゃー。まあ、二号ちゃんも好きだからオールオッケーだよ。ありがとう!」
温かい缶を受け取り、彼女は満面の笑みを浮かべる。その笑顔があれば、多少の不運などどうでもよくなった。
遊園地のゲートを潜ると、そこは非日常の音が溢れていた。
軽快なパレードの音楽、遠くから聞こえる歓声、そしてポップコーンの甘い香り。
大人の理性を脱ぎ捨てて、童心に帰ることが許される場所。
「まずは形から入らなきゃね! 売店に行こう!」
彼女に手を引かれ、土産物屋へ雪崩れ込む。
鏡の前であれこれとカチューシャを試着する彼女は、どんな宝石よりも輝いて見えた。
「これにする! 秋限定、リスさん&栗バージョン!」
「……それ、俺も着けるの?」
「当然でしょ? 今日は私の誕生日なんだから、王様の命令は絶対です」
茶目っ気たっぷりにウインクされれば、断れるはずもない。
俺たちは購入したリスの耳がついたカチューシャを頭に着けると、スマートフォンへ向かって並んだ。
「はい、チーズ!」
カシャッ、という電子音と共に、俺たちの時間が切り取られる。
画面の中でピースサインをする俺たちは、間違いなく世界で一番幸せなカップルだった。
その後は、彼女の要望で絶叫マシンの梯子となった。
空気を切り裂く風の音。重力から解き放たれる浮遊感。
隣で楽しそうに叫ぶ美咲の声を聞いていると、今日は本当にここにこれて良かったと思える。
「はあ、叫んだ叫んだ! 優くん、顔が引きつってるよ?」
「……三連続はさすがに効くって」
「だらしないなあ。じゃあ、そろそろ休憩! お昼ご飯にしよっか」
「賛成。何か食べたいものは?」
「リサーチ済みだよ。『シーサイドエリア』にある『マーメイド海鮮盛り』! SNSで話題なんだって」
マーメイドを食べるのか、と突っ込みたいのを飲み込み、俺は頷いた。
死者との婚約 ~終わらない世界の果てに~ 水辺 京 @ryouoyr
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