第6話 ギルの過去
――焚き火は、暗い
炎の向こうで、ふたりが黙って座っている。凛は背筋を伸ばし、火の明滅に合わせて瞳が小さく揺らす。セレナは膝を抱え、杖の宝石に頬を寄せている。
火の粉が星みたいに昇っては消えた。
「話す。俺が、急いで、壊した日のことだ」
自分の声が思ったより低くて、驚いた。
まだ若かった頃――”力”と”速さ”で何でも片がつくと思っていた頃の話だ。ストライカーになりたての俺は、鎚は重ければ重いほど正しいと、本気で信じていた。
◇
薄汚れた木のテーブルは斜めに傾いていた。酒のしみが地図みたいに広がり、灯りの下で鈍く光る。
俺はジョッキをテーブルに叩きつける。泡が飛んだ。向かいに座るスレイは、筆記具をおいて迷惑そうに顔を上げる。
「なあ、スレイ。明日からの大規模修正、早いもの勝ちって本当か?」
「ああ、本当だ。ズレは小さいが、とにかく本数が多い。複数チームに依頼が来ている。どの杭をどのチームが担当するかは...まあ、現場まかせということだ。つまり早いもの勝ちだ。報酬は打ち直した杭の数で決まる」
隣の席では別の連中が騒いでいる。笑い声に挑むような気配が混じる。同じ依頼を受けた測量チームに違いない。俺はわざと大きな声を出した。聞かせたかった。売った喧嘩を買わせたかった。
「三分の一だ。いや、半分を俺たちがいただく」
「ギル、お前の計算は役に立たん。しかも酒が入っているから、誤差も大きい」
スレイが冷静にたしなめる。だが、乗り気であることは隠せていない。こいつはいつも声色を変えない。
「勝負だ」
俺は言った。
「一番多くの杭を打ち直したチームが報酬の総取りだ」
隣の連中がこちらを見て、鼻で笑った。自然と、店の空気が「やるのか」「やってみろ」に傾く。
「ギル」
チームの仲間と肩を抱き合い、ふらつく足で酒場を出る。スレイが声をかけてきた。
「俺はお前の才能を信じている。だが急ぐと、ろくなことがないぞ。地面が耐えきれなくなることがある。手順を飛ばせば、地面は怒る。賭けでやることじゃない」
「うるさい。明日は俺が打つ。俺の鎚が一番速い」
スレイは肩をすくめた。好きにしろ、ということだろう。
夜明け前の現場。空は墨を薄くのばしたみたいな色だった。夜明けは近い。湿った土の匂い。草に溜まった露が足首に冷たい。俺たちは丘の上の杭の周りに立った。杭はさび、古傷だらけだったがスレイの見たてでは”まだ使える”という。
世界ここでは、杭の位置が地図に記されたとおりでないと力がぶれる。ズレた杭は、大地が機嫌を損ねる。だから直す。
サーベイヤーのマルスが、三本の足がついた円盤を杭の上に設置する。角度を測る道具だ。大きいほど精度が出ることは、俺でも知っている常識が、スレイは「この現場なら、この大きさで十分」と軽さと設置の容易さを選んだ。スレイもやる気になっている。
マルスが読み取った角度をスレイに伝える。スレイが地図に何やら書き込んで、しばらく思案すると、マーカーのオスカーに距離と方向を指示する。オスカーは歩数で正確な距離を刻む。どんなに起伏や障害物があっても、だ。
――マルスの目、オスカーの足、スレイの頭脳、最高のチームだ。
「ギル兄、仮杭を持ってきたよ」
荷物運搬役のテオが、荷馬車から革袋を抱えて来た。こいつはオスカーの弟で、測量士見習いといったところだ。将来は兄と同じマーカーになりたいらしい。
俺はテオから仮杭を受け取り、手順通り杭の周りに打ち込む。仮杭は六本。杭を中心に円を描くように並べる。これが地脈をこの場に留めてくれる囲いだ。杭を動かす間、地脈が暴れないようにする。そして、少しずつ囲いをほどく。どの教本にもそう書いてある。
だが俺は――。
「やるのか?」
「やっちゃえ!」
「好きにしろ」
「腕がなるぜ!」
俺はすべての仮杭を一気に引き抜いた。
地面が揺れ、軽いめまい。それと多数の魔物。
勝負は一瞬でついた。マルスの剣、オスカーの槍、スレイの連射ボウガン、そして俺の戦鎚。こっちの方も抜かりはない。初日、俺たちは他のチームを圧倒した。
◇
「ギル兄、今日も勝てるよね」
「ああ。あの連中に先に終わらせはしない」
テオが笑って親指を立てる。朝の空気は冷たいが、体の中は熱かった。俺は、勝ちに行くつもりだった。
翌日。
マルスが角度を読み上げる。スレイが地図に書き込む。オスカーが杖を持って指定の距離を歩く。足数を声に出して数え、杖を地面に突き立てる
「ここだ」
短く言う。俺はうなずき、仮杭に手をかけた。土が柔らかい。昨晩降った雨が、地面をほどよくほぐしている。
