序章:ルガルディア帝国史概略②

 戦乱の世となって久しく、人々がその慢性的な嵐の合間に訪れる束の間の平穏にさえ慣れ始めていた頃、時代は一人の稀代の英雄を産み落とした。

 歴史家がその名と偉業の記述を避け得ない人物――シャルル・ド・ヴァルノワ。あるいは『シャルル騎士王』と呼んだ方が通りがよいだろう。

 サンテルラン央王国は、ルガルディア帝国の旧帝都ヴェルデールを首都とし、戦乱期にあっても数百年ものあいだ国体を維持し続けた大陸最古の大国である。長い歴史に裏付けられた自負から、彼らは自らを“央”王国と称し、世界の中心であると信じて疑わなかった。

 その王国に、シャルルは国王の四男として生まれた。王位継承順位は限りなく低く、順当にいけば王座に就く可能性などほとんどなかった。しかし、宮廷内の権力争いが武力を伴う内戦へと発展すると、状況は一変する。伝統と一体性を重んじ、どれほど混乱しても国を割ることだけはしなかった王国では、勝者が全てを掌握し、敗者は従うという不文律が貫かれていた。その内戦こそが、隠れていたシャルルの才を表舞台へと引き上げる舞台装置となったのである。

 正統性の低さから支持者集めには苦労したが、彼は“軍事的天才”と称されるに相応しい勝利を次々と重ね、ついに苛烈な内戦を制して国王シャルル6世として即位した。彼は実力によって王冠を獲得したのだ。

 当時の世界では、果てなき争いに疲れ果てた諸国が“正統性”による安定を希求し始めていた。しかし、シャルルはこれに正面から反発した。

「正統性を絶対とするならば、実力ある自分は王にはなれなかった。力なき正統性に従う時代こそ不幸である」

 彼は生きる時代を間違えたのかもしれない。だが、自身の実力が到達し得る限界を見極めたいという情熱は、どこか始祖ルガルドの歩みに通ずるものがあった。

 慢性的な混沌が蔓延する世界に、あらゆるものを薙ぎ払う暴風が吹き荒れ始めた。

 シャルルはまず内戦で荒廃した王国を再建し、敗残兵を再編し、血統ではなく能力によって人材を登用する新時代の軍を作り上げた。そして国内の閉塞感を打破すべく、大陸歴1096年、遂に国外への軍事的冒険へ乗り出した。

 シャルルの軍隊は極めて強力であった。

 技術革新の最先端にあった大砲を大胆に実戦投入し、これまで人間同士の衝突に過ぎなかった戦場に革命をもたらした。指揮官には爵位ではなく才覚ある者を据え、彼らの真摯な働きを信頼して権限を委ねた。

 そして何より特筆すべきは兵士である。軍を構成する者たちの出自は実に多様で、農民の子もいれば召使いの子もおり、文字を読める知識階級もいれば、本来なら戦場に立つはずのない貴族の子弟すらいた。内戦で兵力が枯渇していたとはいえ、シャルルが集めたのは皆、自ら彼の指揮下に加わることを望んだ者たちであった。

 シャルルの在り方に魅せられ、彼の下で立身を夢見る者たちが、出自を問われることなく等しく“シャルルの兵士”となったのである。それは徴兵された士気の低い雑兵や、金で動く傭兵とは全く異なる軍勢だった。

 シャルルが最初に向かったのは南方であった。蜃気楼の歪む熱砂の果てまで踏破することは叶わなかったが、人の住める地の大半をその手に収めた。奇しくも始祖ルガルドと同じ歩みである。

 この南方での振る舞いこそ、彼を“騎士王”たらしめた。

 現地の人々は、最初は恐怖した。シャルルの軍勢は新たな征服者に過ぎず、税を搾り、徴用し、女を奪い、逆らえば殺す――支配者が誰に変わろうとも、数百年続いたその現実は変わらない。人々は支配に慣れ、諦めていた。

