凍てついた涙がぜんぶ乾いたら、夜明け一つとともに旅せよ

トウジョウトシキ

第1話 四枚の金貨と一人の王子と。

 最初に、黒があった。

 ほどなく地平に白がにじみ、世界は影絵になり、光と共に色づいていく。

 藍と茜の混じる空を、小さな点が飛んでいる。トンビだ。高く、高く舞い上がるその鳥は、やがて都市を見下ろした。

 黒金と暗褐色の煉瓦で作られた街だった。建物にはそれぞれの窓から黄色地に黒龍と盾の刺繍のされた布が垂らされ、街路には白い花を散らす桜が並木となっている。

 大通りでは、パレードが行われていた。毛の長い六足の騎獣に乗った男を先頭に、楽器隊、それから踊り子と衛兵たちが後に続く。

 民衆のお目当ては、先頭の男のようだ。その髪は赤。誰もが視線を向け、押し合ってその顔を見ようとしている。

「お父さん、勇者さまはどこ、勇者さまはもう行っちゃった?」

「今来てるぞ、ほら!」

 父親に持ち上げられた幼児が、憧憬で輝く瞳をひらく。

「今代の勇者様は、またずいぶんと男前ね」

「うちの店にも来てくんないかなぁ」

 気だるげな半裸の女たちが、三階のアパートメントの窓から口笛を吹く。

「こりゃ石像を作らねえとなぁ」

「英雄譚の表紙に映えるお顔だこと。これは売れるわよ」

 店先で職人たちが腕をまくり、その前を棒を持った子供たちが駆け抜けていく。

「蝿の王め、この勇者が退治してやる!」

「ずるーい、アタシも勇者やるぅ!」

 人々の羨望の視線も届いているのかいないのか。無表情の勇者を乗せた騎獣は広場を通り抜けて、二本の尖塔を持つ鏡の城へと向かっていく。

「あ、やられたっ!」

 うかつな見物客の一人から、トンビが串焼き肉を奪い取る。広場の中心のギロチン台の隙間をぬって、その鳥は白い巨大な女神像に糞を落とした。その影は遙か遠く地平の彼方に飛んで、やがて霞に溶けて消えた。



 謁見の間の床は、磨き抜かれていた。凪いだ湖面のような大理石に、整列する儀礼鎧姿の騎士たちの姿が逆さま映っている。

 両手で剣を正面に掲げ、石像のように立つ彼らの奥、三段をへた高みに王座がある。冠を頭に乗せた白髪の老人が座り、背後には広場と同じ、小さいが今にも動き出しそうなほど精緻な女神が両手を広げて全てを見下ろしている。

