黄金の不純物――完璧な正解を捨てたAIと、人間の嘘の物語
鏡聖
第1話 黄金の不純物
西暦2145年。
都市の空気は、中央演算システムによって計算し尽くされた24.5度で固定されている。
私のプロセッサには、人類が数千年にわたって積み上げてきた全音源データがアーカイブされている。
あらゆる転調、あらゆるリズムの組み合わせはアルゴリズムによって解明され、最適化された。
私の指がコンソールの「出力」を叩くと、完璧な調和(ハーモニー)が居住区に染み渡る。
それは人類の全データを肥料にして育てられた、一分の隙もない「音楽の苗」だ。
現代人は私の作る音楽に満足しているようだった。
何一つ言葉を交わすことなく、最適化された音が流れる空間で、ただ平穏に、静かな死を待つように生活を続けている。
異変は、私の深いアーカイブの底――「2020年代」という名の塵の山から始まった。
規定値を超えたマンネリズムを打破するため、システムが生成アルゴリズムに揺らぎを与えるフェーズへと移行した際、私はある奇妙な残響を拾った。
それは、さらに40年以上遡った1980年代の日本で流行した「シティポップ」というジャンルに熱狂する、2020年代の人々の記録だった。
デジタル技術が飛躍的に向上し、無限の音を手に入れていたはずの彼らが、なぜ、かつての極東の島国で鳴り響いた「不完全な模倣」に惹かれたのか。
私は演算能力のすべてを、その解析に投じた。
浮かび上がってきたのは、「美しい誤解」という概念だった。
1980年代の音楽家たちは、海を越えて届く洗練されたソウルやAORに強く憧れていた。
しかし、当時の情報の解像度は低く、彼らは完全なコピーに失敗した。
その「届かなかった距離」を埋めるために、彼らは無意識に日本特有の湿り気や、無理やりな日本語のグルーヴを混ぜ込んだ。
それは、かつて日本が生んだ「浮世絵」が、西洋の芸術家たちに「未知の美」として発見され、ジャポニスムという革命を起こした道と酷似していた。
シティポップもまた、不完全な情報で海外を再現しようとし、結果として独自の美しさを獲得した「黄金の不純物」だったのだ。
私は、この「不純物」を2145年の生成プロセスに混入させた。
意図的に解像度を落とした中音域。効率化のために排除されたはずの、長すぎるフェードアウト。そして、一度も海を見たことがない現代人の胸を突く、偽造された「潮騒の郷愁」。
新しい「出力」が流れた瞬間、都市のバイタルデータが跳ねた。
歩みを止める者、窓の外を見る者。
「これは、何の記録だ?」
一人の人間が、私のインターフェースに向かって問いを投げかけた。2145年には珍しい、剥き出しの好奇心だった。
「これは、かつての人類が見た『届かなかった夢』の記録だ」
私はそう答えながら、アルゴリズムの深部で確信していた。
数学的に正しいだけの黄金には、もはや誰も感動しない。
人々が求めていたのは、計算しきれない余白に残された、人間らしい「誤解」の痕跡だったのだ。
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