儀式開始と毒の小瓶
「おい! 贄を投げて置くんじゃない!」
深く眠っていて動かないとはいえ、1万人の人間を台座の上に乗せていくのはかなりの重労働だ。その重労働を贄が目を覚ます前に完遂させなければならない。
1000人ほどの衛兵たちが効率よく動いて、台座の上にパズルのように贄たちを寝かせていく中で、ベテランの衛兵に怒鳴られている者がいた。
どうやら彼は、この作業は初めてらしい。鎖で巻かれた人間が重かったのか、台座の上に半ば投げるように置いたところを咎められた形だ。
「置いた衝撃で万一にでも死んだらどうする? 死体は贄には使えねえ。贄が足りなきゃ代わりにささげられるのは俺たちだ。自分の身を守るためにも、贄は丁重に扱え」
「は、はい! 失礼いたしました!」
注意された衛兵は慌てて頭を下げて、以降は指示された通り、そっと台座の上に贄を運んでいった。
万一の為に大目に贄は用意しているが、それでも足りなければ、代わりにささげられるのは中流の人間だ。だから下流の人間を殺すことはタブーになっている。
自分が目の前の人間たちと同じように、供物にささげられたと思うとぞっとする。万一の未来を想像したのか、注意した者も顔を引き締めてから作業に戻った。
2時間ほどで作業が終わり、「撤収せよ!」というベテランの衛兵の号令で、皆門の外へと移動し始めた。
人の気配がなくなったところで、眠ったふりをしていた少年が起き上がり、辺りを捜索した。
「……っ! おっちゃん‼」
人で埋め尽くされた台座の小さな隙間を縫うように歩き、少年はおっちゃんの元へ向かった。
眠っているおっちゃんのパンパンと叩くと、おっちゃんは苦しそうな声を漏らしながら、細く目を開けた。
「——いったい、何が、あった……?」
「俺たち贄にされちまう! どうすればいい?! どうしたら助かる?!」
「…………そうか、その時が来たか」
必死に助けを請うように尋ねる少年を見て、おっちゃんは薄く、長い息を吐いた。
諦念の混じった息に、少年が一瞬怯んだが、すぐにおっちゃんの方を力強くつかんで叫んだ。
「とりあえず皆起こそう‼ 皆起こして逃げんだよ‼」
「そんな時間ねえ。そんなことしてるうちに儀式が始まってしまう」
「じゃあ俺とおっちゃんだけでもだ‼ 立てるか?!」
「いや、まだガスで体が動かねえ……」
少年はすぐさまおっちゃんを背負い、台座の外へと向かった。
だが、台座の外に出ようとしたところで、見えない壁のようなものに行く手を遮られた。
「畜生、んだよこれ?! なんか見えない壁見たいものあるんだけど?! おっちゃん、これどうすりゃ——」
おっちゃんに問おうと視線を動かしたところで少年は言葉を失った。
台座の端の方に置かれていた下流の者たちの体が音もなく宙に浮かび上がり、中央にある杯の上空へと向かって移動し始めたのだ。
眠ったままの者たちが何かにつるされたように宙を漂い、杯の真上に辿り着いた瞬間。
「————」
そのものの体が、急に消失し、血と思われる液体だけになって、杯の中へと零れていった。
身に着けていた服や鎖は、まるで口から魚の小骨を取り出したときのように、杯の外側へと無造作に捨てられていく。
端からもう片方の端へ。贄たちの体が持ち上がり、同様に血だけになって杯の中へ消えていく。
「始まったか……」
呆然と少年がその光景を眺める後ろで、おっちゃんが諦めたように呟いた。
真っ白になりかけた頭で、少年は血になって消えていく者たちを見つめている。
あのデカブツは、力はあるけど、あんまり真面目に働いてないやつだったなあ。弱い奴から鉱石奪って、それをいっつも自分の成果にしてたっけ。
あのひょろがりは、メガネ君の言っていた同部屋のチキン君じゃん。鉱石掘るのは結構うまかったけど、喧嘩は下手糞で、俺と同じ現場じゃなきゃ働けえねえ腰抜けだった。
あの刺青の入った筋肉君は、上で殺人を犯してこっちにおちてきた犯罪者だったなあ。こっちでも横暴働いて、目障りでボコしたらだんまりなった、見掛け倒しの糞雑魚だ。
あの陰気な前髪のちびは、陰キャ君。絡んでも何も言わないけど、あいつが洗った布団、他の奴らが洗った奴よりきれいだったんだよなあ。
あのメガネは、メガネ君。
口うるさかったけど、真面目に働いていたのになあ。うるさいとは思っていたけど、自分のことは自分でするああたり嫌いじゃなかったなあ。
皆、皆。血になっていく。血になって混ざっていく。
仕事サボってばかりの奴も、強い奴には威張れない雑魚も。
真面目に働いていたやつも、自分のことは自分でやったしっかり者も。
全部混ざって、同じ血だ。
「……そっかあ」
どんだけ頑張ろうが、下流になるってことは、そう生まれるってことは、そういうことなんだ。
「そっか」
どんな生き方をしても、所詮贄。
自分に言い聞かせていた言葉に、胸を静かに裂かれた。
夢に向かうための言葉が夢の幕を引き裂いて、剥がれて現れた現実に気が付いた。
少年はおっちゃんを優しく置いて、その場に腰を下ろした。
「死ぬんだな。俺も。おっちゃんも」
「……そうだな」
少年は、怒るでも悲しむでもなく、魂を抜かれたように虚ろな目をしたまま顔を伏せた。
それをみたおっちゃんが、悲しそうに、悔しそうに眉をひそめてから少年の肩に手を置いた。
「……おっちゃん」
「……なんだ」
「生きることは諦めた。死ぬのはしょうがねえ。……でも」
少年はもう一度顔を上げ、覚悟に満ちた目で、黄金の杯へと目を向けた。
「このまま死にたくねえ」
何か考えがあるわけじゃなかった。それでも、何か抗いたかった。
そう思う理由を少年は説明できない。それでも何かしろと本能が言っている。
「……そう、だなあ」
その様子を見て、おっちゃんは自分の服の内ポケットから、とあるものを取り出した。
「俺も、そう思ったところだった」
おっちゃんが取り出したのは、あの時取られたはずの、毒が入った小瓶だった。
贄の王 糸音 @itone-kusahaeru
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