ど~やって自立すんの?

こだてじゅん

問・ど~やって自立すんの?

「傷を付ければいいのです」

 と、キィちゃんは言った。

 こっちがついつい頷いちゃうくらいに、自信満々に胸を張って答えた。だからあたしはなん度も頭を赤べこにして、へえ〜そうなんだ。ぜひともやってみてよ──と言ってしまった。

「コテくん、見ていなかったとは言わせません。わたしがやるとこうなります」

「うん。そうだったね」

 キィちゃんはすでに実践をしてくれた。だから机の上に水たまりができていた。水というか卵の白身。とろみのある半透明。真ん中辺りにある橙色の膨らみをつっついてみれば、それはスススと移動した。爪を立てれば、白身と黄身は混ざった。

 あたしは『卵を自立させる方法』が知りたかった。できるだけ手っ取り早く答えがほしかった。だから、いちばん近くにいるひとに──キィちゃんに尋ねた。

 でもまぁ、出てきた言葉は根性論だった。

 そしてキィちゃんが不器用ゆえに、せっかく買った卵が無駄になった。

 見るも無惨にぐちゃぐちゃだ。ここだけ世界が終わっちゃったみたいだ。

 やっぱし、茨の道をゆけって感じ?

「は~あ。無理難題だよ。わけわからん」

「わたしは、コテくんが卵っぽい理由を言えますよ」

「まじ? どのへんが?」

「そうやって項垂れているところ。調理前の食材のようです」

 じゃあもし、あたしのほっぺが触れているこの机がフライパンだったら。もし、そのフライパンが熱々だったら。あたしは目玉焼きになるね。それは大火傷ということで、キィちゃんが言った通り傷付くことができるね。

 あたしは、進路指導のワカハタ先生に、卵を少し割って立たせるように傷付いておきなさい──と言われていた。そして──お前は冷蔵庫で腐っていく、安いからといって買った使い道のない卵です。

 と、去り際に言われた……これ生徒に言うことじゃあない。

 いま、キィちゃんに言われて納得したあとだと、卵かけご飯みたいにするする理解できちゃうけれど、それでもあたしは受け入れたくはなかった。結局は振り出しに戻っただけだ。

「キィちゃ〜ん」

 あたしは正面にいるキィちゃんに手を伸ばした。溺れた時みたいに、がむしゃらになにかを掴みたい気分だった。キィちゃんは沈まない浮き輪ということで。あたしはぶくぶく泡を吹いていた。

「なにかごようですか」

 キィちゃんは透明なかおを斜めにした。

「いっしょにず〜っとここの生徒でいようよ」

「構いませんよ」

 ほっぺにくっついた髪の毛を絡めとって、指先で毛先をまとめたキィちゃん。

「ちぎりますか?」

 その動作に裏があった。

「……本音じゃないくせに」

「わかっているなら、いいです。それよりも、どうしますか」

「うん?」

 どうすると言われましても……現在時刻は十三時過ぎ。つまり五時限目の時間。でも今日は午後の授業がないから、部活動や委員会とかがある子は別だけど……ほとんどのみんなは昼前に帰った。

