第7話「おれ…影が、ないでしょ?」
シリアスな告白の後に、山伏慶太らしいブラックユーモアを効かせた見事な「オチ」を執筆します。
***
富樫さんの「お前ら、二人とも…」という言葉が、静かな部屋に重く響く。
おれたちは二人とも、一度死んで、無理やり生き返ったようなものだ。
だから、互いの存在が、痛いほどわかる。
部屋を満たしていた張り詰めた空気を破ったのは、おれの、自分でも意外なほど軽い声だった。
「…まあ、そういうわけで」
おれは、飲み干した缶コーヒーをくしゃりと握りつぶした。
そして、ニヤリと笑って、富樫さんを見上げた。
**「見てくださいよ、富樫さん」**
おれはすっくと立ち上がり、蛍光灯の真下に立つ。
自分の足元を、わざとらしく指差した。
**「おれ…影が、ないでしょ?」**
その瞬間。
**「ぐわーーーーーっ!!」**
富樫さんが、漫画みたいに椅子からひっくり返った。
床に派手な音を立てて尻餅をつき、さっきまでの重々しい刑事の顔はどこへやら、目を白黒させて腰を抜かしている。
「お、おま、おまえ…! ほんとか! ほんとに、ないじゃないか!!」
指差す富樫さんの視線の先、おれの足元には、確かにあるはずの影が…ない。
いや、よく見ればうっすらとあるのだが、蛍光灯の角度と、富樫さんの動揺が、それを完全に見えなくさせていた。
その滑稽な姿に、おれはたまらず吹き出してしまった。
**「ウソですよ! ハハッ!」**
おれがからかうように一歩動くと、当たり前のように影もついてくる。
それを見た富樫さんは、しばらく呆然と口をパクパクさせていたが、やがて状況を理解したのか、顔をみるみるうちに真っ赤にさせた。
「てめぇ…! 山伏ぃぃぃぃぃ!!!」
地鳴りのような怒声が、生活安全課のフロア中に響き渡った。
「人が真剣に聞いてやってりゃ、この野郎! 心臓が止まるかと思ったわ!」
「いやー、すみません。ちょっと空気が重すぎたんで」
「限度があるだろうが、限度が! お前、あとで始末書もんだからな!」
怒鳴り散らしながらも、富樫さんの目には、どこか安堵の色が浮かんでいた。
たぶん、わかってくれたんだろう。
おれが、こんな冗談を言えるくらいには、もう「大丈夫」だということを。
壮絶な過去は、消えない。
死の淵を覗いた記憶も、なくならない。
だけど、それを笑い飛ばしてくれる人がいて、一緒に怒ってくれる人がいる。
ひっくり返るほど驚いてくれる人が、目の前にいる。
おれは、もう一人じゃない。
「ほら、富樫さん。立てます?」
「うるさい! てめぇの助けなんかいらん!」
憎まれ口を叩きながら、富樫さんはおれの差し出した手を、力強く握り返した。
その温かい感触に、おれは、自分が確かに「こっち側」の世界に生きているんだと、改めて実感した。
影のない幽霊なんかじゃなく、ちゃんと影のある、ただのしがない検針員として。
(了)
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