第5話:錬金術師の戦い方
ある日の午後、錬金術協会から手紙が届く。
内容は、塩酸と硫酸の材料の手配ができた。近日中に届くので受け取りに来い、というもの。
思わず頬が緩む。
これで王水作成の目途が立ったわけだ。
次の目標は魔王水の調合。
王水に魔物の体液を加えることで生成される、俺が魔王水と呼ぶ溶媒。
魔石を溶かし、再結晶化させるための基礎工程であり、魔石合成において避けて通れない。
魔物の体液、この場合はスライムで良い。
理論上、保有魔力の大きな魔物の方が質の良い魔石を作れる。ドラゴンの血ともなれば結果に影響もあるだろうが……
現実的に入手不可能な魔物を例に挙げても仕方がない。
ゴブリンや、せいぜいオーク程度の血液では、スライムと比較しても大きな差は無い。
ゆえに、今の俺が必要としているのはスライムの体液。
しかし問題は、その調達方法。
市場にはまず出回らない。
冒険者も基本、持ち帰らない。魔石や毛皮、肉などならともかく、通常は血液や体液などは採取しない。採取、輸送、保管、その全てに手間がかかりすぎる。
冒険者ギルドに依頼を出せば可能だろうが、高くつくだろう。品質に不安もある。
仕方ない。自分で調達するか。
スライム程度であればさほどの危険はない。子供でも倒せる魔物だ。
とはいえ、スライムが居るのは街の外。そこは人間の領域ではない。
相応の準備が必要になる。
俺はまず、花屋へ向かう。
そこでとある植物を購入。ピレト草という花を束で。
薄黄の小さな花弁が特徴。錬金術協会ででも購入可能だが、自作することを考えればこちらの方が早い。
花束を手に宿へ戻ると、女将が目ざとく花束を見つけた。
「おやまぁ、ずいぶん綺麗な花じゃないの。誰かいい人でもできたのかい?」
「ええ、まあ……はい」
楽し気に絡んでくる女将を適当にあしらい、厨房を借りて作業を始めた。
ピルト草を作業台に広げる。
束をほどくと、独特の青い香りがふっと立ちのぼった。特有の清涼さと、ツンとした匂いが混じっている。この香りが、魔物の嗅覚には不快らしい。
正確には、匂いに含まれる魔力の性質が関係しているのだが。
だが、これ単体では効果が弱い。いくつかの工程を加える必要がある。
まずは花と葉を丁寧に摘み分け、茎から外していく。
花弁は指先で軽くつまむとしっとりとした感触。余計な水分が残っている証拠だ。天板の上に薄く敷き広げていく。
天板に敷いた草を乾燥器へ。
内部の発熱石が淡い赤光を灯し、熱を帯びていく。火力は弱いが、そのぶん均一で、草を焦がさない。完全に水分が抜けるまで、およそ一時間。
乾燥が進むにつれ、香りは感じられなくなる。
しっかり乾いた花と葉は、触れるだけで音もなく崩れていく。
次に乳鉢へ移し、すり潰す。
粉末状になったところで、いくつかの薬剤を少量と、粘結剤を加える。
乳棒で練り合わせる。粉が少しずつ湿り、粘りを帯びてまとまっていく。
十分に混ざったのを確認し、細長く伸ばし、うずまき状に成形する。
今度は中火で焼いていく。
熱が入るごとに樹脂が締まり、ゆっくりと硬度を増していく。
表面が滑らかになり、淵にうっすらと焦げ色がついたところで取り出す。
試しに指で弾くと、乾いた軽い音が返ってきた。
完成だ。
魔物の出る壁外の活動はこれで問題ないはず。少なくとも、ゴブリン等は寄って来なくなる。
だが、まだ懸念点が残っている。魔物以外の脅威が。
もう一つ、念のために作っておくか。
寝室に戻り、別の薬剤の作業に取りかかる。
こちらはあまり表立って作れるものではない。できれば、使わずに済んでほしい代物だ。
それでも備えは必要だろう。