 ひとがいない分、教室の空気はいつもより空気が軽い気がした。

 あたしたちはお腹が空いていたからパンをついばんでいた。

「昼めしが終わったらおやつかな」

「違います」

 パンッ、と目の前でキィちゃんの手と手が鳴った。

「わたしたちにはマレ先輩との約束がありますよね。ですが連絡がありません。だからこうして、膝を突き合わせて時間をつぶしているのです」

「あ〜」

 パンパン、と二回。あたしは手を叩いた。

「ど~するってそういうことか。べつに待ってたらいいんじゃないの? 勝手にいなくなったらなったで先輩怒るじゃん」

「マレ先輩に怒られたことあるのですか」

「えっ。ないの?」

「いいえ」

 キィちゃんは千切ったジャムパンを手に持って、かぶりを振った。

「あのかたはタンスに小指をぶつけたらそのタンスを粉砕するおかたですからね。わたしもみなさんも、なにかしらで怒られています」

「じゃあなんでそんなびっくりしてるのさ」

 キィちゃんのかおは、普段からは考えられないくらいに人間みたいだった。生き生きしていた。いつもはもっと着せ替え人形っぽい……ポーカーフェイスってやつ。冬特有の眩しい太陽が目を焼きにきても、キィちゃんは顔色を変えない。というか睨み返す勢いだ。キィちゃんの目は、痛いくらいに鋭くなる。ひとと話す時には、それが顕著に表れていた。相手と視線を合わせる。絶対に逸らさない。その姿勢は汎用可能で、キィちゃんのそういうところが、あたしはだいすきだ。

 でもいまだけは、少し手が震えた。

「そんな意外だった?」

「はい。あなたの口から、『誰かを怒らせたら』という心配事が出てくると思いませんでした」

「ふうん……」

 コンビニで買ったサンドイッチのせいで、あたしの口の中はひりひりしていた。日によってからしの量が変わる仕様は娯楽にならない悪意に満ちた意地悪だった。

 なんで食べ物に驚きを求めるのかな。

 平坦な日々が嫌なら、日常の均衡を崩したいなら、それこそマレ先輩を激怒させればいいのに。

 そうすれば世界が終わるし、その事態は紛うことなき大波乱だから。

 たのしそうだよね?

「あたし、悪いひとにはなりたくないもん」

「別にマレ先輩を怒らせたからといって悪人ではありませんよ」

「あの先輩を怒らせた先にある『誰があのおかたを怒らせたか』の『誰』にあたしはなりたくないんだよ。そうなっちゃったら大悪党だ。だってバケモンを目覚めさせちゃっ──」

 ついつい熱弁していたみたいで、あたしはいつの間にか、椅子から立ち上がっていた。だから、キィちゃんからは見えない黒板方面がはっきり見えた。

 天井に立っているひととばっちり目が合ってしまった。

「どうかしましたか」

 キィちゃんは、あたしの目と鼻の先で手を振った。いや、そっち側にはいないから、手を振るなら向こう側だよ。あたしが見ているほう……キィちゃんの背後。斜め上にある天井に立っている先輩に、手を振ってあげてよ。

「やほぅ。いとしいわたしのキィ」

 当たり前にあたしを無視したマレ先輩は、天井に立ったまま言った。ぐにゃりと変化する声で、かわいい後輩を呼んだ。

 ちなみに、このひとがいとおしいのは後輩ではなくて自分自身だ。そのことは直属の後輩であるキィちゃんだけではなく、あたしも知っている。あたしに限らず、さらにマレ先輩に限らず、この学校の先輩は後輩をぞんざいに扱う。無視もその雑さからきているものだ。でも、そういう態度の先輩に文句はなかった。

 大切にされているから。

 先輩方は、一応、あたしら後輩を大切にしてくれる。それはマレ先輩も同じはずで、だから別に、バケモノ呼ばわりしても怒られない……はず。

「いっだ!」

 ……痛い。痛いよ。これ絶対、頭が割れた。一瞬だけ異世界に行った気分だ。なにこれ……、頭がじんじんする。攻撃された──んだよね? なんで教室の天井からタライが降ってくるの? 

