狼たちの牙城ー覇道の軌跡ー
@azumakairin
序章:ルガルディア帝国史概略①
※本章は、物語の世界観をより深く理解していただくために、本編開始以前の歴史をまとめた『序章』です。本章をお読みにならなくても本編はお楽しみいただけますので、そのまま『本編』から読み進めていただいても問題ありません。
全ての始まりは、ある一人の少年王の登場であった。
彼の名は『ルガルド』。狼に育てられ、世界を創る英雄であり、後世には神として語り継がれる存在である。
生まれが定かでないにもかかわらず、ルガルドは恐るべき才能と実力、行動力、探究心を備えていた。彼の最初の領地はセラフィアという都市国家であり、そこから彼の歩みは始まった。
当時、人々の交流は一日歩く程度の距離に限られ、一週間歩けば見知らぬ部族に遭遇し、一か月歩けば言語も民族も異なる集団に出会った。生涯をかけても一年先の景色を見ることは叶わない時代において、少年王ルガルドは国を広げ、都市から地域、地域から地方へと支配を拡大させた。そして、大陸全体を俯瞰する地図に最初の一筆を記すまでに至った。
人々はいつしか彼の国を“ルガルドの創った国”を意味する『ルガルディア帝国』と呼び、後世には大陸全体を『ルガルディア大陸』と名付けた。こうしてルガルディアという名は、大地そのものの代名詞として歴史に刻まれた。
「先へ。さらに先へ。世界の果てを見るまでは――」
ルガルドは収まりのつかない情熱と冒険心を、持ち得た才能と実力によって形にした。彼に従った者たちもまた、その熱病に感染し、生涯その歩みを止めることはなかった。
しかし、ルガルドは道半ばで死んだ。世界の果てを夢見た少年は、戦いと冒険、出会いと別れに彩られた生涯を56年で閉じた。ルガルディア大陸の暦は彼の誕生年を大陸歴元年とし、57年目にその始祖を失った。
それでも、残された者たちはなお始祖の熱病に侵されていた。彼らは進み続けた。
南の果てには、なべ底のように熱せられた砂の大地があり、
西の果てには、行きては戻れぬ際限のない海があった。
北の果てには、人を拒絶する極寒の白銀世界が広がり、
東の果てには、天に届かんばかりの山々がそびえていた。
やがて彼らは知った。これが、世界の果てなのだと。
そして、それを成し遂げたのはルガルドの曾孫、5代目皇帝ファルマードであった。こうしてルガルディア帝国は、大陸を唯一の領土として支配する存在となったのである。
これが、統一世界を『帝国』と呼ぶ所以である。彼らにとって、帝国とはすなわち“世界”だった。
ルガルディア帝国は、かつてかくも繁栄していた。
始まりの都セラフィアから、肥沃な大地ヴェルデールへと帝都を遷し、そこに荘厳な宮殿を築いた。大陸全土に交通網を整え、統一された言語と暦を施行した。民族の差はなく、すべての民は等しく帝国民であり、また世界市民であった。その繁栄の光は、まさに世界に遍く降り注いでいた。
だが、その光にも終わりは訪れる。
7代目皇帝ルガルド2世が崩御したのだ。原因は交通網の発達により、辺境から疫病が持ち込まれたことにあった。多産を奨励し、自身の血筋も豊かであったルガルドの一族は、ついに直系を失った。
奇しくも、始祖の名を継いだ子孫が、一族の最後の皇帝であり、帝国の繁栄だけを見ていられた幸福の時代の最後の皇帝であった。
しかし、ルガルド2世はただ傍観する皇帝ではなかった。
「帝国の全てを、汝に託す。頼んだぞ」
彼が玉座を渡した相手は、皇帝家の外戚に連なる名門貴族であり、帝国の政治を取りまとめる宰相、軍事力の最高指揮官である元帥、そして皇帝からの信頼厚い忠臣――アレクシウス・ヴァルノンであった。
当初、アレクシウスは辞退を申し出た。皇帝の帝国を引き継ぐことは、忠義に厚い功臣の身には重すぎると考えたのだ。
しかしルガルド2世は黄金の冠を押し付けて告げた。
「いらぬなら捨てればよい」
アレクシウスは涙を流しながら答えた。
「そのようなことは、できませぬ」
こうして皇帝からの全幅の信頼を以て地位を禅譲された男は、恩義と忠誠心に殉じることを誓い、『大陸摂護官』という新たな地位を設けた。これは、皇帝家が断絶した後も「帝国の真の君主は始祖ルガルドとその血族である」という神聖な原則を守るためのものであった。