俺は気を引き締め、再び調合を開始した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日、俺は街の外へ。近隣の森へと向かう。
目当ての魔物の情報などは、ポーション販売を通じて知り合った冒険者たちから聴くことができた。
街からほど近い森は、冒険者見習いの練習場のような場所だ。
危険な魔物は少なく、熟練者はまず来ない。
しかし非戦闘員である俺にとっては、十分脅威になりうる。
もちろん、対策はある。
腰の袋から金属製の小さな容器を取り出す。
中身はピルト草を乾燥させ、粉末にして固めたもの。昨日調合していたのがこれだ。
火をつければゆっくりと燃えながら煙を出す。この煙は魔物を遠ざける効果がある。魔物忌避剤。
それを腰に吊るす。ついでに虫除けにもなって一石二鳥。蚊取り線香みたいなものだ。
森の中を進み、目当てのものを探す。
次に取り出したのは懐中時計に似た魔道具。赤と青、二本の針を持つ。
起動すれば赤い針が動き、一点の方向を示した。これは、魔物の存在を示してくれている。
俺は針に従い、森の中を歩む。
いた!
しばらく進み、見つけた。木の根元でうごめく影。
そっと近づく。しだいに形状がはっきりと見えてきた。
水色の、ゴム毬のような物体。生きているかのように脈動している。
いや、生きているのだ。
ゴムのような外皮、透明な体液、体内中央に浮かぶ魔石。それだけで構成された、原始的な魔物。
この世界のどこにでもいる、最下級の魔物。そう、スライムだ。
忌避剤の煙を嫌っているのだろう。
スライムはじわじわと後退し、距離を取ろうとする。人間の歩く速度よりずっと遅い。
それを早足で追う。
そして、取り出した道具を突き刺す。
注射器だ。
人間用ではない。粘度の高い体液を吸引するため、針はかなりぶっとい。
針が外皮を貫いた瞬間、スライムの体がびくりと跳ねる。
体液を吸い上げると、悲鳴の代わりか、細かく激しく震え始めた。
吸引されるたび、スライムの体は目に見えて縮んでいく。
そして俺は、吸い取ったスライム液を容器に移す。
残されたのは、体液を失い、核と外皮だけが残ったスライムの残骸。
しぼんだ水風船のような無惨な姿だ。
残骸は回収しない。
使う予定はないし、市場に出回っている素材でもある。必要なら買えばいい。どうせ二束三文だ。
それに回収しようとすれば手が汚れる。
ただの潔癖ではない。ここは手洗いの手段も限られる屋外、無用な汚れは避けるべきだ。
今回の目的は、このスライムの体液だけ。
一般流通はなく、冒険者に依頼するのもためらわれた。
彼らに注射器なんて繊細な道具を扱えるとは思えない。品質を期待できない。
自分の手で行うのが一番早く、確実だと判断したのだ。
そんな作業を続けていく。
そうやって何体かのスライムから中身をちょうだいした頃、探査用魔道具が小さく震えた。チリチリと嫌な音を立てる。
見れば、青い針が元来た方向を示していた。懸念が的中。
青い針は、人間の存在を示す。
近づく足音。
逃げるように動けば、追うかのように近づく。
俺は場所を移動。ここは良くない。
人間の反応から距離を取りつつ、進路を調整。
森の切れ間。視界の開けた小さな空間。
逃げ場を確保し、簡単な準備を整えた上で、俺は足を止めた。ここで良いだろう。
待ち構える。
やがて茂みが大きく揺れ、一人の男が姿を現した。
無精髭、だらしない革鎧。
見覚えのある顔だ。
「よぉ、錬金術師さん。こんな所で何してんだよ」
ニヤニヤと笑いながら、距離を詰めてくる。
「逃げ切れると思ったか?」
「何の用だ」
「白々しいな。わかってんだろ。お前さんのポーションだ」
どうやら、俺が冒険者たちからスライムの情報を集めているのを知り、後をつけていたらしい。
