あの桜の木が満開になる頃に。

御小鼬

二人と一本

あの大きな大きな木は、僕ら二人が大好きな桜の木。


このベッドに横になったままでも、目線の先にある窓から少し遠くにあるはずの大樹の梢が見える。僕を覗いているかのように。


(花開くのは少し先か……見たかったな)


とっても大きくて、神秘的な桜の木。窓枠が額縁となり、たいそう高尚な名画に見える。花が咲くにはまだ早い。けれど、何百何千という枝を天に広げるその姿には、言葉を失わせるような気高さがある。


「なんか神秘的だな。実は神様だったりして」

「ねぇ、桜木様さくらぎさまって呼ぶのはどう??」

彼女がいたずらっぽく笑ってそう名付けて以来、僕らにとってあの木は特別な存在になった。


彼女に想いを伝え友達から先に進んだ時も、意地を張って大喧嘩した後の仲直りも、いつもあの樹皮の香りに包まれながらだった。


僕ら二人は、桜木様のまわりを掃除して綺麗にするのが日課だったりする。


休日の夕方、散歩がてらに掃除したりした。


「よし、今日も綺麗になりました♪」

「良い感じだね」

僕らが優しく幹に触ると、カサカサっと無数の枝を揺らして喜んでいるように見えた。僕らを見守ってくれる可愛げのある神様。いつしかそんな風に感じるようになっていた。


それに昔、祖母が言っていた〈植物には神様が宿ってたりするのよ。愛をもって接すれば、心を通わせられるのよ〉と。桜木様と出会ってから、それがなんか分かった気がする。


動物だけじゃなく植物も与えられた愛の分だけ、愛をくれるらしい。


そんな桜木様が立っている場所は、ちょうど最寄りの中学校の通学路。部活帰りの学生達にイタズラをされることも多々あったが、その場面に遭遇した時には本気で叱ったものだった。


桜木様のてんぐ巣病が分かった時には、調べに調べて処置を尽くした。


それくらい僕たちには大切な桜の木。


ここ何年かの花見シーズンには、満開に咲く桜木様の前で語り合うのがルーティンだった。


でも、今年は出来そうに、ない……






.*✿.*✿.*✿


まさか病室の窓から桜木様を眺める日が来るとは思わなかったな。


それに、もう明日に手術が迫っている。正直、厳しい手術になると、自分の体調からも分かっていた。


「大丈夫、きっとうまくいく!気持ちだよ!」

彼女は少し潤んだ瞳で僕を勇気づけた。今にも泣きそうな顔をしているのだが、必死にこらえているようだった。


「だよな!」

そんな優しさに応えるべく精一杯の笑顔を浮かべた。(今まで、支えてくれてありがとう)喉元まで出かかった言葉を、無理やり飲み込む。泣きそうになるから。彼女の気遣いを無駄にしたくなかった。


看護師さんの姿が。時計を見ると、面会時間のタイムリミットが来てしまっていた。


「帰りたくないけど、帰らなきゃ……」

〈気持ちで負けるな!絶対に!〉と最後まで励まして帰っていった。


窓から彼女の姿が小さく見えた。彼女の後ろ姿と、少し先に見える桜木様を視界に収めながら(来年は――)と一人弱気になる。


これが術前に会えるとなった。


……


静寂が襲いかかる。


病室に僕らしかいなかったから、彼女はずっと喋っていた。なんでそんなに話題が尽きないのか、と思うほどに。


僕も思い残すことがないようにずっと話を聞いていた。この彼女のひまわりのような明るさを目に焼き付けるように。温かさに包み込まれるように。


寝返りを打つと、ベッドが弱々しく軋む音がする。


――彼女がいなくなった病室は、とたんに静けさが漂い、少しずつ暗く、冷たくなっていった。


あれから少しばかり時間が経った。


「これが最期なのかな……」

もうすっかり水分の残っていない枯れた声で、ぼそりと独り言。






ヽ`、ヽ`ヽ、`ヽ、


私は病院を出て、気がつけばこの場所にいた。視界はぼやけ、街灯の灯りが滲んでゆく。けれど、夜闇の中に立つ桜木様のシルエットだけは、驚くほど鮮明で、神々しかった。


(桜木様、お願い!)


その姿を見て思わずすがるように願った。さっきから漏れ出てきていた涙が、ダムが決壊したかのように溢れた。そのまま私はがっしりとした幹にもたれながら崩れた。


ザァアアア――


それまで風など吹いていなかったのに、突風が吹いたかのように、桜木様は巨躯を揺らした。


それは、大きく頷いているようにも見えた。


この年、桜木様は満開になることもなく、あっという間に花びらを地に散らした。それどころか幹をはじめ、みるみるうちに白くなっていった。


その痛ましい姿は、側を行き交う人々が足を止め、一様に心配するほどだった。






❀.*・゚❀.*・゚❀.*・゚


もうあれから一年と少しが過ぎた。


「また二人で――本当によかった」

しみじみと彼女はつぶやき、潤んだ瞳を向けて、まだ少しふらつく僕を(大丈夫?)と気遣ってくれた。


「うん、じゅりい。い、いつも支えてくれてありがとう!」

繋いでいる手に少し力を入れた。


例年よりもずっと遅咲きながら、今まさに満開に咲く桜木様の前に、僕らは立っていた。


術後、意識を取り戻した後に聞いた。桜木様に無事を願ってくれたこと。


そして、あの後の桜木様の様子を。


驚くほど手術がうまくいったことや、その後の順調な回復も、彼女の願いを聞いた桜木様が助けてくれたのかもしれないと思った。


「桜木様もずっと心配してくれていたのかもね」

そう言うと彼女は、桜木様に視線を戻した。


「桜木様、奇跡をありがとうございます!」

僕らは繋いでいない方の手を、それぞれゴツゴツとした幹にそっと添えた。乾いた樹皮の奥から、ドクンドクンと脈打つような、力強い生命の温かさを感じた。


「また来年も、その先も。一緒にお花見をしようね」

彼女はニコッと笑った。


僕も人生で一番の笑顔で返した。


サァアアア――


突然、柔らかな風が吹き、桜木様は満開に咲くその体を揺らす。


優しく揺れるその姿は、まるで一緒に笑っているように見えた。僕たちと幸せを分かち合うように。

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