「手法が古いな。後輩の頭は大切にしてよね~」

「レディに対する禁句って知ってる?」

「知らないで〜す」

 と、あたしは答えた。 

 また頭に痛みが走った。しゃがみ込むくらいの衝撃だった。今度はタライではなくて筆箱。しかもカンペン。現実的にはなったけれどやっぱり古い代物だった。

「いまのはコテくんが悪いです」

 そう言うと、キィちゃんは紅茶を飲んだ。豪快にペットボトルからがぶ飲みだったから、見ていて清々しかった。おかげで痛みがなくった。

「不服です。ね~マレ先輩、殺し合いしようよ」

「また今度ね」

 さらり、と冗談のように受け流されてしまった。ちぇっ。殺り合えば一発でマレ先輩がバケモノだって証明できるのに。

 そもそも後輩先輩関係なく上から話すなんて失礼じゃん。

「いくら不服でも約束は守りなさいよ。コテ」

 あたしは心のなかで舌打ちをした。こっちからの提案はばっさり斬っておいて……どーせ、最後には殺るんでしょうが。

 マレ先輩の目的──世界を殺すためにある違反行為のなかで、それは一番手っ取り早いものだ。まぁ最近は目こぼしが多かったから、街一つを消してこいとか三割の地上を海に沈めてこいとか、そういうアプローチに変えたのだけれど……。

 毎度毎度、無茶を言うんだよな〜。

「さっさとやるよ」

 マレ先輩はこちらに近づいてくると地面から──天井から──足を離した。空中で頭と足の向きを変えるまではスムーズだった。でも着地点の机は卵液まみれでぐっちょぐちょだ。つまり──

「あいった!」

 すってんころりん。バランスを崩して墜落した。マレ先輩が傾いた方向にいたキィちゃんは、あたしが抱き寄せたから無事だった。巻き込まれて、踏まれてしまえばひとたまりもない。だからあたしは、マレ先輩の足が乗っかっていた机を張り飛ばしてキィちゃんを抱えた。

 どんがらがら、という騒音が耳をつんざいた。そのすぐあと巡回中の警備員が教室に飛び込んできたのだけれど、あたしらの顔を順繰りに見るなり去っていった。

 当たり前だ。

〝魔女〟であるマレ先輩が起こしたことは異常ではない。




 先輩は後輩を大切にするだけ。だから後輩は先輩に従うだけ──ではない。それはひとによる。あたしらの級長は一つ上の先輩と顔を見合わせるたびに取っ組み合い寸前だもん。ケガすることもある。睨むだけで意思疎通ができるくらいだから逆に仲がいいと思うのだけれど、それを本人たちに言うと飛び火するから言わない。

 でもまぁ世の中、言っちゃあいけないことほど言いたくなる。あのふたりが原因でなん枚の窓ガラスが割られたことか……掃除するのは誰だと思っている。

 今回だって、がたがたになった教室の机たちを正したのはあたしらだった。

「あなたのせいでわたしは転んだのよ。自業自得でしょう」

「マレ先輩がどんくさいだけじゃん。あのくらい対処できなきゃ〝魔女〟じゃあないよ」

「あのねえ……〝魔女〟ってそんなにすごくないからね?」

 世界殺しを生きがいにしているのに、なにを言っているのだろうか。でも、これも言ってはいけないことだから、あたしは口をつぐんだ。

 おとなしく、マレ先輩の後ろについていくと、

「ふたりは世界が好き?」

「は?」「はい?」

 思わず足が止まった。隣にいるキィちゃんも立ち止まり、首を傾げた。

 先を歩いていたマレ先輩が振り返って、そしてあきれがおをした。肩を落とし、頭を振った。

「ちょっとちょっと。このくらいで驚いてちゃあこの学校の生徒とは名乗れないよ」

 意趣返しのつもりだろう。

 いいや、絶対、これ、仕返しだ!

 大人げねぇ〜。

「文句があるならかかってらっしゃい。あなたなら、わたしにかすり傷くらいは作れるでしょう?」

 やってやろうじゃん。尻尾巻いて逃げないでね。

 と、言いたかったけれど、その罠にはひっかからない。あたしはグッ、と。グググッ、とがまんをした。

 深呼吸をしたあと、さっきの質問に答える。

「好きとか嫌いとかないよ。世界はただあるだけじゃん」

「コテはそう思うんだね。キィは?」

「わたしは……」

 キィちゃんは、困っているみたいだった。つないでいる手に落ち着きがない。強く握ったり、離そうとしたり、せわしなかった。かおも曇っていた。あたしはキィちゃんの肩に寄りかかった。こういう時だけは、背格好が同じでよかったと思える。

