第3話 いつもの「店員さん」と「モンブランさん」
しとしとと、焦ったい雨が降っていた。またこいつの出番か、と思いながら花柄の傘を咲かせて学舎の前から離れる、午後14時半すぎ。
大学生活も慣れてきたゴールデンウィーク明けは、一年生の出席率が低くなるという噂を聞いていたけれど、どうやら本当だったらしい。現に、今日の京子の様子が物語っている。
大学まで電車で30分ちょっと。家に帰ったら、何をしよう。今日はバイトがないし、課題もゴールデンウィーク明けで特にないし。
大学敷地内の坂を下って、正門が見えてきた時、不意に顔を覗かせてくるのは、小さな個人経営のカフェ。
「モンブランでも、食べよっかな。」
ぼそっと独り言をこぼしても、雨の音にかき消されて誰も気が付かないから、そういう面では雨の日というものは都合がいい。
私の大学生活の楽しみの一つである、あのカフェ。アンティーク調の室内に、少しゆったりとしたジャズミュージックに、優しい笑みをこぼしたいつもの店員さんに、いつもの美味しいモンブラン。
「こんにちは〜」
カランコロンと、鈴の音をさせて木製の扉を開けると、「いらっしゃいませ」と聞き慣れた声が聞こえた。
「あ、モンブランさん。お久しぶりですね。」
木のプレートを脇に抱えた、私より頭一個分身長が高いエプロン姿の男性が、ふわりと微笑んでいた。
私が初めて通い始めたのが4月の中旬。それから1週間に2回、モンブランを食べにいくようになると、「モンブランさん」と顔を覚えてもらえた。
「お久しぶりです。ちょっと、モンブラン食べたくなっちゃって。」
「かしこまりました。こちらのお席でお待ちくださいね。」
そう言って、いつもの、一番カウンターに近い席に座って、モンブランを待つのだ。
ゆったりとした口調。まるでカフェラテのような人だな、と思う。焦茶で、猫っけで、ぴょんぴょんとあまりセットされていない髪の毛が、この自然体のカフェによく似合っている。
「ゴールデンウィークはどうでした?」
ショーウィンドウに飾られていたモンブランを取り出しながら、彼はそう尋ねる。
この人の名前は知らない。年齢も、バイトなのか店長なのかもわからない。ただ決まって、月曜日と水曜日のこの時間にいる、若い男の人ということくらいしかわからないけれど、逆にそれが、日々のモヤモヤを話せるちょうどいい相手なのかもしれない。
「それが、高校時代から付き合っていた彼氏と別れたんですよね〜」
「え!?そうなんですか。それは、結構きついですよね。」
驚いたように振り返った彼は、目をまんまるくしている。いつもの猫目が、少し和らいで見える。
「きつい、ですねぇ。だから、ここのモンブラン食べて元気出そうかなって!」
「そうですね、傷心中にはやはり甘いもの食べて元気になってもらいたいものですね。」
どうぞ、と微笑んで出されたモンブランに、思わず目を輝かせてしまう。
しっとりとした栗色のペーストが、綺麗な渦巻きを成していて、その中央に艶やかな栗がちょこんと乗っている。いつものモンブランだ。
「いただきます」と手を合わせて、フォークで掬い取って口へ運ぶ。瞬間に、口いっぱいに栗の甘みが広がって、重たくもなく軽くもないクリームで幸せが増していく。
「どうでしょう?久しぶりのモンブランは?」
「めちゃくちゃ美味しいです!!昨日の嫌なこと、全部忘れられそうなくらいです!」
カウンター越しにそういうと、彼は「よかったです」とにこやかに返事をする。
その和やかな笑顔に、甘く柔らかいモンブランに、なぜだか泣きたくなった。目頭が急に熱くなるのだ。おかしいほどに。
「モンブランさん?」
「あ、えっと、なんか昨日、振られちゃったんですよね。私的にいっぱい愛してたつもりだったんですけど、それが相手には重たかったらしくって。友達にも、お世話好きで尽くしたがりだから、『都合のいい女』になっちゃうんだよって心配されちゃって、でも私の中では愛すってこういうことだしなぁとか思っちゃったりして」
気がついた時には、口がかなりの速さで回っていた。前を見ると、カウンターで洗い物をしていた彼が手の動きを止めて、こちらを見つめている。
「って、ごめんなさい、かなり話しすぎちゃいましたね!」
慌ててモンブランを頬張る。甘みが重複されて、1人で勝手に恥ずかしくなった。
私の根本の悩み。昨日の彼にとどまらず、高校1年生のときも、中学生のときも、気がつけば浮気や「都合のいい女」化してしまうという悩みだ。
ただ普通に愛しているだけなのに、なぜいつもこのようなことになってしまうのか、きっと誰も理解はしてくれないんだろうな、と思いながらも愚痴ってしまった。しかも、ただの行きつけのカフェの店員に。
慌てふためき、セミロングの髪を見て、もうちょい長かったら顔全体を覆い隠したのに、とかおかしなことを考えている合間に、店員さんの和やかな声が降ってくる。
「モンブランさんの気持ち、わかりますよ。僕だって、愛するってそういうことだと思います。」
猫目が、うっすらと細くなって、口角は穏やかに緩んでいた。あまりにも温かい言葉に、ほんの少しだけ涙が流れたのは秘密。
雨降りモンブラン 安曇桃花 @azumi_touka
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