寒いのはお好きですか?〜凍える家で焚き火をしたらCO2警察に逮捕された件〜
小日向ひなた
第1章 氷の反逆
第1話 終末の世界
息が白い。白い息が、はっきりと形を成して霧散していく。コンクリートの壁も、ひび割れた床も、まるで死化粧のように薄い霜で覆われていた。窓ガラスに張り付いた幾何学模様の氷の結晶が、外の世界を完全に拒絶している。
――2100年、冬。世界は凍えていた――
廃墟の一室。少女は、色あせた赤と白のマフラーに鼻先まで埋め、部屋の中央で揺らめく『禁忌』を見つめていた。パチリ。乾燥した廃材が爆ぜる音が、静寂な闇に鋭く響く。鼻腔をくすぐるのは、焦げた木の香ばしさと、どこか甘美な
(……暖かい……)
こわばっていた指先がひとつひとつ解きほぐされ、幸福な温もりに包まれていく。 だが、その安堵の気持ちと同時に、彼女の背筋には、罪の戦慄が駆け上がっていた。この時代……『火』は人を狂わせる麻薬であり、所持することさえ許されない重罪だったのだ。
――かつて、人類は『火』と共にあったという。だが、それはもはや遠い昔、おとぎ話の世界の話だ――
原罪は、18世紀後半の産業革命に始まった。人類の活動により大気に放出された膨大なガスは、この世界の物理法則においては、太陽光を宇宙へ反射・散乱させる『冷却のヴェール』となっていた。1896年、一部の科学者が警告の論文を発表した。『寒冷化ガス(CO2)排出の継続は、地球を氷河期に戻す』と。だが、当時の人々は、この意見を嘲笑し、科学がもたらす繁栄を謳歌していた。化石燃料は、我々を温め、人類の未来を照らすための、輝かしい道具に過ぎないと。
1980年代に入ると、サンゴの凍死と熱帯雨林の減少が始まった。ペンギンは凍りすぎた海で餓え、白クマは拡大しすぎた氷床で行き場を失い、揃って絶滅危惧種となった。そして、1988年、『寒冷化に関する政府間パネル(ICCC)』が設立され、人類はついにCO2が『寒冷化ガス』であると公式に認めた。1997年、奈良議定書が採択された。目的はただ一つ。『寒冷化ガス(CO2)』の排出を削減し、地球の凍結を止めること』。
しかし、それでも人類は一つになることが出来なかった。超大国と、それに従う中東の権益国は、科学的根拠が不十分だとし、CO2排出行為を続けた。その結果、ユーラシア大陸および欧州の北部地方は、国土の大半が凍土と化し、数千万の『寒冷化難民』を生み出した。
2025年のリヨン協定の失敗を経て、激怒した被害国が中心となり、超法規的組織『GCA(Global Climate Alliance/地球気候協定)』が発足。その実力部隊――通称『
そして更に、寒冷化は進行した。寒冷化ガス(CO2)を吸収する役目を担うはずだった森林地帯は、凍てつく空気がもたらす異常乾燥によって、見るも無惨な枯れ木の森へと変貌した。大地では作物の収穫が絶望的となり、母なる海からは、生物の姿が消えた。度重なる食料危機によって、人類は減少の一途を辿るしかなかったのだ。
2050年代、ついに破局の引き金が引かれた。海面低下による圧力の減少が、『超・寒冷化ガス』であるメタンガスの海底からの噴出を誘発(メタン・ブローアウト)。さらに、拡大した氷床が太陽光を反射することにより(アルベド・クライシス)、不可逆な寒冷化が進行した。為す術もない人類は、もはや神に祈ることしかできなかった。
2100年。ついに、世界の人口は1000万人を割り、人類のほとんどは核融合発電で維持される、
――その少女は、
――ガシャァァァーン!!
突如、世界が砕け散った。鼓膜をつんざく破砕音と共に、凍りついた窓ガラスが内側へ向かって弾け飛ぶ。
「――ッ!」
少女が悲鳴を上げて後ずさる視線の先。砕けた窓枠に、その悪夢は立っていた。マイナス47度の暴風を切り裂いて現れた、漆黒の
「
マスクのスピーカーから、合成音声が響いた。
「
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