Vtuber製造工場 ―― 中の人、交換しました
とらんきる丼
第1話 リードタイム・オブ・ドリームス
朝八時三〇分。
株式会社ネクスト・ペルソナ生産管理部課長、
スクリーンには、社内専用システム「NP-Mes」のダッシュボード。
上部には今期の主要KPIが並ぶ。
・「ジェネレーション5」デビューまで残り日数:D-12
・稼働予定枠:合計96スロット
・事前登録者数:128,430
・想定同接ピーク:75,000(目標値)
画面の端に、赤いアラートが点滅している。
【重要】G5-03 キャラクターデザイン最終稿 未承認
【警告】G5-02 メンタルコンディション検査C判定に低下
【注意】G5-04 ボイストレーニング進捗72%(予定比-18%)
画面を眺めながら、葛城はカップを口に運ぶ。
苦みと数字が、彼にとっては同じ意味を持つ。どちらも、感情を鈍らせるための道具だ。
「……リードタイム、足りないな」
彼は小さく呟くと、横のホワイトボードにペンを走らせた。
「設計」「前処理」「テスト」「リハ」「デビュー」という五つの工程が、製造ラインのように横一列に並ぶ。そこに「G5-01」から「G5-05」まで、五つの新期生コードをマグネットで貼り付ける。
部下たちがぞろぞろと会議室に入ってくる。
毎週月曜朝は「生産計画会議」だ。
「おはようございます、課長」
アシスタントの
葛城は会釈だけして、すぐに本題に入った。
「では、ジェネレーション5の今週稼働計画を共有する。
まず前提として、納期は動かさない。――デビュー日は絶対だ」
その言葉に、室内の空気がわずかに硬くなる。
誰も異論は唱えない。デビュー日変更は「経営会議案件」であり、生産管理レベルで触れてはならない聖域だからだ。
「昨日の時点での実績と、設計側から上がってきた進捗を反映して、改訂版シフトを組んだ。画面を見てくれ」
壁のモニターに「配信シフト表」が映し出される。
日付と時間帯のマスに、G5各メンバーのコードと、ボイストレ、コラボ練習、ソロ配信テストがびっしりと詰め込まれている。
「……これ、睡眠ブロックが……」
三島が、遠慮がちに画面を指さした。
午前二時までテスト配信、その四時間後には再びトレーニングが始まるスケジュールになっている。
「生理的休止時間の規定値は満たしている。法務チェック済みだ」
葛城は即答する。
「ですが、素材側のコンディションが――」
「素材の状態は、生産変動要因の一つに過ぎない。
それを均すのが、生産管理の仕事だよ、三島くん」
部屋の隅で、誰かが小さくため息をついた。
葛城は聞こえないふりをする。感情の音は、数字のノイズだ。
* * *
その日の午後、「ライン停止」の報が入ったのは、ちょうど会議が一段落し、コーヒーのおかわりを淹れようとしていたときだった。
「課長、大変です!」
ドアをノックもせずに飛び込んできたのは、タレントマネジメント部の若手だった。
「G5-02の
室内がざわつく。誰かが「やっぱり無理させすぎたんだ」と小声で言った。
葛城は、カップをテーブルに戻しながら、淡々と質問する。
「意識レベルは」
「一応、呼びかけには――」
「稼働不能期間の見込みは」
「えっと、まだ……医師の診断が出ないと」
若手は言葉を詰まらせる。
葛城は、ため息もつかずに端末を操作した。シフト表からG5-02のコードを一旦すべて外し、空白になったスロットを見つめる。
ぽっかりと開いた穴。
だが、それは人間の形をしてはいない。単なる未充填のマスだ。
「……ライン停止だな」
静かな独り言だったが、近くにいた三島が肩を震わせた。
「課長、ライン停止って……結城さんは人ですよ」
「うちの社内用語だ。気にするな」
葛城は、取り繕うような笑顔すら見せない。
代わりに、端末の別タブを開いた。「素材在庫一覧」とラベルされたシートだ。
「G5-B候補、まだ抑えてあるな」
そこには、「G5-02B」「G5-03C」といった控え候補のリストが並んでいる。
調達担当が、万一に備えて水面下で確保しておいた「バックアップ素材」たちだ。
「調達に連絡。G5-02Bを、繰り上げ投入だ」
「えっ、でも、まだキャラクターとの擦り合わせが――」
「そんなものは、ラインに載せてからでも合わせられる。
重要なのは、デビュー枠を死守することだ」
三島は口を開きかけて、結局何も言わずに端末を操作し始めた。
タレントマネジメント部の若手は、まだ戸惑いの表情を浮かべている。
「……結城さんのこと、みんな心配していて……」
「心配は、医療スタッフの専門領域だ。
我々の専門は、稼働率とリードタイム管理だよ」
若手は言葉を失い、頭を下げて部屋を出ていく。
葛城は、彼の背中が見えなくなると、ようやくコーヒーを飲み干した。
少し、冷めていた。
* * *
デビュー当日。
「ジェネレーション5」の
メインモニターには、五人の新期生アバターが並ぶ。
視聴予約は目標値を上回り、コメント欄はすでに高速で流れ始めている。
「G5-02、ボイスチェック入ります」
音声スタッフの声がインカムから聞こえる。
モニターの中央、淡いピンク色の髪を揺らす少女アバターが、試しに挨拶をする。
『は、初めましてっ。ネクスト・ペルソナ第五期生、結城ららです!』
――中の人は、もう別人だ。
だが、名前も、声の高さも、話し方も、すべて最適解として設計されている。
結城ららという「製品」が、市場に出荷されるという事実に変わりはない。
「課長、G5-02B、まだ細かいクセが残ってますけど……」
三島が不安そうに言う。
アバターの笑顔が、ほんの一瞬だけ固くなるのが、専門家の目にはわかる。
「視聴者は、歩留まりまでは見ないよ」
葛城は、モニター下部の数字だけを見つめていた。
カウントダウンがゼロになり、同時接続数のグラフが一気に跳ね上がる。
10,000――25,000――40,000。
右肩上がりの曲線が、彼の脳内で快楽物質と結びつく。
『みんな~、来てくれてありがとう! これから、いーっぱい、夢を届けていくからねっ!』
G5-02の高い声が、スタジオのスピーカーからも漏れ聞こえる。
中の人の表情は、壁一枚向こうの個室ブースでしか見えない。
だが葛城は、そこへ行く必要を感じなかった。
モニターの端では、チャット欄が「かわいい」「声好き」「神デビュー」と賞賛の文字で埋まっていく。
それに合わせるように、同接数のグラフがさらに一段、急角度で伸びた。
「……素晴らしい稼働率だ」
葛城は、満足げにコーヒーを口に運ぶ。
今度は、ちょうどいい温度だった。
ただ、メインモニターの中。
G5-02の少女アバターが、一瞬だけ、口角だけが上がった奇妙な笑い方をしたことに、彼は気づかなかった。
引きつった笑顔。
それは、人間の「限界」を示すサインかもしれなかったが、
少なくともこの工場では、「誤差」と呼ばれる種類の揺らぎに過ぎない。
グラフは、今日も美しく右肩上がりだ。
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