 だが、シャルルは歴代の支配者とは違った。

 彼の目的は実力の限界を知ることであり、富も隷属民も支配権も、興味の外にあった。

 軍事力を打ち破り領主を討つと、彼は民に向かってただ一言、「我と共に世界の果てを見たい者は参陣せよ!」と檄を飛ばすだけだった。

 人々は困惑した。そんな支配者は見たことがないからだ。懐疑的な者も多かったが、やがて目にする。シャルルの軍勢が彼らに干渉することなく次の地へ進み、参陣を望む者を出生で隔てることなく受け入れる光景を何度も。

 やがて彼らは信じざるを得なくなった――いや、信じたかったのだ。目の前にいる男は神話の始祖ルガルドの再来に違いない、と。

 いつしか人々は彼を“騎士王”と呼び、生きた神話の誕生に熱狂した。

 シャルル自身はルガルドを模倣したわけではなく、ただ自らの論理と情熱に従ったに過ぎないのだが、英雄とは、他者の生き様を真似る者ではなく、気づけば他の英雄にその生き様が似てしまう者のことをいうのだろう。

 こうしてシャルル騎士王は南方を平定し、その領土は大陸の2割に達した。

 次に彼が目指したのは、サンテルランから北西の海を越えたアルバレオン王国である。

しかし、この遠征は失敗した。アルバレオンは大陸随一の海軍を誇り、その指揮官には海軍史上最高の名将カスピアン・ウィルソン卿がいた。彼は戦死こそしたものの、騎士王の大艦隊を再起不能に追い込み、騎士王の海への野心を完全に断念させた。ウィルソン亡き後もアルバレオン海軍の優勢は揺るがなかった。

 一方、陸戦における騎士王の強さは相変わらずであった。

 アルバレオン侵攻と同時期に行われた聖都セルフィア侵攻は大成功を収める。セルフィアは始祖ルガルドが治めた旧帝都にして、正統性が形骸化した戦乱期ですら誰も手を出さなかった聖域である。その侵攻は、世界中に激震を走らせた。

 だが、衝撃はこれで終わらない。

 大陸歴1099年、シャルルはセルフィア大聖堂にて戴冠式を挙げ、自らを“皇帝”と称したのである。

 “皇帝空位の神聖”を定めるアレクシウス公法が最も重く禁じた一線を越えたのだ。歴史上、僭称者は度々出現したが、そのすべてが実力不足ゆえ暴力の前に倒れてきた。諸侯は当初、シャルルを嘲笑した。まさかあの賢王が愚を犯すとは、と。

 しかしすぐに、嘲笑は恐怖へと変わる。

――シャルル騎士王ならば、成し遂げてしまうのではないか。

 彼はすでに大陸の2割を掌握し、陸戦で敗北を知らず、そして、その野心を隠しもしなかった。少なくとも、自分たちの誰も止めることはできない。

 最初に動いたのは海洋国家アルバレオン王国であった。彼らは各地に文を送り、「騎士王が皇帝となる大陸に、果たして自分たちが生きる場所はあるのか」と訴えた。この恐怖の共有こそが、世界を初めて一つの意志へと結集させる促進剤となった。

 サンテルランに近い大陸中央部の諸邦が先陣を切り、『正統ルガルディア帝国』を名乗って連帯を結成した。自分たちこそ真の帝国後継者であり、シャルルは皇帝を僭称する逆臣であると宣言したのである。ルガルディア帝国の名が5世紀ぶりに復活した瞬間であった。

 だが実態は単なる諸邦の寄り合いであり、“皇帝不在を守る帝国”という根本矛盾を抱えた存在に過ぎなかった。

 シャルルはこの看板だけの巨体に怯むことなく挑み、結果、連合の半数を蹂躙し、残る半数はただ呑み込まれまいと耐えるのみとなった。

 この帝国の成立に関わったアルバレオンの政治家は皮肉を込めて言う。

「この帝国の最も強い武器は、その名乗りだけだった」

 騎士王が帝国領を西から東へ貫き、それを単なる通過点として扱うようになったとき、正統帝国は名実ともに敗北した。権威に実力が伴わぬ者の末路を象徴していた。

 誰も騎士王を止められない――世界の大半がそう確信した、その時である。

 大陸歴1113年、シャルル騎士王は前線にて急死した。死因は戦死ではなく、寒冷地で体を温めるために強酒を過度に飲んだことによる心筋梗塞であった。戦場に名を刻んだ英雄にしては、あまりに呆気ない最期である。

