外に出たい、外に出たい、外に出たい

鱒田亜米薯

第1話

 ガキの頃からずっと思ってたんだ、あたしさ……


外に出たい、外に出たい、外に出たいって。


島を出て外へ行きたい。


本土へ行きたいって、昔からずっと思ってた。



 本土に行って、東京とか京都とか、写真でしか見たことなかったような場所に住んで……


街の学校行って、街の友達作って、スタバとか行って。


あわよくば街のカッコいい彼氏とつきあったり。


そんな生活にずっと憧れてた。



 だってさ、うちの島ってすっごく狭いし、人も全然いないし、娯楽施設なんか全然ないんだよ?


近頃流行りのショーシカってやつのせいで、ガキの数は少ない。


ましてやカッコいい男なんか全然いないの。


みんな筋肉ムキムキのムサいヤツばっか。


あたしが通ってた小中学校なんかさ……


生徒数が全学年合わせて、15人くらいしかいなかったんだ、信じられないでしょ?


高校と大学はないから、進学したきゃ外に出るしかない。


だけど金がない子は進学できずに、中学卒業したらすぐ就職。


それで、20代くらいになったら手近なやつと結婚して、そうして子供を作るの。


うちの母親なんかまさにそのルートで……


21のとき、親父とデキ婚してさ、それであたしと姉貴、兄貴を産んだらしい。


金ないくせに子供3人も作りやがってさ。


もうちょっと計画性もてっつうの。



 子供が3人もいるせいなのか、あたしの家は結構ヒンキュウしてた。


働き手は親父しかいないし、母親が内職してどうにかやってけるレベル。


大学へ行った兄貴はもう6年も戻ってこない。


リューネンしてるのかもしれないし、島に戻ってくるのが嫌なのかもしれない。


姉貴は専門学校とかいうところで、何だか変なことを勉強している。



 だから、あのころ母親によく言われたのは……


うちには子供を3人も外に進学させる金なんかないって。


あんたも高校までは行かせてあげるけど、だけど卒業したらすぐ働きなさいって。


それで良い男見つけろって……



 だけどあたしはイヤだった。


島の中に一生閉じ込められて、テキトーな男と付き合ってテキトーに子供産んで、テキトーに生きていくなんて……


そんなの絶対イヤだったんだ。


せっかくの人生をそんな平坦なもんにしたくないし、もっと面白い生き方をしたい。


だいたいさ、中近代とか戦前ならともかく……今って21世紀でしょ?


なのに、なんで島の男なんかと結婚しなきゃいけないのよ。


高校に上がったらバイトして、金貯めて絶対出てってやるんだって……


密かにそう誓ってたんだ。


きっと反対されるだろうけど知ったことじゃないってね。


兄貴や姉貴は自由に生きてるのに、あたしだけダメなんて不公平でしょーつって。



 ……で、そんな野望を抱いて暮らしてたあの夏。


中学校2年の夏。


その夏、あたしは出会ってしまった。


海の上に浮かんでいた、例のあれに。


それから何もかも変わっちゃった。


これまで送ってた平坦な人生が、何もかも。



 ……えっと、どこから話そうかな?


えっとね……まず……


あの日は確か、すごく暑かった。


そう、すっごく暑かったんだよ、もうさ、燃えてんじゃねえのってくらい。


ただでさえ、うちの島って暑いのにね。


40度くらいあったんじゃないかな……?


いや、そこまでではないか。


あの日あたしは普段通り、朝5時に起きた。


起きてからすぐ、毎朝やってる、牛乳配達のバイトに向かったんだ……


……牛乳配達のバイトだって。


昔みたいだよね。


顔見知りの牛乳屋がいてさ、雇ってもらってたんだ。


もちろん、それも東京へ行く資金捻出の一環でね。


本土だと牛乳ってスーパーで買うもんでしょ?


でも、あの島は牛いるから、自給自足できたんだよね、牛乳。



 で、バイトが終わったら家に帰ってきて、朝飯を食べて、ハミガキして……


それから部屋へ戻って、制服に着替えたんだけど。


……ちょうど着替えてる最中だった。


そう、着替えてる最中。


今考えるとさ、ほんと常識ないよねって思うんだけど……


ほんとにあれは今考えてもムカつくんだけどね。



 あたしが着替えていたら、突然!


