SCENE#180 推しの未来を守るため、今、僕らができること Protecting Our Idol’s Future (A Fan Comedy)

魚住 陸

推しの未来を守るため、今、僕らができること Protecting Our Idol’s Future (A Fan Comedy)

第一章:聖夜の緊急招集 ―― サイゼリヤの軍議








12月24日、世の中が「ジングルベル」の調べに浮かれ、幸せなカップルたちが予約困難なレストランへと消えていく聖なる夜。秋葉原駅前にあるサイゼリヤの、一番日当たりの悪い(といっても夜だが)片隅では、この世の終わりを宣告されたような顔をした三人の男たちが、ドリンクバーのメロンソーダを前に、通夜のような沈黙を守っていた。








「……聞いたか、諸君。いや、同志諸君」







重々しく口を開いたのは、この界隈で「歩くペンライト」の異名を持つ、古参オタクのタケシだ。彼のチェックのシャツは、過酷なライブ遠征と徹夜の物販待機列のせいで襟元がヨレヨレになり、その背中にはこれまで「推し」に注ぎ込んできた数百万円分の情熱という名の哀愁が漂っている。







「地下アイドル界の奇跡、我らが『星影カレン』ちゃんが、とんでもない事務所と契約しようとしている。これは国家的な損失、いや、銀河系的なクライシス…」







向かい側に座るメガネ(特技:推しの瞳の反射から聖地を特定する解析の鬼)が、レンズを白く曇らせながら身を乗り出した。







「ブラックホール・エンターテインメント……。あそこは、所属タレントを二十四時間ライブ配信の荒野に放り込み、最終的には謎の超健康食品を笑顔で売るサイボーグへと改造するという噂の……暗黒メガコーポです!」







「それだけじゃないぞ!」







三人目の男、通称巨匠(特技:コールが大きすぎて近隣の騒音計を破壊する喉の持ち主)が、冷めきったミラノ風ドリアを震えるスプーンで突き刺した。







「カレンちゃんの、あの音程は不安定だけど、心に響くピュアな歌声が、「このプロテインであなたも全知全能!」と叫ぶだけの営業マシーンになるなんて……そんなの、僕らが許していいはずがない! 僕らのペンライトは、そんなもののために光っているんじゃないぃ!」







彼らの「推し」である星影カレンは、キャパ50人の地下ライブハウスで、振り付けを間違えては「てへっ!」と笑う、不器用だが一生懸命な天使だった。そのカレンが、大人の汚い事情という名のブラックホールに飲み込まれようとしている。







「守るぞ。絶対に!僕らの生きがい、そしてカレンちゃんの曇りなき未来を。作戦名は「オペレーション・ダイヤモンド・シールド」だ。予算は……各自のボーナスの残り、しめて三万二千円!」







あまりにも心もとない、しかし魂のこもった軍資金を握りしめ、史上最も暑苦しく、そして最も無駄な戦いが、ドリンクバーの飲み放題とともに幕を開けた。










第二章:フレーム単位の追跡 ―― 瞳の中に犯人がいる







「よし、メガネ。お前の執念を今こそ見せてみろ!」







タケシの号令の下、さっそく作戦は第一段階、情報の特定が開始された。ターゲットは、カレンが数時間前にSNSに投稿した「新しい事務所で打ち合わせ! 夢の第一歩だよ☆」という、あまりにも無防備で心配になる自撮り写真一枚である。背景は真っ白な壁。場所を特定するヒントは絶望的かと思われたが、メガネの指がノートPCのキーボードを猛烈な勢いで叩き出し、画像解析ソフトが唸りを上げた。







「フッ、甘いですねタケシさん。カレンちゃんの瞳……この左上の10ピクセルの領域をよく見てください。窓の外に反射している微かな看板の……文字の欠片、これは……『肉の……サ……』! そしてこの建物の影の角度から推測される太陽の高さは……!」








「まさか、特定したのか?」







巨匠がメロンソーダを吹き出しそうになりながら尋ねる。







「当然です。秋葉原の裏通り、肉のササキ本店の向かいにある雑居ビル三階。通称『幽霊ビル』。そこがブラックホール・エンターテインメントの秘密基地です!」







「さすがメガネ! 推しの眼球を監視し続けて十年の執念、ここに極まれりだな!」







「褒め言葉として受け取っておきます。さあ、カレンちゃんが怪しいサプリの親善大使に任命される前に急ぎましょう!」







三人は即座にサイゼリヤを飛び出し、夜の秋葉原を激走した。しかし、辿り着いた現地は、「事務所」と呼ぶにはあまりに怪しげな、鉄錆の浮いた重厚な鉄扉が鎮座していた。中からはズンドコ、ズンドコと怪しげな重低音が響き、「はい! 皆さん、この水でIQが2万上がります!」という、カレンに練習させているとは思いたくない怪しげな指導の絶叫が漏れ聞こえてくる。







