第2章 王立士官学校①
ローゼンベルク王国の軍事的指揮官養成機関である『ローゼンベルク王立士官学校』を理解するためには、まずローゼンベルク王国の歴史を振り返る必要がある。というのも、この軍教育機関こそがローゼンベルクという国家を形づくったと言っても過言ではないからだ。
大陸歴1096年、ルガルディア大陸最古の大国サンテルラン央王国では、王位継承を巡る内乱を平定した国王シャルル6世――『シャルル騎士王』が周辺諸国を呑み込まんとする大規模な対外戦争を開始した。後に『騎士王戦争』と呼ばれるこの戦いで、騎士王は強力で革新的な軍制と新戦術を惜しみなく投入し、清廉かつ豪胆な生き様、そして徹底した能力主義を武器に、生涯でルガルディア大陸の35%を支配下に置くことに成功した。その版図には、当時ローゼンベルク辺境伯領と呼ばれた地域も含まれていた。
陸戦無敗を誇る騎士王に奇跡的な勝利を収めた領主フリードリヒは、戦中に名誉ある戦死を遂げる。しかし、父と共に戦い、その死後にシャルル騎士王へ恭順した息子ヴィルヘルムは、騎士王の傍らでその用兵・軍制を間近に学んだ。大陸歴1113年、シャルル騎士王が前線で酒を煽ったことによる心筋梗塞という英雄らしからぬ最期を迎えると、騎士王軍は瓦解し、ヴィルヘルムは故郷へ帰還することとなった。
騎士王戦争での功績が認められ、公爵に叙された当時14歳のヴィルヘルム1世は、ローゼンベルク公国として再出発する祖国を“騎士王に二度と敗れぬ強国”にすることを幼心に誓った。騎士王の下で最新の軍制を学んだ彼は『ローゼンベルク軍塾』を設立し、志と能力を持つ者なら誰でも軍人を目指せるよう門戸を開いた。これは騎士王戦争による人材不足が背景にあったが、身分や血統ではなく実力こそが軍の強さを決定するという思想を、人格形成の時期に騎士王から学んだことも大きい。軍塾には身分の壁はなく、外国籍や性別も問題とされなかった。軍事学・兵器運用の教育に加え、読み書きや算術などの基礎教育も行われ、ローゼンベルク国家の人的基盤を支える役割を果たした。
ヴィルヘルム1世の子ルートヴィヒ1世は、この軍制改革を継承しつつ、行政機構と官僚制の整備に努め、ローゼンベルクを近代的な官僚国家へと発展させた。これらを担ったのは軍塾の卒業生であり、軍人や官僚として功績を立てた者を新貴族へ登用する制度を整えたことで、軍塾は国政への登竜門として確固たる地位を築いた。
しかし、ルートヴィヒ1世の跡を継いだ暴君カール1世は、父祖が築いた軍隊と国家体制、そしてそれを支える貴族たちの力を頼みに、国号を独断で『ローゼンベルク王国』へと格上げした。これを機に軍教育機関は『ローゼンベルク王立士官学校』と改名され、当初の理念から大きく変質し始める。人材不足の時代は終わり、より高度な人材育成を目的として教育水準が引き上げられた結果、在籍期間は5年から3年へと短縮され、その分専門性が高められた。しかし、入校に高い基礎学力が求められるようになり、平民の教育制度が未発達な王国では、入学可能なのは貴族や裕福な上流階級、教育を受けられる一部の中間層に限られるようになった。
こうして、能力ある者が昇進し功績によって貴族へ登用されるという建国理念は形骸化し、士官学校の入校者の大半が貴族か富裕層という固定化した社会構造が生まれるに至ったのである。
そのような状況において、ジークハルト――現場経験を持つ平民の一兵士であり、ヴィルヘルム王子の推薦によって入校を許可された男――が士官学校では異質な存在であることは、言うまでもなかった。
「なんだかな……」
士官学校に入校して1年が過ぎ、二回生へと進級したジークハルトだったが、未だに向けられる好奇と敵意の入り混じった視線には慣れなかった。
彼は入校当初から周囲の注目の的だった。同年代では珍しい“戦場上がり”の入校生であり、加えて王子ヴィルヘルムの肝入りという肩書きは、好奇と興味を引き寄せると同時に嫉妬と憎悪の標的ともなったのだ。