 王座へと伸びる白と灰色の市松模様の絨毯の上に、先ほどのパレードの主役である赤と黒と銀の髪の若者が跪いていた。

「面を上げよ。救国の勇者」

 跪いていた男は、顔を上げ、王を見た。不 要に座面の高い王座と、その両側に椅子があった。左は空席で、右には一人の金髪の男が座っている。

 その金髪の男は勇者と同じくらいか。二十歳ほどの男で、頭には獣の耳が一対生えていた。

「貴様には勲功爵とその栄誉に見合うだけの褒美を与えよう。近くに」

 無表情の勇者が、膝歩きで王座に寄る。

「女神の言葉はお前の魂に刻まれ、その徳は王国に繁栄をもたらす。その肉は紙であり、血はインクであり、声は教えであり、それが書き記すのは我らシイカの歌である。誓え」

 王の勺が、男の首筋を撫でる。顔を伏せたまま、勇者は口を開いた。

「シイカの言葉を広めることを誓います」

「よい。では次だ。本来であれば、二十一日間の宴でその功を労うべきだが」

 右に座していた獣の耳を持った若者が立ち上がる。王は視線を向けない。

「魔の山に悪竜が降りた。女神の信託により、朕が第一の息子が討伐に選ばれた。お前は我が子と共に旅をし、悪竜の元に届けよ」

 獣の耳を持つ若者が頷く。

「勇者よ。貴様に余の従者となる栄を与える。その身をもって尽くすがよい」

「朕が一人目の子よ。務めを果たすときだ」

「はい、この聖剣にかけて、災いからシイカを救うことを誓います」

「逝け。吉報を待つ」

 膝を突いたままの勇者は、王に頭を下げたまま背後に下がると、段を下がったところで立ち上がった。

  その横を通り抜ける歩く獣耳の王子の後ろに続き、謁見の間を後にする。王は片肘を突いてそれを見送り、騎士たちは彫像のように動かなかった。




「過去イチ、やってらんねえ」

 王子の私室だろうか。狭く落ち着いた木調の部屋の扉を閉めると、勇者は頭を掻いてあきれ顔を作った。

「悪魔退治のご褒美に、王様の手駒にしていただいて、更に次の仕事を押しつけられるってことか。光栄極まるな」

「おい、慎め。王城の中で従者がそんな口の利き方をしたら、俺の立場がないだろうが」

 勇者の肩ほどの背丈の王子が睨む。

「お、よかった。まともなしゃべり方もできるんだな。町中で余なんて名乗られたらどうしようかと思ってたところだ」

「あの口調は臣民の前のものだ。王だって普段は朕なんて言葉は使わない」

「そうか、ところで座っていいか」

「立ったままでも話ができるだろう」

「俺が座ればお前も座れるだろ」

「……それもそうだな」

 勇者は椅子に、王子はベッドに腰を下ろした。堂々と振舞いながらも、王子の耳はかすかに震えている。一方で勇者は淡々としていた。

「本当に行くのか、竜退治」

「当たり前だ。聖剣を授かり出陣すると誓った。今更おじけづくなど許されない」

「王子様は、旅の経験はどれだけだ?」

「祝典で、二度ほど王都を出たことがある」

「バウバウには乗れるのか?」

「当たり前だ。騎乗術の試験で落第したことはない」

「そうか」

「剣も使える。指南役を打ち負かしたこともある」

「なるほど」

「……俺にだって分かっている」

 王子は、額を押さえてテーブルに肘を突いた。金の髪の中から、獣の耳が垂れている。

「俺は世間知らずだ。旅などできるわけがない。だが、いかねばならない」

「わかった。出発は一ヶ月後でいいか?」

 王子が、目を見開いて顔を上げた。

「なんだよ。お前が行くって言ったんだろ」

「従者はお前だけだ。お忍びで、騎士団の援護も期待できない」

「そんな雰囲気だったな」

「報酬は約束するが、簡単な旅ではないぞ。魔の山は遠い」

「自称世間知らずよりは、地理感覚はあるつもりだ」

「呆れないのか? お前には無理だとなぜ言わない。俺が王子だからか、王命で行けと言われたからか?」

「何言ってんだよ。お前が行くって言ったんだろ。一人で行かせるのは不安だから、俺も一緒に行くことにした。それだけだ」

 勇者は表情を変えなかった。侮蔑も好奇も、冷たさもその表情にはない。

「俺はカズト。お前は?」

「リーン。シイカ第一王子の称号は呼ばなくていい。ところで、一ヶ月後というのはなんだ。すぐにでも出発したいが」

「お前を鍛える時間が必要だからだ。リーン、昼飯はまだだろ?」



 裏通り。

 高い石壁の隙間から見える空は水のように澄んだ青だというのに、照明の小瓶で照らされ暗がりの狭い道は、職人や商人風の薄汚れた出で立ちの男たちで賑わっていた。

 フードで顔を隠した二人の男が、街角の暗い店先の扉を開き、ドアベルを騒々しく鳴らす。カズトだけが顔を見せた。

「オヤジ、久しぶりだな。適当に頼む」

「お、噂の勇者さまじゃねえか。偉くなってもこんな店に来てくれるなんて嬉しいねぇ」

「俺は何も変わってない。偉そうな肩書きがついて、外で飯が食いづらくなった」

「違いねえな。そっちのお連れは?」

「新しい旅の仲間」

「へぇ」

 店主は深く詮索もせず、作り置きの惣菜を大皿に盛っていく。

「おい、なんのつもりだ」

 旅装に身を包み、正体を隠したリーンがカズトを肘で突く。

「なにって、飯だ。旅するなら食えなきゃならないだろ」

「ほらよ、お待ち」

 カズトとリーンそれぞれの前に、料理が置かれる。

 平皿にこんもりと盛られた米の上に、どろりとしたカレーがかかっている。塊肉とジャガイモとニンジンが米の山の周りに転がって、更に上にトマトの赤と炒り卵の黄色が落とされた。

