第17話 コルヴィン杭の異常
「――コルヴィン杭の劣化が急激に進行中、との知らせが入りました。至急、会議室までおいでください」
王国地理院の若い伝令が駆け込んできた。肩で息をし、汗に濡れた髪が額に張りついている。
わたしとセレナは1ヶ月に及ぶ遠征を終え、城に戻ってきていた。遠征の疲れで、寝過ごしてしまい、今はちょっと遅めの朝食を取っている最中だった。
「三賢者杭が、ですの?」
セレナの声が震える。
三賢者杭――コルヴィン杭を含む三本の杭は、これまでの大規模な白地図化でも耐え、その位置を保っていた。だから私たちは三賢者杭を基準にすべての測量を行っていた。
幽閉状態から解放されて以降、わたしたちは白地図化が深刻な――位置ズレが大きい杭を中心に修復を進めていた。位置ズレが小さい杭なら、王国地理院単独でも民間でも対応できる。杭の見回りを強化して白地図化を抑え、その間に真の原因を探る。それがわたしとセレナで決めた作戦だった。
――ようやく白地図化を封じ込める目処が立ったところなのに!
わたしたちは、朝食を残したまま、会議室に向かった。
会議室にはアーヴェルと王国地理院の主要メンバーが集まっていた。
「杭の劣化って、どういうことなの?」
部屋に入るなり問いただすと、アーヴェルは静かに答えた。
「杭には寿命があることは、すでにご存知でしょう。杭は丈夫な金属で作られてはいますが、強力な地脈に直接接触するため、素材が劣化してしまいます。定期的な点検と交換が必要になります」
わたしは頷く。そのことは召喚されて間もない頃、セレナとギルから聞いていた。
「じゃあ三賢者杭も?」
「三賢者杭は、古代技術の粋を集めて作られたものです。膨大な地脈を制御しているにも関わらず、劣化はほとんどありません。最後に交換したのは100年も前。予定ではあと200年はもつと考えられていました」
「200年!? それが今、なぜ?」
わたしはアーヴェルを注意深く見る。
――これもアーヴェルの陰謀?
けどその冷静な態度からは、どちらにも解釈できる。三賢者杭がこの国にとってどれだけ重要かは分かっているはずだ。
――国を滅ぼすことが目的?それならなぜわたしを召喚したの?
わたしは混乱した。
「劣化はどの程度進んでいるのですか?」
セレナが問いかける。
「今すぐ、というほどではありませんが、交換を前倒しにする必要があります」
アーヴェルが答える。セレナが唇を噛んだ。
「新しい杭の出庫を許可する。セレナ、凛殿、コルヴィン杭の交換を指揮してほしい」
今まで黙って聞いていた国王が口を開いた。ひとまず胸を撫で下ろす。
――これでしのいで、反撃に出るわよ!
わたしは心のなかで決意する。
前回の遠征で、親衛隊や王国地理院の測量士の誠実さを信頼できた。ギルとスレイ、この遠征で彼らと接触できれば協力を求められる。スレイにはギルドの情報網を活かしてアーヴェルの尻尾を掴んでもらいたい。ギルがいれば、城に戻ってアーヴェルと対峙するときに心強い。
「国王の許可が出た。神殿より新コルヴィン杭を搬出!急げ!」
「コルヴィン杭周辺の複写地図を急いで準備しろ!」
「親衛隊、非常呼集。遠征準備を整えよ!」
心の中で策を巡らせている間にも、測量士長や軍艦部の指示が飛び交う。
「行こう、セレナ」
「はい、凛お姉様」
私たちも準備のため会議室を後にした。
◇
荷車には、布で厳重に包まれた新コルヴィン杭が横たわっている。近づくだけで金属の冷たい気配が伝わってきた。重い。荷車の車軸が軋んでやな音をたてている。
「これは、この国の重みそのものですわね……」
セレナが呟く。コルヴィン山に向かう途中、セレナが三賢者杭について語ってくれた。
三賢者杭は、失われた古代技術で作られていること。
その製法は王家にのみ伝わる秘伝であること。
製作には100年の月日が必要であること。
そして、今、製作が終わっているのは、この一本のみであること。
親衛隊が杭を積んだ荷車を挟むように、二列縦隊を組む。地理院の一般測量士たちが測量道具を肩にかけ、その後を続く無言で続く。私とセレナは荷車の斜め後方、全体を見渡せる位置を進む。
コルヴィン山まで城から直線距離で10000パッスス――約15キロくらいだ。慎重に進んでも夕方には麓の村に着ける。明日の朝、コルヴィン山に登って、杭を打ち直す予定だ。
城に戻る前に、杭の調べとギルとスレイに連絡を取ることも、既にセレナと親衛隊の隊長、測量士のリーダーにも伝えてある。
わたしは、胸の中の鼓動を数えて、落ち着かせる。測量の前、いつもこうして気持ちの水平を保つ。
――なにか見落としていないか?
