おふとんは、卵

深見双葉

おふとんは、卵

生きとし生けるもの。

すべての命は、等しく、ひとつの卵から生まれてきます。

自分の殻を、コツン、コツンと嘴で突き、恐る恐る、外の世界へ出ていく。

そうやって、私たちは命の歩みを始めました。


でも、卵を割って外に出た瞬間から、傷つくことのほうが多かったのかもしれません。


にぎやかな場所に疲れ果て、どこにも居場所がないと感じるとき。

羽がボロボロになって、もう飛べない、と感じるとき。

帰りたいと、喚き、泣き叫びたくなる日がある。

もう無理だ、と羽を閉じてしまう瞬間がある。

そんなとき、私たちは、もう一度だけ、あの暗くて静かな卵の殻に帰りたいと願ってしまうのでしょう。 


骨折して入院し、そのまま退院することができなかった私の祖母は、死ぬ間際、「家に帰りたい」と言いました。

病院の清潔なシーツの上ではなく、何十年も自分を包んできた、あのおふとんという名の卵の中で、最期を迎えたかったのかもしれません。


かつて、愛犬を安楽死で見送ったとき。

家に連れ帰った私は、もう冷たくなってしまった犬の体の下に、綺麗な新しいタオルを敷きました。  

そして、もう二度と目を覚まさないと分かっていながら、ふかふかの毛布を、そっとかけて、いつものように寝かせたのです。

本当は、あたたかい体を抱きしめたかった。

でも、それが叶わないから、せめて、眠りだけは、あたたかくあって欲しかった。

それが、そのとき。唯一私ができた、最期の抱卵でした。 


早朝の駅のトイレで、重い荷物を抱えながら、顔と体を洗っていた、あの細身の女性。

彼女もまた、今夜、自分をやさしく包み込んでくれる卵を、どこかで探しているのかもしれない。

そんなふうに、ふと思いました。 


死という大きな帰郷と、私たちが毎晩くり返す眠り。そのあいだに、大きな違いはないのかもしれません。

私たちは毎晩、おふとんという卵にもぐり込むたびに、小さな死と、小さな再生を、くり返しているのでしょう。 


誰にも言えなかった痛みを抱えたまま、泣きながら眠りについた、子どもの頃の私も。

今日の出来事を持て余したまま、目を閉じる、今夜の私も。

暗闇の中で、ただ呼吸を整え、明日の自分を新しく産み落とすために、一度だけ、「無」に帰っているのでしょう。 


私たちは、卵から生まれて、そして、卵へと帰っていきます。

どんなに遠くへ飛んだとしても。

どんなに羽がボロボロになったとしても。

最期には、安心できる、あのおふとんのような卵が、待っている。


だから、今は。その殻の中で、少しだけ、呼吸を整えていい。

自分を責める理由なんて、探さなくていい。

そして、私たちは、何度でも帰っていい。

帰る場所がある。それだけで、生きていけるのだから。


おふとんは、卵。

生きていくための、そして、生まれ直すための場所。


やさしい夢の中で、おやすみなさい。

そして、おはよう。新しい私。

さあ、真っ青な空を、自由に飛び回る……羽を広げる準備をいたしましょう。

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