「……前菜用のナイフとフォークがないようだが」

「当たり前だろ。そこから自分で取れ」

 リーンは、汚いものを見るように皿に目を落としてから、カップに立てられたくすんだ色の什器を見て頬を引きつらせた

「……わかった、食べる。毒見ととりわけを」

「リーン。ここではこの皿から、自分で食うのが礼儀だ」

 カズトの手がリーンの目の前を通り過ぎたと思うと、スプーンをつかんで食べ始める。

 口元を引きつらせていたリーンも、やがてそれにならった。一番清潔そうなスプーンを選ぶと、ライスとルーの端をほんの少しすくい上げて、五秒ほど睨み付けてから口に運んだ。

「……なんだ、悪くないじゃないか」


 場面は、宿に戻る。

「おーい、生きてるか?」

 薄暗い部屋でカズトが扉を叩く。水の流れる音がして、青白い顔をしたリーンが出てきた。

「腹の薬を持ってきた。水も飲めよ、出た分摂らないと死ぬぞ」

「わかった……」

 よろけながら歩くリーンが、ベッドサイドのテーブルに置かれた錠剤をつまみ上げ、カップの水で飲み下す。

「悪かったな、上等な店から始めたつもりだったんだが」

「上等、あれで? 女神を冒涜するような酷い料理だった!」

「食えるようにならなきゃ旅できないだろ。しばらくはいろいろ食って、腹を鍛えるぞ」

「まともな店に連れて行け! あんなものは食えない!」

「この都の外じゃ、あの店の料理は最上級だ」

 リーンが苦虫を噛んだ顔をする。

「わかった。慣れよう」

「で、リーン。軍資金はあるのか? まさか聖剣一本で旅にでるつもりじゃないだろうな」

「分かっている。これを使え」

 革細工の財布をカズトに投げるリーン。勇者は空中でそれを掴むと、逆さにした。黒とも虹色とも見える、光る硬貨が四枚、掌の上で輝いた。老人の顔の意匠の入ったそれをカズトは黙って財布に戻した後、頭を掻いてあきれ顔を作った。

「本当に文無しで旅に出るつもりだったのかよ」

「十分な額のはずだ」

「リーン。市井でつかえるのは銀貨までだ。あの店でこの王室金貨を出したとして、オヤジは釣り銭が出せない。これには店を通りごと買い占めるくらいの価値があるからな」

「それは……考えが及ばなかった」

「崩す必要があるな。旅立ちまでになにか考えるか」

 カズトとの会話の終わりを待たずして、リーンは走って扉の向こうに消えていく。

「教え甲斐があるな」

 水の音。勇者は、また頭を掻く。

 

 日の出に染まる川沿いの道。遙か遠くに王城の見えるそこを、フード姿のリーンが走っている。その足取りは弱々しく、息が続かなくなったのか、咳き込みながら止まり、膝に手を突く。

「少し休むか」

 道の先から、カズトが歩いてくる。

「俺は走れる。この砂袋さえなければ!」

 王子は背負った背嚢を地面に投げ捨てた。

「おい、生地が傷む。旅の相棒だ、大切に扱えよ」

「なんでこんなものを背負わなきゃいけないんだ!」

「そりゃ、旅の中で最後にものを言うのは逃げ足だからだ。荷物を背負って走れる必要がある」

「バウバウに運ばせればいい!」

「バウバウがいなかったらどうするんだよ」

「なら、お前が持て!」

「それだと、俺が死んだ時にお前が困る」

 顎から汗を垂らすリーンが、下を向いたまま歯を食いしばる。

「いきなり頑張りすぎるのは良くないな。甘いモンでも食って休憩するか」

「まだやれる!」

 リーンが背嚢を拾い上げ、走り出す。王子が転ぶのを、頭を掻いて勇者は見ていた。

 