部屋の窓が、きしみながら開いたんだ。


窓が開いて、カーテンの中から、よく見知った顔が飛び込んできたの。


坊主頭で、黒い彫刻みたいに焼けた肌……


体はデカくて筋骨隆々としていて……


ちょうど、あの、仁王像、ってあるでしょ?あれみたいな身体。


幼馴染の儀間達男ってヤツなんだけど。


そいつが無遠慮にも入り込んできたんだ。


あたしが着替えてる最中に、だよ。


デリカシーなさすぎだよね。



 入り込んできてすぐ、あいつは顔を真っ赤にして怒鳴った。


えっと、なんて言ってたっけ?


確かこんな感じ。


「おまっ、お前、なんて格好してんだよ!?」


 っていうから、あたしも言ってやった。


「はあ?あたしは制服に着替えてるだけですけど?ノックもせずにいきなり入ってこないでくれる?変態かお前は」


「知らなかったんだよ、着替えてるって」


「カーテン閉まってんだし察しつくでしょ、そんくらい。バカなのあんた?……いや、まあバカではあるか」


「お前にバカって言われたくねえよ……いや、それどころじゃない。こんな話してる場合じゃねえんだ。それよか、やべえことになってんだよ、外」


「やべえこと?」


「ああ、港の方でさ……」


 達男は漁師の息子で、ガキのくせに漁の手伝いとかしてたんだよね、朝早くから。


「……どうせまた漁師の間でケンカがあったとか、そんな話でしょ?懲りないよね、あの人たちって……血気盛んっていうか」


「そんなんじゃねえよ、そんな生やさしい程度の問題じゃねえ」


「じゃあどんな程度の問題だってのよ」


「……説明のしようがねえけど」


「はあ?何それ。これだから言語能力の低いバカはさ……」


「うっせえな、とにかく来いよ、来りゃわかるから」


「……行くよ。行くけどさあ、その前にまず、一旦出てってくれない?いつまでも人の着替え見てんじゃねえっつうの」


「……幼馴染なんだからカンケーねーだろ、別に……お前の体なんか興味ねえよ」


「アンタが興味なくてもあたしはムカつくから。ほら、さっさと出てけ」


「言われなくても出てくよ」


 達男はようやく出ていった。


あいつを追い払って……


それからあたしは、ムカつきつつも着替えた。


達男が言う「やばいこと」っていうのがなんなのか。


それが何なのか気になったけど……


あのときは、どっちかっつうと着替え見られたことの方に腹が立ったかな。


恥ずかしいとはあんまり思わなくてさムカついたんだよね。


お互いの裸なんてガキの頃に何回も見たことあるから、別に恥ずかしくはない。


だけどなんというか、やっぱりこの年にもなると、ちょっとね……


まあそれは置いておいて、とにかくあたしは着替え終わって、窓から外に出た。



 外に出ると、達男は道に立って、あたしを見上げていた。


あたしは屋根つたいに歩いたあと……


勢いよく道へ飛び降りる。


昔から、よくこうやって互いの家を行き来してたんだ。


家が隣同士だから……


わざわざドアから出入りするよりこっちの方が手軽なんだよね。


それから達男は言った。


「やっと着替えてきたのか。おせえんだよお前」


「遅くないって、フツーでしょ、別に。っていうかあんたさ、謝ったらどうなの?さっきの、あたしに対する無礼を」


「無礼って……別にどうでもいいだろ、あんなの、別に気にしてねえだろお前だって」


「どうでもよくないって。あれだよ、人の着替え覗くってダメなんだよ?プライバシーの侵害だよ」


「覗いてねえよ。つうか、お前の身体なんて別に見飽きてるしな……ありがたみがねえよ」


「そういう問題じゃないでしょ。何?ありがたみって。……まあいいや。さ、ほら行くよ、さっさと。その、やべえこと?が起こってる場所に」


「わ……わかってるよ。ついてこい」



 ついてこい、だってさ……


達男がナマイキなので、余計に腹が立って……


だけど、あたしに文句を言う隙も与えず、達男はいきなり駆け出していって。


だから仕方ないんで後を追いかけた。



 全速力で走ってるつもりなのに、達男には全然追いつけなくて……


それどころか、どんどん引き離されていく。