「痛い目を見たくなけりゃ、さっさとよこしな」
ポーションを寄越せと。まあ、予想通りではある。
「ふむ、俺に手を出して、問題になるとは考えなかったのか?」
錬金術師は市民階級。危害を加えれば、帝国法により罰せられる。
「はっ」
だがチンピラは鼻で笑った。
「ここは壁の外だぜ? 誰が見てんだよ。市民だろうが何だろうが、魔物に食われりゃ同じだ」
そして、にやりと口角を歪める。
「それにお前、中央でやらかして逃げてきたクチだろ? 消えても大事にならねぇ」
なるほど。俺が行方不明になったとしても、重大事件として扱われないと予想したのか。
確かに、彼の推測の一部は合っている。
「……分かった」
俺はため息をつき、懐から一つの小瓶を取り出す。
見た目は普通のポーション。ただし、蓋に小さな仕掛けをしてある。
俺はそれを、放り投げる。
「ほら」
「あっ! 何を!?」
小瓶は宙を舞い、俺とヤツの間の地面に落ちて転がった。
チンピラは慌てて駆け寄り、拾い上げる。
「馬鹿かてめぇ! 割れたらどうす……あ?」
男は小瓶を手に取り、違和感に気づいた様子。
「これ、本当にポーションなのか……?」
緩められた蓋の隙間から、中身がわずかに漏れ出す。
空気に触れ、微量の蒸気が立ち上った。
男は拾い上げた拍子に、顔を近づけすぎていた。
十分すぎる量を吸い込む。
「っ……ゴホッ、ゴホッッ……!
途端に、喉を押さえ、咳き込み始める。
「てめ……これ……毒……!?」
そのとおり。これは毒。
コカトリスの唾液を蒸留し、揮発性成分のみを抽出。
さらに塩酸で活性化した、吸入型の神経毒。
それをポーションと同じ瓶に詰めていたのだ。パッと見では区別はつかないだろう。
そもそも、コイツのような輩に渡すポーションなんてあるはずがない。
俺はさらにもう一本の小瓶を取り出し、奴の足元へと投げつける。
割れた小瓶から濃い蒸気が一気に立ち込め、男の喉を焼く。
「がっ……あ、あぁ……っ!」
チンピラは胸を押さえ、堪えきれず地面に膝をついた。
俺は中和薬を染み込ませた布を口元に当て、距離を取る。
「こんなことして……ただで……済む……と……」
「君が言っただろう。壁外は治外法権だと」
俺は静かに言う。
「死体は魔物が片付けてくれる。だったかな」
男の顔が、絶望に歪む。
「錬金術師を敵に回すとは、こういうことだ。覚えておけ」
もっとも、その知識を活かす機会が、彼に再び訪れることはないが。
男はもう返事をする余力もなく、地に伏す。
そして、二度と動くことはなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その後も俺は、冒険者ギルドでポーションの販売を続けた。
時おり街の外へ出ては、スライムの体液を採取する。市場に出回らない素材は、自分の足で確保するしかない。
例の冒険者が帰還していないことは、さすがに気づかれているだろう。
俺と奴が接触していたことは周知の事実だ。
だが、詮索されることはない。
俺は市民で、奴は非市民。
立場が逆であれば、事件として調査が入ったかもしれない。
だが現実は違う。壁外で消えた非市民の冒険者など、誰も気に留めない。残酷な現実だ。
彼の名も、顔も、ほどなくして誰の記憶からも消えていった。
一方の俺は、十分な量のスライムの体液を集めることに成功。
いよいよ、魔王水の作成が可能になる。
そして、その先にあるのは魔石合成。
この世界の常識を、溶かして作り変える錬金術。
王水の錬金術師 -追放された転生者は合成魔石で無双する- 迷田走助 @TakaiwaRokuro
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