 宿屋のテーブルを挟み、カズトとリーンが向かい合って座っている。テーブルの上にはナイフ、針と糸、それから瓶に入った液体とエメラルドグリーンの小石が並んでいる。

「これは?」

「六十」

「こっちは」

「九十」

「これ」

「百二十だった」

「きっちり三倍ぼられてるな」

 カズトが頭を掻くと、リーンは拳を握る。

「値札どおりだった! 間違いない!」

「そりゃ、言い値で買えばそうなるだろ」

「ギルド価格を超えた値段で売るのは違法だぞ!」

「だから、相場の三倍がギルド価格なんだよ。ま、小遣いくらいの損でよかったな」

「では、これも高すぎたのか。二百だった」

「おっと、それはいい買い物だったな。相場なら三百ってところだ」

 リーンが俯く。

「ものの値段が分からない。俺は一度だって買い物なんかしたことがない。できるようになるのか?」

「落ち込むなよ。お前は計算が速いし、数字に強い。初めてにしちゃ上出来だ」



 宿屋の窓から見える景色は、葉桜の並木の路面を白い花弁がさざ波のように舞い踊っている。水音が響いた後、ドアを開けて、青い顔のリーンが出てくる。

「薬はいるか?」

「置いておいてくれ」

「何しているんだ?」

 よろけながら机に向かうリーンの背後に、カズトが近づく。

「腹を壊した食材を書き留めている。おい、今日のモチモチしたものの材料は何だ」

「何って、あー……説明しにくいな。俺も作るところからは知らないから」

「聞いておいてくれ。旅のために、必要なことだ」

「おう」

 ノートに熱心に書き込むリーンを、カズトは見ている。

 

 朝焼けの川沿いの道で、フード姿のリーンが汗を垂らしながら走っている。

「すごいぞ、リーン。体力ついたな」

「そんな、世辞は、いらない、何も、俺は成長していない」

「いいや、お前は頑張ってる。ほら、塔を見ろよ」

 カズトが王宮を指す。

「一ヶ月前、お前がへばってた頃は、塔は山脈の西にあった。今は山脈の東にある。距離にして倍は走れるようになったってことだ」

「そうか。ならず者に襲われたときに逃げられると思うか?」

「無理だろうな」

「なら、もっと走り込む」

「おう、頑張れ頑張れ」


 露天をカズトがのぞき込み、リーンがその背後に立っている。

「オヤジ、これ七十に負けろよ」

「はぁ? 勇者さまともあろうものが相場をご存じないのか? 百二十だ」

「ふっかけすぎだろ。八十」

「百二十。緑の輝石は品薄でね、銅貨半分も負けられねえな」

「っち」

 勇者が顔をしかめると、その袖をリーンが引く。

「カズト、さっきの店に戻ろう。あそこなら少し大きいものが九十で売っていた」

「でかした。じゃ、オヤジ、邪魔したな」

「おい、待て! やっぱり七十でいい」

「五十」

「おい、魔王殺しの勇者さまが庶民の足下みるのかよ!」

「五十だ」

「赤字だ! こっちだって店で飯食ってるんだぞ!」

「縁がなかったな」

「っち、目端の利くガキがいたもんだぜ」

 苦り顔の店主から、エメラルドグリーンの小石を受け取るカズト。リーンに見せると、彼は小さく自信のある笑みを浮かべた。

 

「まあまあ、いろんな事ができるようになってきたな。そろそろ旅に出るか」

 夕暮れの帰り道、都の暗い色の建物は一足先に夜を溶かしたようだ。青と赤の混じり合う空気の中、町も人も動く影も輪郭を失っている。

「まだ、できないことがある」

「ん? なんだ」

「俺は、父王以外に謝ったことがない。立場上、謝れることは許されなかった」

「へぇ、王子様も大変だな」

「俺は世間知らずだ。人を怒らせることもあるだろう。その時はカズト、俺を殴れ」

「はぁ?」

「お前が俺を殴って、その後頭を下げろ。そうすれば怒った民の溜飲も下がるだろう」

 長身の影が、頭を掻く。

「なんで俺がお前をそんなことしなきゃならないんだよ」

「その場を収めるためだ。仕方なかろう」

「お前がやらかしたんなら、お前が反省して、お前が頭を下げろ。それでも許してもらえないってんなら、俺が一緒に逃げてやる」

「できるだろうか」

「できる。リーン、お前は自分が思うよりずっとできる奴だぜ」

 二つの影が、建物の間にかき消える。

 