 いくらでも待つよ、あたし。

「わたしは世界を、世界として認めたくありません」

「ほう。なぜ?」

「卵が立てないからですよ」

「へえ……、そっか。ん? どゆこと?」

「マレ先輩は卵をどーやって立たせますか」

「はい?」

 今度はマレ先輩が意趣返しされる番だった。

 あたしは笑いを抑えるためにキィちゃんの肩に顔をうずめた。さすがに、先輩に対しては笑えない。ただでさえあたしの笑い方は、ひとを馬鹿にしているように見える。でも、いくら堪えようとしても、身体は言うことを聞いてくれなかった。小さく「──っは」とこぼれた。運良く……マレ先輩には聞こえなかったらしい。キィちゃんの発言に気を取られているみたいだった。

「卵です。egg。ワカハタ先生が、中三になってもふらふらしているコテくんを冷蔵庫で腐っていく卵に例えたのです」

 そうそう。あたしは一向に調理されない食材。つまり将来が決まっていない子供だから腐っていくだけだ……って悪口だよ、それ。ひとりじゃ立てなくて悪うござんしたね──と、あたしが口を尖らせていると、

「高等部にこないの? わたしの後輩という名誉ある肩書を手放すの?」

 やっとこっちを見たマレ先輩は、まるで己が神さまかのような言い方をした。この街に神はいないよ。あなたが殺したんじゃん。この大罪人め。

「誰が大罪人よ。世界がなにも言ってこないのだからあれは罪ではない」

 と、容疑者は主張しています。

「コテ……転校するの?」

「しないよ。キィちゃんがいるとこがあたしのいるとこだもん」

 あたしはこの手を離しやしないよ。

 ずっと隣にいたいもん。

「ほほう。それだね」

 納得したような声音。マレ先輩はあたしに近づいてきた。

 で、見下げてきた。

 あたしは思わず身体を小さくさせた。

 心臓が、取れそうだった。

「……どれのことです?」

 無意識に、普段は使わない敬語を使ってしまった。

 マレ先輩はあたしの頭を掴むと、もぐ──かと思えば撫でてきた。

「そんなだからあなたは卵なの。無精卵なのよ。そのまま腐れ」

 で、ばしっと叩かれた。

「ひっど〜い。キィちゃんもそう思わない?」

「無精卵とは言い得て妙ですね。さすがマレ先輩です」

「ちょっと~?」

 キィちゃんは深くうなずき、拍手をしようとした。あたしと手をつないでいるから無理だけれど。ぱちぱち、という音が聞こえてきそうだった。

 あたしは、いい加減、笑えなくなってきた。

「ね~え! もうその話はいいじゃん。さっさとマレ先輩の用事を進めようよ」

「そういうわけにはいかない。大切な後輩の進路相談を無視するなんて先輩の名折れだ」

「マレ先輩はあたしの先輩じゃないもん!」

「わたしの後輩はこの学園の全生徒よ」

「強欲だ!」

「〝魔女〟だからね。ゆえに──」

 わざとだろうか。マレ先輩は言葉を区切った。なにもない時間……息を潜めて潜めて、ふっと笑みをこぼすと再び〝魔女〟はあたしに触れてきた。

 今度こそ、自分の身体がもげそうな力強さだった。

「いまここで立たせてみせましょう」

 



〝魔女〟は反則だ。

 一発でBANされるチート機能だ。しかし正々堂々とは無縁であるあたしらにとって、〝魔女〟は便利な手助けツールだった。年末に開催される大掃除だってマレ先輩がいるから一日で終わる。あたしらは雑巾片手に地面や壁にへばりつき、マレ先輩は空中に浮かびながら作業をする。