「……間違いない。奴ら、カレンちゃんの純真さを利用して、信者ビジネスを始めようとしているぞ!」







タケシは、腰に差した特大のキングブレードを強く握りしめた。だが、突入しようとした瞬間、扉の横から「警備」という腕章を巻いた、筋骨隆々の黒ずくめの男たちが現れた。







「何だお前らは。ここは関係者以外立ち入り禁止だ。帰れ帰れ!」







絶体絶命のピンチ。しかし、彼らはオタクである。イベント会場での入場制限や、物販列でのトラブルを回避し続けてきた彼らの「土下座と交渉術」は、ある意味で特殊部隊よりも洗練されていた。










第三章:潜入のドレスコード ―― 偽りの宅配便パニック






「どうするタケシさん! 正攻法じゃ、あのゴリラ……失礼、警備員さんたちを突破できない!」







逃げ込んだゴミ捨て場の影で、巨匠が激しい息を切らしながら叫んだ。タケシは、道端に放置されていた空の大型段ボール箱をじっと見つめ、不敵な笑みを浮かべた。その目は、かつて限定グッズを手に入れるために三日間徹夜した時の、あの狂気的な光を宿していた。







「……変装だ。奴らの隙を突くには、この世界の日常に紛れ込むしかない。メガネ、お前のカバンにある自作のスタッフ腕章を出せ!」







数分後、そこには「超特急・ウルトラ配達便」と自作のロゴを胸に貼った、不自然なほど大荷物を届ける三人がいた。







「お届け物でーす! カレン様宛の、緊急ファンレター1万通と、それに伴う大量のペンライト(電池別売り)でーす!」







タケシが台車を力強く押し、メガネが偽造したハンコをチラつかせ、巨匠がなぜか「お届け物の重厚感」を出すために重りとして段ボールの中に潜り込んだ。







「……待て。その段ボール、本当は中身は何だ?」







警備員が不審そうに、巨匠が入った箱を叩く。中から「ブフッ」という巨匠の鼻息が漏れる。






「あ、これは……最新の音声付き・全自動ハグぬいぐるみです! 振動センサーが過敏なので、叩かないでください! 壊れたら損害賠償額はカレンちゃんの年収を優に超えますよ!」







メガネが即座に、専門用語を1.5倍速で連射する「煙幕トーク」を展開した。







「この荷物は指定伝票第422番、いわゆる推しへの愛が物理的限界を超えて質量へと転換したカテゴリーの特急便です! 一秒遅れるごとに、SNSでの不着報告と拡散リスクが指数関数的に増大しますが、よろしいですか! それともあなた方、カレンちゃんのいいねの数を減らす気!?」







「……あ、ああ。よくわからんが通れ。熱心なやつだな…」







理屈は一切通っていないが、メガネの圧倒的な剣幕と、段ボールから漏れ出る「愛の重み(物理)」に圧倒され、警備員は道を開けた。三人は、ついにブラックホール・エンターテインメントの心臓部、三階へと潜入することに成功した。廊下には「一時間で一億稼ぐ洗脳術」や「アイドルの精神を破壊する100の方法」といった、恐ろしいタイトルのポスターが並び、不気味な紫色のライトが彼らを嘲笑うように点滅していた。










第四章:暗黒のオーディション ―― 光る棒の乱舞








「そこまでだ、悪徳メディアの亡者ども!」







タケシが扉を蹴破り、仁王立ちになった。背後には、段ボールを内側から突き破り、全身にガムテープをつけたままの巨匠と、PCを盾のように構えるメガネが控えている。







部屋の中では、怪しげな金髪の社長が、困惑するカレンに金の縁取りがされた契約書を突きつけているところだった。カレンは、いつもの星柄のフリフリ衣装ではなく、なぜか全身銀色のピカピカしたタイツを着せられ、手には「飲むだけでIQが2上がる魔法の水(ただの水道水)」を持たされていた。