王国東部の国境線から王都ベルデンへ連れてこられたジークハルトを待っていたのは、読み書き、算術、歴史、マナーといった基礎教養を叩き込まれる地獄の勉強漬けの日々だった。
本来、士官学校の入校には高い基礎学力を求められるが、ジークハルトはヴィルヘルムの推薦状1枚で、そのハードルを飛び越えてしまっていた。とはいえ、楽に入ったとしても、教育課程についていけなければ意味がない。半年ほどで“追いつく”必要があったのである。
日常生活程度の読み書きしかしてこなかったジークハルトにとって、それは苦痛そのものだった。文字自体は読めても、飛び交う専門語句を覚えるのに苦労し、貴重な紙資源を気兼ねなく使えたのは、ひとえにヴィルヘルムの財力のおかげだった。瞼を閉じれば文字の羅列が浮かび、発狂しかけたこともある。しかし幸運にも、彼は記憶力と理解力に恵まれていた。
特に算術の吸収速度は目覚ましく、1週間ほどで四則演算を理解し、家庭教師の舌を巻かせた。また歴史についても強い関心を示し、専門用語の習得には苦戦しながらも、物事の本質を見抜く力に優れていた。幼少より高い水準の教育を受けていたヴィルヘルムと議論できるほどに成長したのは、異常な速度であったと言えよう。
とはいえ、士官学校での成績は芳しくなかった。
体力や戦闘術、射撃といった実技科目では戦場経験のおかげで高成績を叩き出すものの、読み書きのハンデは大きく、筆記試験では苦戦した。算術や数学は得意分野だったが、周囲は難関試験を突破した秀才揃いで、突出するには至らない。
「馬鹿ではないが、特別優秀でもない」
それがジークハルトにつきまとう評価だった。平民上がりで王子に取り立てられたという存在そのものが面白くない貴族子弟たちにとっては、嘲笑の格好の口実でもあった。
加えて、ジークハルト自身も“学校”という空間を好きになれなかった。勉強が嫌いなのではない。だが、どうにも教官たちとの相性が悪かった。経験と直観を重視するジークハルトに対し、教官陣は理論と規律を盾にそれを否定する。その態度に彼は苛立ちを覚え、教官側もまた彼への反感を募らせた。結果、ジークハルトの人物評価―特に「品性」「学習態度」―は、見事に最下位であった。
それでも彼が士官学校から逃げ出さなかったのは、始めた以上やり遂げようとする責任感、そして期待を寄せるヴィルヘルムの思いに応えたいという気持ちがあったからだ。彼の“心に秘めた願い”を聞きたいという純粋な動機もあった。
だが、もう一つ理由がある。
「どうした、ジークハルト。さっきの講義で分からない単語でも出てきたか?」
隣で平然と座り、共に講義を受けているヴィルヘルム。
ジークハルトはちらりと横目で見る。もしかすると、自分がジロジロ見られているのはこいつのせいでは?――そんな疑念が頭を掠めた。
「気になることがあれば聞くよ。天才王子」
本来、王族であるヴィルヘルムに士官学校の講義は必要ない。王族は軍団規模の指揮権を与えられるし、彼はすでに高度な教育を受けている。ここに通う目的は、ジークハルトを“使える手駒”に育てるため監視すること、そして将来の将校候補たちとの個人的な繋がりを築き、有能な人材を確保するためだ。
王国第二王子であるヴィルヘルムは、王位継承順位で上位の第一王子ルートヴィヒよりも優れた点、すなわち軍事の才能と実績を示さなければ、国政の主導権を握れない。
そして、軍事国家ローゼンベルクにおいて軍事の才能は最大の強みであり、軍事に疎い兄ルートヴィヒの存在は追い風となっていた。
とはいえ、才能があっても実績がなければ軍の頂点には立てない。ヴィルヘルムには自身を支える“ヴィルヘルム軍団”の人材が必要不可欠であった。
「ジークハルト、そろそろ時間だ。『志塾』に行くぞ」
幸いにも、ヴィルヘルムにはジークハルト以外にも“当て”があった。
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