 騎士王を失ったサンテルラン央王国は、急速に瓦解した。幼く無能な後継者、新興派と貴族派の政争、混乱した命令系統、政治に無関心な筆頭将軍、そして支配地域の諸侯たちの蜂起。これらが重なり、かつて最強を誇った騎士王軍は脆く崩れ落ちた。

 こうして、シャルル騎士王の死をもって、18年間続いた騎士王戦争は幕を閉じた。


 では、シャルル騎士王の生涯に意味はなかったのか。彼は戦乱の世に幾度となく現れた軍事的冒険者、あるいは征服者の一人にすぎなかったのか。――答えは、断じて否である。

 シャルル騎士王の登場は、大陸を、そして世界そのものを不可逆的に変革した。

 清廉な振る舞いと実力への情熱ゆえに“騎士王”と称された彼の支配が及んだ地では、騎士王の論理こそが正義であり、それは旧体制の崩壊と新しい秩序の創造を意味していた。

 騎士王は何よりも才能と能力を重視し、それらが血統や出自、身分とは無関係に備わるものであることを知っていた。人間の優劣を決めるのは生まれではなく実力であるという信念、そして人は根本的に平等であるという基本原則こそが、彼の政治思想の根底にあった。

 ゆえに彼の側近や将兵の多くは下層階級の出身でありながら、騎士王は彼らを平等に遇し、実力と実績によって登用した。反対に、既存の支配層であっても能力に欠ける者は容赦なく排除した。騎士王の前では人は等しく評価され、そこで育まれた“能力に基づく登用”の仕組みが、後に官僚制の萌芽となったのである。

 当然、平等な人間には平等な法が相応しい。騎士王が大陸共通基法という普遍的法体系を領域内に徹底したことは、その理念からすれば必然であった。そして、この改革は後の歴史が証明するように、多様な変革を誘発する強力な触媒となった。

 シャルル騎士王の評価が分かれる理由として、彼を“野心の征服者”と見るか、“大陸を再統合した統一者”と見るかという対立がある。もちろん立場によって解釈は変わるだろう。しかし、確実なのは、騎士王の時代以降、大陸諸国が統合へと向かう潮流を形づくったという事実である。

 彼が生涯で支配下に置いた領土は、大陸の35%に達した。彼に対抗するために結成された正統ルガルディア帝国は、戦場で顕著な戦果を挙げたとは言いがたい国家連合であったが、その名称を気に入ったのか、騎士王戦争後も連帯を保ち、1世紀以上存続した。それまでは名目上であれ彼らが一つの国体として共存することなど、誰も想像し得なかったのである。強大な敵である騎士王への恐怖が彼らを団結させ、再来に備えてより密接な協調を促したのだ。

 また、最初に平定された南方地域では、騎士王の軍で才能を認められ、戦後に一大国家を築いた実力主義の君主が誕生した。騎士王戦争は地域ごとの統合を促進する役割を果たしたのである。

 さらに、彼の掲げた『人間の平等』や『法の普遍性』に触発され、荒療治を経て共和政体を確立した国家もあった。あるいは騎士王軍の画期的な軍制から学びを得て、無敗の軍隊を築こうとした国も、かつての支配地域から現れている。

 多くの者が、彼を皇帝とは認めないまでも、その圧倒的な存在感ゆえに畏敬を込めて“騎士王”と呼んだ。一方、彼を崇拝する者たちは“シャルル大帝”と称えた。

 その影響力があまりに大きかったため、保守的支配層の中には、急進的かつ革新的で、旧来の伝統を踏み越える彼の実力主義を『シャルル主義』として忌避する者も少なくなかった。

 しかし、旧来の政治・法・軍事・国家の枠組みを根底から革新しえた人物は、数世紀に及ぶ戦乱期にあって、彼をおいてほかに存在しなかったのである。

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