追いつこうとすればするほど、あたしたちは離れていく。


しばらく走ったところで、あいつは突然ペースを落として……


こっちを振り返って「おい、おせーよお前」って叫んだ。


あんたが速いだけだろーって、そう言い返してやりたかったけど、そんな余裕さえなくて……


昔は……ガキの頃は、あたしの方が足速かったのに。


達男なんて、いつもあたしの後ろをついてくるだけで……


なのに、いつの間にか達男の方が速くなって、身体もデカくなって、身長も高くなって。


なんだか……


……っていうのがさ、なんとなく悔しくて、あたしはイライラしてしょうがなかった。


あのころ、あたしはイライラしてばっかりだった。


なんというか、自分がどんどん弱くなっていくような気がして、無性にイライラしていた。



 そんなふうにしてあたしたちは道を駆け抜けて……


斜面を下って、林を抜けて……


そうして、やっとの思いで港について。



 ……港って言っても、狭い島のことだから大した港じゃないんだよね。


まあ船着場程度のもんかな。


その港は……


やけに人で溢れていた。


野次馬みたいな人たちでごった返して……


ごった返す……とはいえ、まあ都会の喧騒なんかに比べたら全然大したことないけど。


「こっちだ」


 達男はそう言って……


いきなり、あたしの手を握った。


で、あたしはびっくりして思わず払い除ける。


「はあ!?何握ってんの、気安く触んなバカ」つって。


「いや、俺は、はぐれないようにって……」


「はぐれるわけないでしょ、ガキじゃないんだから」


「なら構わねえけど……」


「あんたさ、なんだと思ってんの、あたしを?ナメてんでしょ」


「ナメてねえよ」


「ナメてるじゃん。バカにしてんでしょ」


「んだよ、何キレてんだよ、悪かったって……ほら、行くぞ」


「……わかった」


言い争っても仕方ないんで、あたしは達男に連れられるまま、人波をかき分けて。



 そうしてたどり着いた漁船の近くには、漁師たちが数人で屯っていた。


この島の主要産業を一手に担う漁師たちが。


そのなかには若いのもいれば、まあまあ歳食ってるのもいるけど……


みんなに共通してるのは、誰も彼も仁王像みたいな身体ってこと。


ズボンは履いてるけど、上半身は剥き出しで……


海水に肌が濡れて、金属みたいに黒光っている。


達男はデカい声でそいつらに言った。


「戻りました」


あんまりにも声がデカいんで、隣にいたあたしはちょっとびっくりした……


「おっ、戻ったか、達男……お前、どこ行ってたかと思えば……」


 漁師たちはあたしに不躾な目線を向けて、馴れ馴れしい口調で話しかけてくる。


「よう、達男のツレ。久しぶりだな」


 あたしは言い返してやった。


「だからツレじゃないって、あたし。で、何よ、何があったの?港で」


「まあそう焦るなって。おい、また胸デカくなったんじゃねえのか、お前?」


「はあ?知らないよ、んなの」


「胸だけじゃねえ、尻もだ。この調子だと、成人するくらいには良い身体になってんだろうな、はははははは」


って、ガサツな笑い声を上げる。


うちの島にいる漁師ってこんなんばっかりなんだ。


みんな血気盛んだし、なんだか色々有り余ってるらしくて……


悪い人たちじゃないんだろうけど、そういうとこはあんまり好きじゃなかった。


 隣にいた達男が小声で謝ってくる。


「ごめんな、御崎」つって。


「はあ?別に気にしてないけど」って言ってやった。


実際、こういうのにはもう慣れてたから。


あの島ってさ、価値観が古いのか知らないけど、結構セクハラしてくる男多かったから……


まあ男なんてこんなもんなんだな、と思って半分諦めてたけど。


「で、それはどうでもいいけどさ、なにがあったの?港で」


「港っつうかな……海の中がおかしいんだよ」


「海の中?」


「ああ。どこから説明すりゃいいのか……まず、魚が全然獲れねえんだ、今日。一匹もだ。岩場にくっついてる貝とか蟹も全然いねえ」


「えっ、それ、かなりやばいじゃん。なんでそんなことに」