 できるひとができることをやればいい──それが校訓だ。

 だから自立に関しても、誰かの手を借りたっていい。

 あたし次第なのはそのあと。立たせてもらったあとなんだってさ。

「キィの言う通り傷付かなきゃ駄目なんだよ。だからコテのためにキィを殺すね」

「はいダウトです。マレ先輩はわたしを殺せません」

「んもうっ。わかってるよ。例え話だってば」

「例えでもわたしを殺さないでください」

「ごめん」

「許しません」

「そんなあ……」

 うん。現状把握をしよう。

 マレ先輩は放っておいていい。

 場所は変わらず廊下だ。あたしは床に座り込んでいて、キィちゃんは立っている。

 で、大掃除したばかりの白い床が真っ赤になっている。誰かペンキこぼした? 違うね。これは、あたしの血だ。

 なぜこうなったのかといえば、マレ先輩があたしを『自立できる卵』にするために動いてくださったからだ(こう言わないとたぶん怒られる)。自立できないのならばそいつの支えをなくしてしまえばいい──とは、実力を兼ね備えたマレ先輩に似合う言葉である。

 背水の陣ってやつだ。

 確かにあたしは、キィちゃんがいなくなったら立てるようになる。結果的には立つだろうよ。

 けれど、そんなの嫌だよ。

 それくるしいじゃん。キィちゃんがいなくなることを、あたしのためにしないでよ。

 だからあたしは〝魔女〟たるマレ先輩に──キィちゃんの心臓めがけて尖った爪を伸ばしたマレ先輩に、無謀にも噛みついた。

 そうしてら立てなくなっちゃった。

 将来的な自立の話どころじゃなくなっちゃった。

「〝魔女〟は、ただの人間には毒」

「そうだったっけ……?」

 あたしは床に寝転がった。天井にある汚れを見つけた。笑っているようにみえた。

「マレ先輩、」

 一歩だけ、キィちゃんは近づいた。あたしに近づいてきて、しゃがんだ。

 そのかおは、キャベツに混ざっていたあおむしを見つけた時みたいに、歪んでいた。

「さっさと終わらせましょう。世界を」

「もちろん」

 なぜだろうね。とても深く呼吸できるよ。

 マレ先輩のライフワークといえる世界殺し。あたしらはたびたびその手伝いをしていた。一つ前にやったのは異星人をこの星に招き入れることで、そんなふうに世界を殺してきた。そんなことで、世界は殺せた。

「これから人間を作るよ。そして殺す。また作る。やはり殺す。その繰り返しね」

「あなたと接していると殺すって言葉が軽くなっていきます」

「最初から軽い言葉でしょう。誰だって自分よりも弱いものは殺せる」

「ああ。虫とか容易く殺しますものね」

 うっすらと笑ったキィちゃんが、あたしの頭を支えて起こしてくれた。

 悪巧みしているマレ先輩のかおがよ〜く見えた。

 キィちゃんの、人間っぽい豊かな表情も。

 非常によい眺めですよ。

「我らで親になろう」

「子に名は付けますか」

「うーん。勝つためにはエラーを起こさないと駄目だからねえ……どーしよっか」

「名付けてから殺したほうがよ」

「そう? じゃ、名付けようか。この際、とびっきりいとしく、アイを込めたものにしよう」

 ほんとうは、この、なが〜い廊下の先にあたしらの目的地があったのだけれど、たどり着く前に世界が終わった。あたしは寝ちゃったから、たぶん、だけれど。

 ふたりとも『待て』ができないひとだからね。「いまからやる」と言えば、その場で実行する。自分のテリトリーに行くまでもなく、マレ先輩がいればあらゆる現象を引き起こせる。身にまとっているものが一つもなくたって問題はないのだから、〝魔女〟はまじで存在自体が反則だ。マレ先輩が世の中の娯楽に興味なくてよかった。もしもゲームとかにのめり込むタイプだったら……考えるだけで、つまらなくなる。そんなだから世界は殺されるんだ。