「な…何だお前たちは! 警備はどうしたんだ!」







金髪の社長が椅子から転げ落ちた。






「僕らは、カレンちゃんの未来を、そしてこの国のアイドル文化の健全性を守る……名付けて「星影カレン親衛隊・決死隊」だ!」







巨匠が喉から、かつてないほどの大音量で「口上」を叫び、両手に持った計六本の特大ペンライトを最大輝度で点灯させた。






「喰らえ! 僕らがライブハウスの最前列で鍛え上げた、超高輝度・連結サイリウム攻撃、サンダー・ストーム!!」







三人は、練習(?)を重ねた完璧なフォーメーションで、ペンライトを激しく振り回した。狭い室内が、目が眩むようなオレンジ色とピンク色の閃光に包まれる。







「うわあああ! 眩しい! 目が、目が焼ける! 液晶モニターが反射して何も見えなぁい!」







「今だ、メガネ! カレンちゃんを確保しろ!」







「了解! カレンちゃん、こっちです! 今すぐその銀タイツを脱ぎ捨てて、僕らの車(中古の軽ワゴン・スライドドア式)へ!」







しかし、カレンは驚きのあまり、その場に固まっていた。







「えっ、タケシさん? メガネさん? 巨匠……さん? なんでここに……?」







「説明は後だ! とにかく、その社長は悪魔だ! 君を『サプリ売りのサイボーグ』にする気なんだ! 銀色のタイツはその第一歩だぞ!」











第五章:迷走する地下迷路 ―― 罠とオタ芸の罠







「逃がすか! 全員捕まえろ! 契約するまで帰すんじゃない!」







社長の号令で、廊下の四方八方から屈強な男たちが、網やロープを手にして次々と現れた。







「こちらへ! 僕が最短ルートを計算しました!」







メガネが先導し、四人は迷路のような雑居ビルの内部を逃げ回った。しかし、ここはブラックホール・エンターテインメントの本拠地。廊下には、不意に回転する床や、上から巨大な「プロテインの粉」が消火設備のように降ってくるトラップが満載されていた。







「げほっ、げほっ! 何だこの粉は! バニラ味なのに、絶望的に化学薬品の味がする!」






「落ち着け巨匠、これはただの演出だ! 僕らのオタ芸で、敵の物理演算を狂わせるぞ!」






袋小路に追い詰められた時、三人は一斉に足を止めた。






「究極奥義……『カレンに捧げる・全方位大車輪の舞 ―― 烈火の如く』!!」






彼らは、迫り来る警備員たちの真ん中で、激しく床を叩き、叫び、全身を使って激しい円運動を描く「オタ芸」を披露した。あまりにも奇怪で、あまりにも熱量の高い、そしてすべての地球法則を無視したその動きに、警備員たちは「……なんだ、これは? 攻撃なのか? それとも何かの宗教儀式なのか?」と困惑し、本能的な恐怖から足を止めてしまった。







「チャンスだ、走れ! カレンちゃん、僕の背中に捕まるんだぁ!」






その隙に、カレンを連れて非常階段を駆け下りた。途中でメガネが階段で滑って転んだが、「カレンちゃんの……未発表の生写真を……守らねば……!」という執念で、空中で見事な回転受け身を取って生還した。その姿は、ある意味どのアクション映画よりも必死だった。







しかし、一階の出口に辿り着いた瞬間、そこには社長がエレベーターで先回りして立っていた。彼の背後には、最新鋭の「全自動・アンチコメント爆撃マシン」が鎮座し、カレンのSNSアカウントを今まさに乗っ取り、炎上させようと狙っていた。







「フフフ、逃げられると思ったか…お前らは。契約書にサインしないなら、今すぐ彼女の評判を地の底に叩き落としてやる。アイドルとしての命を、ここで終わらせてやるぞ!」










第六章:最終決戦 ―― 愛のコールは壁を超える







「卑怯だぞ、社長! アイドルの純粋な評判を武器にするなんて、それでもプロデューサーか!」







タケシが叫ぶが、社長は冷笑を浮かべるだけだ。







「勝てば官軍よ。さあ、大人しくカレンを渡すのだ。さもなくば、この『炎上ボタン』を押すぞ!」







社長がボタンに指をかけた。その重圧に、カレンが震える声で言った。







「……私、みんなに喜んでもらいたくてアイドルになったんです。サプリを売りたいわけじゃない……でも、みんなに迷惑がかかるなら、私がサインすれば……」







「カレンちゃん、そんな悲しいこと言わないでくれ!」







タケシが叫んだ。







「僕らが、君を守るって言っただろう! ネットの炎上なんて、僕ら三人の『全力ポジティブ・リプライ連打』で相殺してやる! 僕らは指先一つで一晩に一万件のリプライを飛ばせる訓練を受けているんだ!」