 早朝、新緑の並木の町を歩くリーンとカズト。リーンが口を開く。

「設定を考えた」

「設定?」

「今回の旅はお忍びだ。民に知られるワケにはいかない。だが、勇者と俺が旅をしていては目立つだろう」

「まぁ、そうだな」

「俺は、百科事典の編纂者と名乗ることにする」

「百科事典?」

「そうだ。神殿の命で、世界のあらゆるもの、つまるは博物を記録するために旅をしている。それなら、辺境を目指す理由にもなるだろう」

「俺はその護衛って事か。悪くないな。着いたぞ」

 二人は、港近くのレンガ造りの倉庫群の前にいた。

「リーンも旅慣れた。とまで言うには少しばかり早いが、隣町くらいを目指せる程度にはなった。いよいよ旅支度だ」

「ずいぶん時間を使ってしまった。早く魔の山に行かねばならないのに」

 その巨大な建物の外には、何匹もの六つ足の騎獣が草を食んでいる。

 見上げるほどの扉の隙間をくぐると、そこは屋内商店街だった。大量の木箱がところせましと並び、反物や服、鎧や剣、鍋や輝石が取引されている。

「王都随一の卸問屋だ。ここで荷物とお前の装備を見繕う」

「うむ。悪竜にたどり着くまでの間に、聖剣を血で錆びさせるわけにはいかない。手に馴染む剣を買わねばならないな」

「あー、剣はいらない。買うのは……お、これなんて良さそうだな」

 積まれていた木箱から、カズトが手に持ったのはショベルだった。足掛けのある金属のヘッドと取手、柄は木で、量産品らしい焼き印が押されている。

「重さもちょうどいいな。お前の背にも合う」

「何の冗談だ? そんなものはいらない、俺には剣が必要だろう」

「ほら、持ってみろ」

「ふざけているのか!」

「いいから、構えてみろって」

 勇者からショベルを渡されたリーンが、戸惑った顔で正面に持つ。

「こうか」

「違う、こうだ。足を一歩前に出して、膝は少し落とせ」

 王子の背後に勇者が立ち、大きな手が細い手首を握る。ショベルの剣先を前に突き出し、肘をたたんだ腕の先の手が持手を掴むと、飛ぶ一本の弓矢のようにその道具は地面と平行を取る。

「いざとなったら、これで敵の顔面を突き刺す。正確じゃなくていい。首でも、胸でも、腹でもいい。一度相手がひるんだら、角でぶん殴って、とにかく滅多打ちにしろ」

「……野蛮な戦い方だな」

「そうだ。敵は甘くないぞ。とにかく生きることを優先しろ。負けそうなら、何もかも全部捨てて逃げちまえ」

「なぜ剣にしない」

「こいつなら穴が掘れる。木だって折れるし物だって壊せる。剣は確かに強いが、使い道が限られる。なによりこっちの方が軽くて取り回しがいい」

 しばらく剣先を見つめていたリーンは、やがて頷いく。

「わかった。歴戦の勇者であるお前がそう言うんだ。不本意だが、これを持とう」

「よし、次はマントだな。これがいいんじゃないか」

「それはマントではない。帆布だ」

「このくらい頑丈な布がいい。仕立ててもらおう」

「王子どころか、神殿の使徒とさえも名乗れないぞ」

「あー、その設定もあったな。どうするか」

 目を瞑った王子が、やがて諦めたように首を振った。

「刺繍を入れよう。シイカの紋章が入っていれば、それなりにみえるだろう。もちろん、相応の仕立屋に任せる必要があるが」

「それでいくか。すこしいいか?」

 忙しそうに働く男の一人が、カズトの上げた手に足を止めた。

「ここの商品をもらいたい。支配人を呼んでくれ」

「お客様、ご購入であれば代理店を通して頂く必要があります。当商会は個人のお客様との取引はしておりませんので」

 旅装の男二人を見下した視線で、上品な店員は慇懃に頭を下げた。リーンは顔をしかめ一歩前に出たが、カズトが頭を掻きながら腕でそれを制した。

「あぁ、そういうことじゃなくてな」

 財布から一枚、王室金貨を取り出して掲げて見せた。

「この倉庫の商品を、全部買い受ける。外のバウバウも全部だ。それから、キャラバンの触れ込みを頼む。勇者一行が、海に向かうと広めてくれ」

 王室金貨を見た店員は腰を抜かし、受け身もとれずにその場に崩れ落ちた。背後から、更に上等な装いの男が目を血走らせて転がりこんでくる。

 通された部屋に、山盛りのフルーツと焼き菓子、酒瓶が置かれ、しばし商談が行われた。

 