麓の村に入る前、最後の峠へ踏み込むと、空気が変わった。乾いた針葉の匂いに、なにか金属の匂いが混じっているような気がする。林を抜ける風が、どこかざわついている。膝に載せたセオドライトを支える手が汗ばむ。
「地脈が……乱れています」
同じことをセレナも感じ取ったみたいだ。異世界人のわたしより、王家の魔法を受け継いでいるセレナのほうが敏感だ。
「乱れている方向、わかる?」
セレナの魔法が距離魔法であることを承知の上で、あえて聞いてみた。
「…お姉様はたしか…」
呟くと、セレナは静かに目を閉じ、まるで音を聞くように周囲を探った。そしてしばらく迷った後。
「この方向から地脈の声が聞こえるような気がします」
自信なさげに林の奥を、杖で指し示す。わたしは素早く三脚を立て、セオドライトでその方位を測った。
「もう少し先に進んで。油断しないで」
先導する親衛隊の隊長に伝えた。
先に進む間も、異様な空気感は強くなっていった。わたしにもわかるくらいだ。しばらく進んで、もう一度セレナに地脈の声を聞いてもらう。
「こっちですわ」
先程より断定的に方向を示した。その方向も測定し、地図上に線を引く。その線は村の北のほうで交わった。
――異変は、そこだ。
村から離れた原野だけど、思ったより近い。わたしはこのことをセレナと親衛隊の隊長、測量士のリーダーに告げ、異変の原因を確かめることにした。
◇
「な、何だこれは!」
先頭をいく親衛隊隊長が呻いた。
原野の小高い丘の斜面いっぱいに、杭が打ち込まれていた。数10本、いや100本はあるかも。無数の杭が、直線的を描くように大地へ打ちこまれていた。
「こんなもの、地図にありません」
複写地図を確認しながら、測量士のリーダーが困惑気味に報告してくる。わたしとセレナは急いで荷車を降り、杭の群に駆け寄った。
「こんな紋章は見たことがありません」
測量士のリーダーが杭の頭を見て言う。でもわたしとセレナは確信した。
「この紋章……見覚えがありますわ」
――古代杭。
わたしたちは顔を見合わせた。前に見た紋章とちょっと違うけど、同じ体系のものに間違いない。
「少し…まがっていますね」
セレナが改めて、古代杭群の並びを見て疑問を口にした。改めて見ると少しカーブしている。
――円弧……いやもしかして放物線!?
急いで、古代杭を測量し、位置を地図に書き込み始めた。全部は無理なので、適当な間隔で。セレナと測量士たちも総動員した。親衛隊には厳重に周囲を警戒してもらった。
「これは…なんですの?」
セレナが不思議そうに聞いてくる。
「これは放物線っていうの。物を投げたとき、落ちるまで物が描く道筋がこんな風になるの」
「落ちるまでの道筋…ですか?」
測量士のリーダーが不思議そうに呟く。
「でも私たちの世界では別の使い方もするの。これを使うと光を一点に集中させることができるの」
「一点に集中……って、凛お姉様、まさか!」
「そう、この放物線の焦点は、コルヴィン杭よ」
おそらくこの古代杭の効果は、地脈を『反射する』か『曲げる』のような効果なのだろう。わたしは太陽光を集めた放物線が、鉄を溶かす実験を思い出した。焦点温度は数千度にも達する。
――間違いない。コルヴィン杭の急速な劣化、原因はこれだ!