「無理ですよタケシさん! 相手はAIだ! 僕らのタイピング速度じゃ物理的に追いつかない!」







メガネが、割れたレンズの奥で絶望の表情を浮かべる。






「……いや、まだ方法はある。アナログの力を舐めんなよ!」






巨匠が、腹の底から、建物の地響きを誘発するような声を絞り出した。






「僕らの『声』だ。このビルの外を見てみろ!」






巨匠が指差した窓の外……そこには、いつの間にか集まった数百人の「星影カレン」のファンたちがいた。SNSの暗号メッセージ(メガネが逃走中に、必死で各オタクコミュニティに投稿した)を見て、秋葉原中に散らばっていた熱狂的なオタクたちが集結したのだ。






「カレン! カレン! カレン!」






地鳴りのような「カレン・コール」が、厚いビルの壁を突き破り、心臓を直撃するような振動となって室内に響き渡った。






「な、なんだこの振動は!? 窓ガラスが共鳴しているぞ!? そして、サーバーがエラーを起こしている!」






「これが僕らの『推し』への愛が生んだ共鳴現象だ! 社長、あんたのAIも、この生の人間が発する理不尽な熱量までは計算できなかったようだな!」






ファンの放つ圧倒的なエネルギーが、ビルの電源系統を過負荷でショートさせ、炎上マシンを爆発させた。






「うわああああ! 私の、私の億単位のビジネスプランがあああ!」







社長は、吹き出した消火剤にまみれて、情けなく地面を転がった。










第七章:新しい夜明け ―― オタクに休息はない






翌朝。秋葉原の空は、昨夜の狂乱が嘘だったかのように、雲一つない快晴だった。駅前の広場では、以前と変わらず、どこか吹っ切れたような晴れやかな顔でビラを配る星影カレンの姿があった。






「……ありがとうございました。タケシさん、メガネさん、巨匠さん。私、もう一度、自分の信じる道で一歩ずつ頑張ってみます! 銀色タイツじゃなくて、普通の衣装でね!」






「ああ、カレンちゃん!ずっと応援してるよ。でも、次は変な契約書を見る前に、まず僕らにリーガルチェック(?)をさせてね!」







カレンが笑顔で、スキップを交えながら去っていくのを見送りながら、三人はボロボロになったベンチに座り込んでいた。全身泥とプロテイン粉だらけ、メガネは真っ二つに割れ、巨匠はあまりの叫びすぎで声が枯れてカスカスになり、タケシの懐は三万二千円を使い果たして十円だけ残っていた。







「……守ったな、僕ら。一人の少女の未来を…」







「ええ、守りましたね。僕らの生きる意味も同時に!」






「で、でもタケシさん、大変です。たった今、カレンちゃんのSNSに新しい告知が出ましたよ…」






メガネが、割れたレンズを指で押し上げながら、ひび割れたスマホを見せた。







「来年、新曲発売記念イベントがあります。タイトル『推しと行く・健康サプリ工場見学ツアー ―― 愛の試練編』……だって…」







三人は石像のように固まった。






「……おい。あの社長、まだ別の名義で諦めてないのか!?」






「いや、これは別の、ちゃんとした大手スポンサーの企画みたいですよ。健全な工場見学です!」






「……行くしかないな…」






「ええ、行くしかないですね。今度は現地で工場見学用の白衣を着てコールをしましょう!」






「工場を……愛の熱気で爆発させるぞ!」






彼らの戦いに、終わりはない。推しがそこにいて、その未来がほんの少しでも揺らぐ可能性がある限り、彼らは何度でもチェックのシャツをなびかせ、ペンライトという名の剣を振るう。






「燃えるぜぃ!」






タケシの叫びが、秋葉原の喧騒の中に力強く響き渡った。新しい年へ向けて、彼らの新しい「ご乱心(推し活)」が、今、再び幕を開けたのである…

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

SCENE#180 推しの未来を守るため、今、僕らができること Protecting Our Idol’s Future (A Fan Comedy) 魚住 陸 @mako1122

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画