大陸摂護官アレクシウス・ヴァルノンは、自らの子孫にその地位を継がせ、帝国の守護者としての役割を厳命した。偉大なる皇帝には及ばぬ身であっても、一族を以て帝国を守る義務を果たさねばならないと、厳しく言い聞かせたのである。
彼の業績の中でも特に突出しているのが、帝国領における自然法や臣民の模範、思想をまとめた『アレクシウス公法』である。この公法は、帝国内のあらゆる問題の基準となり、大陸の習わしや哲学の礎ともなった。後世の君主や歴史家がまず参照するのも、この公法から導かれる正統性の証明である。
しかし、この公法にも欠点はあった。以下の一文に、それが端的に示されている。
我らが始祖ルガルドとその子孫は天賦の力により偉業を成し、力なき者は大業を為せず、故に帝国臣民は力を備え、これを行使すべし。そして、始祖の偉業には神聖不可侵の正統性が宿り、いかなる者もこれを侵すことなく、その権威に従うことを以て最上の献身とす。
この文には、実力主義的な現状打破の原動力と、正統主義的な現状維持の固執が同居している。まるで同一の両親から生まれた、正反対の性質を持つ双生児のようである。
そして、この矛盾こそが後世の歴史全般を象徴する。言うならば――“彼らの壮大な兄弟喧嘩”である。
偉大なる皇帝に認められた正統後継者は、こうして歴史の大罪の元凶となったのだ。
大陸摂護官の地位は世襲であり、四代にわたって受け継がれてきた。
4代目大陸摂護官に任じられたアウレリウス・ヴァルノンは、後世の歴史家の間で評価が大きく分かれる人物である。
彼の世代は、ヴァルノン家当主一人だけで帝国を支えるには大きすぎる領土を抱えていたことに気づき始めた。初代大陸摂護官アレクシウスは、一族の血脈を絶やさぬために各地へ親族を派遣し、地方に根付かせる体制を整えていた。
そのおかげで、適度に分割されたままでも帝国の統治に差しさわりはないという安心と安定を享受できる時代に4代目大陸摂護官アウレリウスは生きていた。
「守るべきは帝国の理念であって、もはや版図ではない」
これは、後世に『アウレリウスの大分割』と呼ばれる歴史的事業の際、彼が発した言葉である。アウレリウスは帝国を七つに分け、それぞれに地方摂護官を任命して独自の統治を許した。帝国の事実上の解体であり、大陸歴395年の出来事であった。
彼は“帝国の崩壊を招いた無責任な解体者”とも、“大陸を解き放った歴史の開祖”とも評される。
大分割を終えたアウレリウスは、帝都を山々に囲まれた高原の地ルーヘンベルクに遷し、俗世を離れて余生を過ごした。宮廷の権謀術数や一族の重圧に疲れ切っていたのである。
当時の地方摂護官は皆、彼の兄弟や親族だった。数世代にわたって安寧は保たれた。しかし、血のつながりも世代を重ねれば薄れ、所領の不公平や名誉心が加われば憎悪に変わるのは避けられなかった。もしかすると、血が繋がっているという事実こそが、その憎悪をより一層耐え難いものにしていたのかもしれない。
大陸歴576年、遷都問題がその火種となった。ルーヘンベルクは地理的に交通が不便で、帝国行政の中心としては適さなかった。ほとんどの地方摂護官は新たな都の設置に賛成したが、その場所を巡って対立が起こる。誰も譲らず、口論から罵倒、ついには殴り合いに発展した。こうして“七王時代”と呼ばれる戦乱の幕が開いたのである。
各地方摂護官はアレクシウス公法の条文を盾に、自らの権威を示すべく戦争に身を投じた。七人は王を名乗り、それぞれの王国を築いた。やがて戦端を切った理由すら忘れ、手段だけに熱中する獣のような時代が到来した。国土は荒れ、もはや帝国という体を保ってはいなかった。
戦乱は繰り返され、帝国の領土は分割と再編を重ねた。新たな実力者が現れたり、王国が断絶したりもした。こうして数百の勢力が乱立する“千旗時代”が到来する。
後世のある歴史家は、この混乱を最大限に肯定的に捉え、次のように評した。
「帝国の崩壊は退歩ではない。千の文化が生まれるための土壌であった。」
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