「それがわかっちゃ苦労しねえんだよ。でさ、何より変なのは……」


そう言って漁師の一人が、水面を指差した。


「あれ、だ」


 あたしは指の指す方を見やる。



 ……海岸から25メートルほど先だろうか。


そこには、船があった。


異様な船があった。


大きくて、船体は真っ赤に塗り固められて、いくつもの帆が突き立っている船があった。


その帆は破れて折れて、見るも無惨なくらいに千切れ千切れで……


そうして、帆にも船にも、何かの模様が描かれている。


螺旋みたいな、よくわからない模様……


黒と赤の絵の具で描かれたような、原始的な模様。


こんな船、それまでには見たこともない。


二日に一回ある本土からの定期便とか、たまにくるチャーター船なんかとは全然別物。


なんというか……


教科書で見たような、古臭い昔の船……


それよりもっと異質で、異様だ。


まるで未開人が来航でもしたんじゃないかと思ってしまうような……


そうして。


「船の上……」


 船の上に。


あたしは、やがて気づいてしまった……


船の一番高い帆に、何かが吊り下げられている。


小さい塊のように揺れる何かが……


真っ赤で、長くて、まるで……


……人の死体、みたいなもの。


……船の上だけじゃない。


船の中から……


人の手。


足。


首……


上半身。


下半身。


いくつも船体からはみ出している。


そいつらは、どれもみんな真っ赤で……


だらりとして……


そうして、動きもしない。


少しも動きはしない。


その身体たちは、少しも動きはしなかった。


ただの、塊みたいに。


ただ、波の揺れに合わせて、船と一緒に揺れ動くだけ。


人形?


それとも。


そう思っていたとき、達男が、囁くような声で言った。


「あれ、みんな死体だよ。船の中、いっぱい、死体だ」


死体。


「朝からあそこにあったんだ……俺たちが朝、港に来たら、もうあそこにあったんだ。たくさんの死体を載せて」


こんなことが、あるものだろうか?


あまりにも想像を絶してたんで、あたしはしばらく、何も言えなかった。


達男に返事をしてやれなかった。


あたしだって、こんな光景、信じがたい。


しばらくあたしたちは、呆然と立ち尽くしていた。


何もせず、ただ茫然と……


海の向こうから、微かに漂ってくる腐敗臭……きっとその船から漂ってきた……


それがあたし達の鼻腔へ確かに届いていて、あたし達の目も、確かに船を見つめていて。


現実味が、それなのに、現実味が全く。


……どれくらい、茫然としていたかな。


突然。


船の中から、誰かが現れた。


人影が。


生きている人。


船の中の誰かが、へ先に登り始めた……


みんな驚いたけど、でも何も言わずにただ見守っているだけ。


……そいつは、延々とジタバタしているようだったけど……


……やがて、完全に舳先へ立って……


そうして姿を現した。


その姿を見た瞬間あたしたちは、絶句した。


……それは、異形だった。


まるで人間には見えない、異形の何かだった。


顔なんてどこに着いているのかわからなくて、身体全体が捩れていて、白子みたいに真っ白くて、服なんか着ていなくて、そうして、悪寒でも覚えたかのように震えている。


それはただ震えていた。


何もせず、何も言わずにただ震える。


震えて……


震えて……


それから突然、海の中に落ちた。


大きな音を立てて……


波の中へ消えていった。



……それが、出会いだったんだよね。


あの奇妙な出会い。


中学2年の時、あたしが出会ってしまった、あいつ……


こんな話、信じないかもしれないけど、確かにあたしは出会ったんだ。


それから、あたしたちの島は……


あたしの毎日は、全然別物になってしまった。

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外に出たい、外に出たい、外に出たい 鱒田亜米薯 @Hanthats

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