俺は――焦っていた。遠くの丘に、別のチームが測量しているのが見えたからだ。やつらも馬鹿じゃない。昨日の俺たちの作業を見て、角度測定には小さめの円盤を使っている。人数も多い。おそらく手順飛ばしもやってくるだろう。
「今日もやるぞ。準備はいいな」
俺は言っていた。自分の声が、思ったより軽い。
「ギル、ちょっと待て」
スレイが声をかける。別のチームの作業に視線を走らせながら、
「杭が近い。お互いの作業が干渉した場合、どんな影響があるのか予想がつかん」
この意見にマルスが賛成した。
「大丈夫だろう。多少魔物が現れても、俺たちの敵じゃない」
オスカー、テオ兄弟は”やる”方に賛成した。三対二。このチームのリーダーはスレイだが、意見が割れた場合、多数の意見を採用するのが彼の方針だ。
「わかった。皆くれぐれも用心しろ」
俺は仮杭に縄をかけ、一気に引き抜いた。
地面が、うなった。
まず、風が吸いこまれた。何かが沸騰したような音が、土の下から聞こえた。足の裏が泡立つ感触。
ほんの一秒、間があって――地面が割れた。
黒い線が土の上を、蛇のようにのたうちながら走る。反対に杭のある地面が盛り上がり、杭が抜けそうになる。俺は本能的に、戦鎚で杭を打ち込んだ。
空気が割れた地面に落ちる。周りの音が遠くなる。テオが叫ぶ。兄の名を、俺の名を。振り向くと、テオがいた場所に裂け目があった。薄い布が破れて、向こう側の闇が覗いている。テオの手が、裂け目の縁を掴んでいた。
「テオ!」
俺は飛び込み、テオの手を掴む。もう片方の手で戦鎚の柄を地面に突き立てる。冷たい。何かが、向こうから引いている。テオの指が俺の手の甲に食い込む。顔が恐怖に歪んでいる。
「...兄...」
声にならない。風が、俺たちの肺から息を奪う。
「離すな、ギル!」
誰かが俺の腕を持ち引っ張る。俺は歯を食いしばる。テオの体が、少しだけ戻る。だが次の瞬間、闇が深くなった。足場の地面が、さらに沈む。
テオの指が、すべった。
俺の手が空を掴む。
反動で地面に叩きつけられ、砂を噛んだ。裂け目は、テオを飲み込んで満足したかのように閉じていく。
そこにあったはずの声も、足跡も、手の温度も、何もかもが、布で拭ったみたいに消えた。残ったのは、俺の手の甲に刻まれた爪の跡だけだった。
しばらく、誰も動けなかった。鳥の声が戻るまで、ずいぶん時間がかかったように思う。俺は戦鎚にしがみついたまま、立てなかった。
――裂け目に落ちた者は、二度と戻れない。
測量士なら誰もが教わる掟を、俺は身をもって知った。
最初に立ち上がったのはオスカーだった。
「作業を続けよう」
スレイが立ち上がる。顔色は変わらないが、目には後悔の色があった。
「機材を確認しろ。作業を続ける。杭が修正されているか再確認する。誤差は許容内に収める」
俺はうなずくしかなかった。散らばった機材を広い、地図の泥を払った。足が震え、鎚が重い。何も言えなかった。言う資格がないと思った。
作業は、進んだ。角度を測る。距離測る。杭を打つ。地面が、地脈がおこりださないよう、静かに、慎重に、地脈の呼吸が静まるのを待つ。太陽は頭上へ登り、影は短くなって、また長くなった。
終わったとき、俺は膝をついた。オスカーが側に立つ。スレイが、マルスが俺たちを見守る。何も言わない。俺は、何か言ってほしかった。罵ってほしかった。殴ってほしかった。だがオスカーは言わなかった。
「ギル」
やっと呼ばれた名は、ひどく遠くから聞こえた。
「この仕事に危険はつきものだ。お前のせいじゃない」
地面が、ようやく静かな寝息を立てている――そんなふうに感じられるまで、動けなかった。
◇
「……それが、俺の過去だ」
炎が、ぱち、と音を立てた。凛は黙って聞いていた。手は膝の上、指が静かに組まれている。セレナは小さく息を吸って、杖を抱き直した。宝石に火が映る。
「ギルさん、つらかった、ですわね。裂け目は……」
「落ちたら、戻れない」
俺は答える。
「だから、急がない。一本ずつ。地面の機嫌を、見続ける」
セレナはうなずいた。彼女は幼いが、聞く耳を持っている。凛が、ゆっくり口を開く。
「ありがとう、話してくれて。……ギルさんが『順番』って言う理由、わかった」
凛の声はまっすぐだ。
「ギル」
凛が言う。
「明日も、お願いしていい?」
「もちろんだ」
短く答えた。
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