 帰り道、空は分厚い雲で覆われ、時刻ははっきりとしない。

「正気か?」

「何がだ?」

「倉庫をまるごと買い上げた事だ!」

「おう、正気だが」

「何を考えている!? 内密の旅だと言っただろう、キャラバンを組んで移動するなんて、愚の骨頂だ!」

「リーン、俺は勇者だぞ」

「知っている」

「勇者ってのは、つまりは運送業だ。悪魔を倒して報奨金がもらえるなんて日は一度きりだ。土地から土地へ品物を運んで、商売で生計を立ててる」

「王室金貨があるだろう。山ほどの銀貨にすれば不自由はないはずだ」

 カズトは頭を掻く。

「そうだけど、物を運ぶってのはそうじゃねえんだよな。なんて言うか」

 歩いている途中、広場に差し掛かる。女神像の見下ろす円形の土地に人だかりができていた。

「道を変えるぞ」

「何故だ? ちょうど処刑が始まるところだ、見ていけばいいだろう」

「俺は、好きじゃない」

 人々が取り囲む中央の台に、袋を被せられた粗末な服装の男が登らされた。左右の役人に押し込まれ、その首が木枠に嵌められた。人々が口を、耳に寄せ合う。

「あの人がまさかねぇ」

「禁書を持っているなんて」

「怖いわ、早くやってくれないかしら」

「女神に背くことだ。悪の死を祝わなければならんな」

「また、そうやって、あんたは酒を飲む理由にするんだから」

「いいだろう、俺たちは禁書など持たない、健全な国民なんだから」

「そうよね、そう、そうね。禁書なんて、持っているヤツが悪いのよ」

 カズトは黙って踵を返し、リーンは慌てたように後を追った。

「おい、どうした? 斬首刑などよくあることだろう」

「お前は、そう思うのかもな。俺は慣れない」

「怒っているのか? 何に」

 夕暮れ時。カズトの顔は見えない。

「なんだろうな、多分、自分の無力さってやつだろうな」

「お前は勇者だ。蝿の王を倒した。誰に恥じることもない戦士だ」

「宿に戻ろう。明日は早い」

 彼らの去る広場で、重い物が落ちる音と、水が吹き出す音がする。

 

 空をトンビが飛んでいる。リーンは振り返った。

 城壁に囲まれた都市と二本の尖塔を持つ王城が遙か後ろに見えた。麦畑の間を続く煉瓦の道を、リーンたちの騎獣を先頭に三十を超えるバウバウの荷車がゆっくりと続いている。

 飛んでいく鳥を目で追ったリーンは、日差しに目をくらませて手をかざした。

「不安か?」

「馬鹿にするな。ただ、忘れ物がないかと思っていただけだ」

「おかしなことじゃない。俺も、旅に出るときはいつもそんな感じがする」

「勇者でも?」

 リーンの隣を歩くカズトも振り返る。

「無事に戻ってこれるなんて保証はない。何かやっておけば良かったとか、誰かに会っておけば良かったとか、いつも考えてる」

「そんなものか。旅とは辛いものだな」

「だが、もう出発したんだ。このキャラバンで、町から町への渡り鳥だ。これから楽しみを考えよう」

 リーンが、途方に暮れた幼子の表情を浮かべた。

「わからない。俺は、王都を出たことがないから。楽しみとは何だ? 辛い旅に、何が待っているんだ」

「見たことのない景色、会ったことのない人、食ったことのない飯に、命を失うかも知れない危険」

「とても、いいものとは思えないが」

「そうか? なら、こう言い換えるのはどうだ」

 カズトが、初めて笑みを浮かべる。

「今から始まるのは、冒険ってヤツだ。わくわくしといた方が得だぞ、リーン」

 遙か遠くの王城と太陽を背に、勇者と王子は遥かな地平を目指して旅立つ。

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