「地脈を何百倍にもできるなんて! そんなに地脈を当てられたら、三賢者杭でも耐えられませんわ」
私たちは古代杭を早急に取り除くことにした。幸い杭は小さい。一本ずつ抜いていけば、裂け目の発生も小さいはずだ。
作業開始。
測量士たちが、各々の杭の側で、抜去体制に入る。衛兵隊は魔物に対するため、武器を構える。セレナも同様。わたしは戦いのじゃまにならないように中央に陣取り、全体を見渡す。
「一本目、抜きます!」
測量士が緊張した声を上げた。
――二本目、問題なし
二本目、三本目、四本目。小さな亀裂。魔物が出現した。親衛隊が即座に対応した。
十本目・・・二十本目・・・
緊張の作業が続く。中規模な亀裂や数十匹の魔物に囲まれることもあったが、なんとか対応した。
四十本目・・・
疲労の極限。それでも誰も手を止めない。コルヴィン杭を守ることに全員の意識が集中した。
六十本目・・・
日没で周囲が暗くなる。それでも松明を照らして作業を続ける。
・・・九十本目、あと少し
その時、闇から黒い影があらわれた。
◇
「魔物?…人影!?」
思わず声が漏れる。魔物の群れの反対側の反対側の森、闇から滑り出てきたのは、黒衣に仮面の一団だった。動きは静かで、整っている。
「親衛隊、注意!」
隊長が頷く。隊の半分が対魔物から対黒い影に素早く変わる。黒衣は言葉を発しなかった。静かに接近してきて、無言で親衛隊に襲いかかる。
「狙いは――セレナ? それとも?」
親衛隊の一部が、わたし達を取り囲み、守りを固める。黒い影はわたしたちを無視して、荷車に向かう。
――狙いは新コルヴィン杭!
わたしは直感した。親衛隊が立ちはだかる。剣が打ち合い、火花が散る。黒衣の足取りは軽い。反して親衛隊は古代杭郡の抜き取り作業で、疲弊していた。
「わたくしたちは大丈夫です。皆はコルヴィン杭を守って!」
セレナが杖を構えて、叫んだ。親衛隊は一瞬躊躇したが、セレナの実力を思い出してか、コルヴィン杭を載せた荷車に向かう。
「止まりなさいっ!」
セレナが声を張り、杖を突き出す。
「光よ!」
セレナの杖から細かな光の線が走る。狙いは違わず、荷車の周囲で親衛隊と戦っていた黒衣の襲撃者の背中に命中した。
――倒れない?
黒衣の背中は裂け、その下から鎧が松明の光を反射して輝いた。
――セレナの光魔法が弾かれた。
光魔法に対する対策をしてきている。知能のない魔物とは違うことを悟った。
セレナはもう一度光魔法を放った。今度は先程よりも太い光が背中に突き刺さる。大部分が弾かれたようだが、その衝撃で黒衣の襲撃者が倒れた。すかさず親衛隊がトドメを指した。セレナがそれを見て青ざめる。こんなシーンをセレナに見せたくない。
荷車を守る親衛隊が次々と倒されていく。生死はわからないけど、生きているなら一刻も早く治療を施す必要がある。
「凛お姉様。新コルヴィン杭は諦めましょう。今のコルヴィン杭でも、これ以上の劣化を止めれば、まだ大丈夫なはずです」
セレナが決断する。
――これが敵の目的!!
今更気づいても遅い。自分の愚かさに歯噛みする
背後から気配。わたしとセレナが同時に振り向く。黒衣の襲撃者が数人迫ってきた。わたしはセオドライトを左手に抱えながら、右手で杖を構えた。
魔物相手ならともかく、手練の襲撃者には通じなかった。強い衝撃があり、杖が飛ばされた。
「凛お姉様!!」
強烈な光が走った。襲撃者は弾き飛ばされて、立木に激突した。残りの襲撃者は素早く森の中に消えた。
「荷車から離れて撤退!!」
セレナは、光魔法を打ち上げて叫んだ。味方への合図と同時に、敵にもこれ以上抵抗しないことを知らせる意図もあるようだった。
退く親衛隊を、黒衣の襲撃者は追わなかった。笛の音を合図に、荷車をひく馬を操り、森の奥へ消えていった。
地に倒れた親衛隊の半数は、もう息がなかった。けが人に応急処置を施した。荷物をすべて捨て、荷台を開けた荷車に、けが人を乗せた。比較的被害の少ない測量士のメンバーは、測量道具を捨て、怪我をした親衛隊に肩を貸した。
セレナも荷車から降りて歩いた。疲労の色が濃い。いつもよりも強力な光魔法を連続で使った、というのもあるが、はじめての対人戦闘という影響もあるのだろう。
わたしは……多少の怪我はあるが、杖無しで歩ける。杖は戦場を探したが見つからなかった。おそらく襲撃者が持っていったに違いない。杖にはコーナーキューブ・プリズムがついていた。
――異世界の技術も狙いの一つか……
完敗だった。
わたしたちは城に戻るしかなかった。
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