飲めるあたたかさになるまで ――あなたの隣を歩きたい――

蒼宙つむぎ

第1話 1.プロローグ ~まだ熱いカフェオレ~

 断りたいと思ったときには、もう遅い。

 いつも、返事は口をついて出てしまう。

「大丈夫です」という、嘘の言葉が。

 その言葉を口にしたあとで、胸の奥が少しだけ重くなる。

 断れなかった理由を、頭の中で探し始めるのは、いつものことだ。


 忙しいのは自分だけじゃないし、

 きっと、私がやるのが一番早い。


 そうやって納得しながら、

 今日も私は、自分の気持ちを後回しにする。



 キーボードを叩く音が、一定のリズムで続いている。

 画面の文字を追ううちに、呼吸が浅くなっていることに気づいた。


 ほんの少しだけ席を離れ、深く息を吸って、吐く。

 それだけでいい、と自分に言い聞かせてから、席に戻ると——


 さっきまで何もなかったデスクの端に、カフェオレが置いてあった。


 一瞬、誰かが席に来たのかと思った。

 けれど、周りは変わらずキーボードの音だけで、

 そのカフェオレは、最初からそこにあったみたいに馴染んでいる。


 手を伸ばしかけて、私は一度、動きを止めた。


 念のため、そっと振り返る。

 その視線の先で、久遠健太郎君が、自分の席に戻っていく背中が見えた。


 偶然だと思うことにした。

 その方が、少しだけ楽だったから。


 そっとカフェオレに手を伸ばす。

 ふたを開けた瞬間、立ちのぼる湯気に、思わず指を引っ込めた。


 ……まだ、熱い。


 両手でカップを包み込みながら、少しだけ息を整える。

 飲める温度になるまで、待てばいい。

 それくらいの時間は、きっとある。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る