 ひとを作るタイミングや方法くらい任せてくれりゃあいいのに。世界はどこまでも手中に収めておきたいらしい。

 ほんっと、わがままだ。

 負けず嫌いだよ。

 不利になったら電源を落とす。自らリセットして、すべてをなかったことにする。ログは残ってるのにね。そんなだから次の世界でも、また負けるんだ。

 でもエラーが起こったから再起動しただけ──という見方もある。っつうか、世間一般はそう見ている。

 だからあたしらには毎回ペナルティが課される。

 あたしが自立できないのは、まぁあたし自身のせいだけれど、そもそも不可能な話なのだ。しようとしないのではなくて、できない。そういう仕組みにしたのは世界のほうだった。

 割って立つとか、無理。

 傷付いて前に進むとか、ふざけんな。

 一生寝転がってやるもんね。

「そんなだからあなたは卵なのです」

 ……禁句にするね、その台詞。



 目が覚めた。朝だった。あたしは、我がテリトリーにいた。つまり寮の部屋だった。

「おはよ~」

「おはようございます。コテくん」

 なぜキィちゃんがこの部屋にいるかは置いておいて、あたしは身体を起こした。

 五体満足だ。いまから校庭を三十周してこいと言われても平気だと思う。

「誰が腐った卵だって?」

「そんなこと言ってませんよ」

「え〜? 聞こえたような気がするのになぁ」

「黙らっしゃい、卵の殻ヤロー」

「捨てられる運命じゃん!」

 と、あたしは指をさした。キィちゃんに向かって、抗議のために叫んだ。

 だったら手放せばいいよ。

 卵の殻なんてすぐに捨てたほうがいいよ。ゴキブリがやってくるもん。

「捨てません」

「なんでさ」

「いつか立つからです」

 キィちゃんは、いつぞやの時のように胸を張った。

 自信満々に──

「傷付くことはときに必要でしょう。ですが、いまではありません。誰にだって、いくつになったって、転ばないために、抱っこやおんぶを要求する資格はあるのです。この世界のどこに生まれたばかりの赤ん坊をひとりで立たせる親がいますか。そんなものこそ世界のエラーです。もしくはバグです。即、電源を落としましょう」

 殺しましょう──と、キィちゃんは立てた親指を自分に向けて、首の前で、そのまま横に滑らせた。

 物騒だった。

「……マレ先輩に似てきたね」

「悪口はご遠慮ください」

「思いっきり拒絶してるじゃん。あのひと泣くよ?」

「泣きませんよ。〝魔女〟の涙は高いのですから」

 そういえば小遣い稼ぎになるって言ってたな。あのひとならどんな仕事でも引っ張りだこなのに。天ってやつはマレ先輩に能力を与え過ぎだ。

「なん個目で勝ったの?」

「たった二つ目です」

「少なくてよかったじゃん」

「よくありません。十は考えていのですから、徒労に終わりました」

「あ、っそう」

 堪え性がねぇな〜。どっちも。

「ほとほとあきれちゃうね」

「わたしはコテくんに、ほとほとあきれていますよ」

「うん。知ってる。でも、もう、ど~しようもないんだ」

「決めつけは愚かですよ」

 何事にもがあることを知っているキィちゃんは、あたしを見つめてきた。

 ……なぜこのひとに問おうと思ったのか。

 一番近くにいるからと言ったけれど、それは半分嘘だった。

 キィちゃんはいつだってまっすぐ見てくれる。

 逃げ場なんてない荒野みたいな場所でもキィちゃんは揺るがない。

 だから委ねた。

 あたしが──いまこの瞬間、なにをすべきなのか。

 きいてみよう。

「わたしたちは子供です。未来のことよりもまずは今週末に行われるテスト対策をすべきなのですよ。どうするもこうするも、学ぶのです。あらゆることから」

 と、キィちゃんは言った。

 あたしは、そうだね、と呟いた。それから、ひらきっぱなしのリュックを見た。その中にある教科書の新品同様っぷりといったら、

「っははー」

 やっすい笑みが飛び出るくらいだった。

 まずはシャー芯を補充しなきゃね。

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